2015年4月17日金曜日

2015.4.17

お久しぶりです。1月あたりに広報担当を仰せつかった野上です。

2つ前のブログ記事で、木野さんから望遠鏡の建設の進捗状況の報告がありました。仮ドームの中での組み立ては3月末で1段落ということもあり、広報担当としてたくさんの新聞やテレビの取材の対応をさせて頂きました。山陽新聞さんでは「子ども記者」という企画で、小学校5年生の方からの取材もありました。地元の方からの期待が大きいことがよくわかり、我々もそれに応えるべく頑張っていかないとと、気持ちを新たにしております。今後は様々な調整、本ドーム建設、観測装置製作を同時並行で進めます。まだまだ本格的な観測までは時間がかかりますが、引き続き応援して頂けますとありがたいです。

さて話は変わりまして、私も大学の教員なので大学生に対しての講義を行います。天文関係の講義だけではなく、基礎科目の担当となることもあります。所属が理学研究科物理学・宇宙物理学専攻なので、物理学の講義を行うわけです。ということで、私が今年前期に担当するのが「物理学基礎論A」。なんのこっちゃ、という科目名ですが、解析とか熱とか統計とか量子とかが付かない、いわゆる力学です。学生時代に受けた講義のノートなんて残っていません(ろくな学生でなかったので、そもそも講義にどれだけ出ていたかも怪しい)し、土日には、教科書を読みながら講義ノートを作っています。

49()に初回の講義がありました。最初だし、ということで自己紹介。「専門は天文学です。」と言うと、ちょっとザワっとした反応あり。調子にのって「宇宙って、地球上では考えられないスケールでの爆発だらけなんですよ。それが面白い!あ、だいたい皆さん、宇宙の広さってどんな感じがわかってます?」という流れから、Mitakaをプロジェクタで表示して(Mitakaをご存知ない方は、是非ネット検索してご自分のPCにインストールして遊んでみて下さい。)地球から宇宙の果てまで簡易宇宙旅行。興味を持ってくれているのが伝わってきて、俄然そちらに走ってしまいました。昨年高校生を相手に行った講演の資料を出して、「宇宙でどういう爆発があるかというと、、、スーパーフレアとは、、、」なんて話をしているうちに、気がつくと時間が半分終わっていました。

今後も天文の話を交えながら、力学の講義をやっていこうと思います。




写真は力学の教科書の金字塔・ニュートン著「プリンキピア」(Wikipediaより)






2015年4月6日月曜日

天文台長の柴田です

   先日の2015年1月30日、朝日放送の「こんなところに日本人」というTV番組で、ペルーで活躍中の石塚睦博士・イシツカ・ホセ博士親子が紹介されました。ご覧になられた方もおられると思います。今日は、この石塚博士親子と私(および最近の京大天文台)とのつながりについて、少しお話したいと思います。
 石塚先生は京大宇宙物理教室の大先輩で、50数年前、大学院生の時にコロナ観測所を建設するためにペルーに渡られました。3年で帰国するはずが、苦難の末30年の歳月をかけてコロナグラフ観測所をようやく完成させ、定常観測を始めたその矢先に、反政府ゲリラに観測所を爆破されるという悲劇的体験をなされた方です。当時は命までねらわれていたそうです。
それにもめげずペルーの天文学発展のために献身的な努力をされてこられました。私にとっては尊敬する大先輩です。その石塚先生が20043月に花山天文台に来られ(写真)、どんな古い望遠鏡や器械でも良いから、ペルーに寄付してくれませんか」とおっしゃっていたのです。そのときはすぐにペルーに寄付できるような望遠鏡や器械は見つからなかったのですが、石塚先生の言葉がずっと記憶の奥底にありました。
2006年のある日、ふと「飛騨天文台のフレア監視望遠鏡(Flare Monitor Telescope = FMT)をペルーに移設すれば、一石三鳥(石塚先生支援、ペルー支援、そして太陽観測の上でも最適)ではないか」、と思ったのです。その頃、飛騨天文台にSMART望遠鏡が完成し、太陽全面Hα像観測という点ではデータが重複するようになっていました。それで、FMTをどこか良い場所に移設する可能性を考えていたのです。すぐに石塚先生にFMTの移設先として「ペルーで引き受け可能性でしょうか?」とメールを出しました(2006730日)。すると翌日すぐに「お申し越しの件、何とか出来ると思います。これから研究所の所長に話します。」とポジティブな返事が来ました。
翌年2007年1月、早速、上野君と一緒にペルーを訪問し、石塚先生が勤務されておられるペルー地球物理学研究所のウッドマン所長と面会しました。また、FMT移設候補地のイカ大学を視察し、同大学の学長、理学部長にもご挨拶しました。いずれも皆さん、大歓迎、ということで、FMTのペルーへの移設計画がスタートしました。
20103月、FMTは無事、イカ大学太陽観測所に移設できました。最初は仮設棟住まいでしたが、2013年、イカ大学にFMTを収納する建物がようやく完成し、「ムツミ・イシツカ・コマキ太陽観測所」と命名されました。(コマキというのは、石塚睦先生の母上の姓で、スペイン語では両親の姓をつけるのが正式なのだそうです。)
以来、日本の夜間に発生したフレアが多数観測されています。ペルーの若者達を中心にデータ解析も進み、ようやく最初の論文が投稿される寸前まで来ています。
 ペルーでは、石塚先生はご高齢のため引退されましたが、幸い息子さんのイシツカ・ホセ博士が後を継がれ、ペルーに天文学の土台を築こうとしています。日本からも、上記FMT以外に、「ペルーに電波望遠鏡を支援する会」、「ペルーに60cm反射望遠鏡を贈る会」など支援の輪が広がっています。 私は現地に何度か行きましたが、ペルーの人々、とりわけ、若者たちの石塚先生への尊敬の念がいかに高いか、また、最先端の学問への憧れがいかに強いか、肌で感じ感動しました。日本から遠く離れた地球の裏側で、天文学のため、ペルーという発展途上国の学問の発展のため、一生を捧げた素晴らしい日本人がいるということを、私は大きな誇りに思います。このような人と人のつながりによる支援こそが、資源のない日本が世界に大きく貢献できる分野ではないかと思います。

 60cm反射望遠鏡については、西はりま天文台前台長の黒田武彦さんのリーダーシップの元、同天文台職員のみなさん、西村製作所のご支援のおかげで寄付が実現し、昨年秋に、正式にペルー・イカ大学に望遠鏡の引渡しがなされました。
現在、ご子息のイシツカ・ホセさんが、ペルー最初の電波望遠鏡の立ち上げに悪戦苦闘されています。「ペルーの電波望遠鏡を支援する会」のウェブサイトが以下にありますので、みなさまぜひご覧ください。そして、ぜひご支援ください。

 また京大とペルーの学術交流の支援(特にペルーの若者達を日本に招く留学資金や渡航費、FMT望遠鏡の維持運用経費の支援)については、天文台基金からご支援いただければ幸いです。

                          (2015年4月4日)



2004325
 石塚睦先生が花山天文台を訪問されたときの記念写真。
左より、柴田、石塚先生、奥様、イシツカ・ホセ博士(ご子息)