2019年12月27日金曜日

空を見上げる

プロマネの栗田です。
中学の帰りのバスの中、何気なく夕暮れの空を眺めていると月と金星が接近していました。ひょっとすると、と期待してしばらくバスに揺られながら見ていると、金星が月に隠されました(お、金星は月より遠いや)。バスを降り、家までの道中しばらく眺めていました。「今日は金星食がありました。」とテレビが伝えていたことをなんとなく覚えています。

何気なく観れた現象なので、頻繁に起こることだと思っていたのですが、どうも前回は2012年8月に起き、それ自体が23年ぶりだったそうです。そう、つまりその前とは僕が観た金星食で、確かにあったのです。その時の様子がYoutube にアップされていました。

次回はなんと2063年です(何とか観れるかな)。しかも金星は宵の明星、明けの明星と言われるように夜間は観測困難です。2012年は明けの明星のときで、午前3時ころの大変高度の低い位置でした。知らずして見ることは朝帰りの酔っぱらいか漁師さんしか不可能です。つまり何気なくこの現象を観れたということはそれはそれはラッキーなことだと思います。

最近、生まれて初めて月と重なる飛行機を目撃しました(あ、月は飛行機より遠いや)。写真では見たことがあるのですが、これもネットで調べてみると、飛行場近くで日時、方角を狙って撮影しているようです。では、偶然見れる確率はどれほどでしょうか。まじめに計算するとめんどくさいので、これでどうでしょうか。まず空の広さは月に対しておよそ10万倍あります。飛行機はパッと夜空を見たとき、複数飛んでいるときもあれば全く飛んでない時もありますが、まぁここは1機だけ必ず度飛んいるとしましょう。
僕が観たときのように飛行機が高高度を飛んでいるとき、飛行機は月より十分小さく見えます。また飛行機はあっという間に月の前面を通過してしまいます。

つまり月も飛行機もランダムに空のキャンバスに放り投げられたとみなせます。ということは夜空をチラ見したときに、月と飛行機が重なる確率はざっくり10万分の1と言えます。毎晩1回夜空をチラ見したとすると(毎日晴れだとしますが)、この現象に遭遇するには273年かかりそうです。。



2019年11月29日金曜日

お役立ち情報 その3


光学など担当の岩室です。

 このシリーズも3回目になりましたが、ビニール傘の直し方、ケーブルの巻き方、に続いて3年ぶりのお役立ち情報です。今回は物干しスタンドの延命方法です。
皆さんのご家庭でも物干しスタンドと呼ばれるパラソル状の物干し台を使っているかと思いますが、強度の強いステンレスの骨組み構造に比べて、アーム部分はプラスチックで、だんだんと劣化して折れていきますよね。最後には腕がほとんど無くなって骨組み部分の処理に困ったりします。しかも、交換用アームはなぜか販売されていません(本体の売れ行きが落ちるからなのだと思いますが…)

 パラソル型の物干しスタンドとよく似たものとして、パラソルハンガーと呼ばれるものがあります。これには中央の軸が細いものと太いものの2種類があって、ここで使うのは太い方です。例えば、これです。持ち手のような部分が下部に突き出ているものであれば、多分どのパラソルハンガーでも使えると思います。実は、この商品、中央の軸部分の太さが物干しスタンドの接続部と同じ太さになっています。なので、中央の軸を引き抜けば物干しスタンドのアーム部分として使えるのです。手順は以下の通りです。



上左:アームが何本か折れた物干しハンガーです
上右:購入したパラソルハンガーです
中左:持ち手最下部の引っ掛け部を外します
中右:軸周辺の引き抜き防止用の爪に厚紙を挟んで爪が引っかからないようにします
下左:引きぬいて部品を並べたところです
下右:新しいアームを物干しスタンドに付けたところです

 腕が幾つか無くなったアームは、外置きの更にボロボロの物干しスタンドのアームと交換して、外置き用として使います。この方法で、最終的には全てのアームが風化して折れるまで使い切ります(外置きはプラスチックの劣化が早いので2年程度で全て折れます)
我が家はこの方法で物干しスタンドのアームを5回程度交換しており、同じ物干しスタンドの骨組みを10年以上延々と使い続けています。その場合問題となるのがスタンド下部の脚の付け根部分で、ここばかりは交換品になりそうなものは見たことがありません。上写真最後のコマをよく見れば、3本の内の1本の脚の付け根が結束バンドで補強されていることがわかります。この脚の付け根は既に割れていてかなりガタの来ている状態です(外置きのものはもっとひどい状況ですが)

 物干しスタンドなんて安いものなので、パラソルハンガー2個分程度の値段で十分買えるのですが、使える部分を捨てちゃうのは勿体無いですよね。私は結構貧乏症で、通常ならすぐに捨てるようなものでも使える可能性がありそうであれば残し、部分的に使えそうであれば解体して使える部分を残します。
逆に、使えないと思うものであればバンバン捨てるます。使えるか使えないかの判断が悪ければ、ゴミ屋敷の主人になりかねない素質があるので、周りの人は結構注意が必要かもしれません…

2019年11月19日火曜日

マルチメッセンジャー天文学事始:その後の重力波

 201941日から、米国のアドバンスド・ライゴ(advanced LIGO)とヨーロッパのアドバンスド・バーゴ(advanced VIRGO)等が連続観測を開始し(O3ランという)、10月はメンテナンスでお休みだったが(49月をO3a11月からをO3bと呼ぶ)、この間の様子を少し記そうと思う。

我々が最初に受けたアラートは、S190408anというイベントであった(48日世界時に検出)。これは連星ブラックホールで、距離は1473Mpc(これは光度距離で、新聞や雑誌で普通に使う言葉で言えば、33億光年に対応)というものであった。その後、ぽつぽつアラートが出たが、ほとんどは連星ブラックホールであった。10月までのアラートの統計をとってみたところ、連星ブラックホールからの重力波は、1週間に1回程度の頻度で発生している。最初の重力波検出(150914)では連星ブラックホールということで大変オドロイタのであるが、今や日常茶飯事になってしまった。150914では太陽の30倍程度の質量のブラックホールの連星ということで、これにも驚いたが、これらのイベントの多くもそのような重いブラックホールで、その起源が気になるところである。また、こういった系からは強い重力波が放出されるため、多くのイベントは遠くて、33億光年というのもびっくりするほど遠いものではない。現在これを書いているのは11月だが、連星ブラックホールというアラートが来ても、「ああ、またか」という感じで、昔の興奮はどこに行ったのか、と思ってしまう。連星ブラックホールの場合は、合体しても電磁波を出す積極的な要因が見出せず、また、あっても非常に弱いと予想される。しかも何十億光年も離れているとみかけの明るさは絶望的な暗さになると予想され、我々の望遠鏡では(すばるは別かもしれないがそれでも非常に厳しいであろう)、とても検出は難しい(検出が困難なのと他の変動天体との峻別が困難)ので、早い時期から諦めモードになった。連星ブラックホール出現の報には、「ああまた出たか。今回もスルー」という立場を取らざるを得ない。毎週何も見えないであろう天体を一所懸命に探すのはあまりに非効率的である。

そこで、連星中性子星の合体や、中性子星とブラックホールの連星の合体とされる重力波に集中することにした。これらは中性子星があるので、電磁波で輝くと予想されるからである。実際、170817では、電磁波が検出され、理論モデルとの比較でいろいろな知見が得られた。これも10月までの統計で見ると、年間に数回程度の頻度が見込まれる。また、連星の片一方の星の質量が太陽質量の3-5倍と推定される場合には、(ブラックホールの最小質量と中性子星の最大質量の間という意味で)mass gap(質量のギャップ)と呼ばれるケースに分類され、これも興味深いケースなので、こういうイベントが出ると張り切って観測を実施することになる。

201988日(世界時)には、久々に連星中性子星の可能性が高いアラートが出た。可能性としては40%程度だったのでやや微妙ではあるが、日本では午前中だったので、朝からJ-GEM内では盛り上がり、今夜は観測だ!と張り切っていた。が、夕方になる前にこのアラートは撤回されてしまった。まあ観測前だったので被害(?)がなかったということで良しとするかという感じであった。ところが822日(世界時、日本時では午前10時頃)には、ナント確率ほぼ100%の連星中性子星イベントが報じられた。しかもこれは近くて、170817の再来か!と、また興奮状態に陥った。しかし、2時間後には撤回された。。。829日にはmass gapイベントが出たが、これは位置不定性が大きく、なんか変だなと思っていたら、撤回された。という感じで、気のせいか(いや、多分統計を取ると気のせいではないと思うが)、連星中性子星とか中性子星とブラックホール連星、mass gapのイベントは、撤回されるものが多いと思う。一体何が原因なのかよくわからないが。と、いう感じで、今のところ、電磁波対応天体発見には至っていない。国際研究会でも何の報告もないので、世界中誰もその後電磁波をとらえたイベントはなさそうである。

20191110日に、バースト型と分類されるアラートが来た。これは初めてみるイベントで、皆さんびっくりした。バーストに分類されるのは重力波の波形モデルを介さずに検出されたものであるが、連星系ではないだろうから、多分超新星であろうということで、初の超新星検出か!と大騒ぎになった。超新星が起源だとすると、もともと重力波は弱いので、近傍宇宙で発生したことになり、J-GEMでは距離は数十kpc程度内だろうという話になった。数十kpcというのは、お隣の銀河とよく称されるアンドロメダ銀河(M31)よりもずっと近く(M31600kpcの距離にある)、我々の銀河のまわりを回っている、大マゼラン、小マゼラン銀河程度ということである。超新星1987Aみたいのが出るかもしれない!ということでわくわくした。ただ、南天が主な領域なので、日本から観測可能な領域はわずかであった。近傍銀河のカタログを元に北天の可能性のある銀河は観測してみたが、特に何もない。南天は、IRSFとかB&CMOAIIといったJ-GEM連合の望遠鏡が活躍できる。一方で、このような近距離で超新星が爆発したら、南半球の人なら目でも見えるかもしれない。そういった報は何もなくて、皆で不審に思っていた。しかし、超新星爆破で重力波が到来しても、電磁波で輝くまでには時間がかり、1-2日は遅れる可能性もあるので、もうしばらく様子を見ることにした。やがて、大マゼラン銀河で新星らしきものが出現という報があったので、これをMOAIIB&C望遠鏡で観測したところ確かに増光天体が見つかった。しかし、これはその後他の天文台でスペクトルが取られ、超新星ではないことがわかった。残念。

ところで、この距離で超新星爆発が起これば、時間差がさほどなくニュートリが出ると予想されるので、スーパーカミオカンデ(SK)でニュートリノ検出があったのかどうか、J-GEM内で話題になった。大マゼラン銀河中での超新星1987Aでは、カミオカンデでニュートリノを検出できたのだから、SKなら確実にニュートリノを検出できるはずである。しかし、残念ながら我々はSKとホットラインがなく、また緘口令がひかれているのかもと疑ったりしていた。1114日にSKを運用している宇宙線研究所に行く用事があったので、同研究所のSKには直接携わってない知り合いに聞いてみたら、あっさり「何も検出されてない」との返事。やはりどうも怪しいなあ、と思っているうちに1115日に撤回。うーん、なんて人騒がせな、、、もう少し早く撤回して欲しかったなあ。
と、いう日々が続いている。

     太田記

2019年10月18日金曜日

「それでも」私はガリレオ!

 リーダの長田です。

 京都新聞の第1面に、「星を見つめて 京大花山天文台から」というコラムが今年5月1日から1年間載っています。私も執筆に少しだけ協力し、10月下旬からは、いよいよせいめい望遠鏡に関する5回があります。その第1回、テクノロジーが宇宙観を変えた例として、「地球は動いている」から始めて、ガリレオが天体望遠鏡で見た金星や木星の姿がコペルニクス転回をもたらしたとするのは、良い書き出しかと思うのですが、ここ、「『それでも』地球は動いている」とは書きたくなかったのでした。

 理不尽な宗教裁判の中、信念を護ってこの言葉をぼそりとつぶやく孤高の科学者ガリレオというイメージは一般受けするものかも知れません。しかし、田中一郎「ガリレオ裁判――400年後の真実」によると、おそらく歴史の真実ではない、そもそもこの言葉は1633年当時の資料には全く出て来ず、18世紀のヨーロッパの人々の願望を反映した創作のようです。(ガリレオ裁判とは、正しくは「異端審問」と言うものであり、近代的手続の法概念に言う「裁判」ではないのだ、ということも初めて知りました。)ただ、日頃「地球は動いている」とガリレオが言っていたことは、間違いないでしょう。

 理学部や工学部だけでない全学共通講義の「宇宙科学入門」でガリレオの話をすると、必ず東野圭吾原作のテレビドラマ「ガリレオ」についてレポートに書く学生がいました。

 さて、8月下旬に、インドネシアのバンドン工科大学に行きました。西チモール地域の南緯10度 標高1300mティマウ山に建設中の3.8m望遠鏡に、赤外線を観測する機能を持たせることがいかに有意義か、「赤外線天文学」の話をしてきました。その時の学生の1人が、長田はガリレオに似ていると言ってくれたそうです。え、私があの偉大なるガリレオ・ガリレイに?と聞き返すと、いや、インドネシアでは日本のテレビドラマもなかなか良く見られていて、「ガリレオ」で帝都大学理工学部物理学科准教授を演ずる福山雅治さんも人気だとのことでした!

 岡田育さんという方の「ローラと新垣結衣が同じに見える異文化圏の目」(読売新聞 大手小町 編集部のサイト)を4月に読んだことは思い出しつつも、単に日本のキョージュと言ってもそれだけで同じに見えるわけではないだろうと思う私なのでありました。


 「暗黒の中世」(これもまた後世のヨーロッパ人の創作かも知れませんが)をイスラムの地で生き延びていた天文学、21世紀は、世界最大のイスラムの人口をかかえるインドネシアでも花開いてほしいと思います

[付録] 「太陽と似た恒星の周りを公転する系外惑星の発見に対して」2019年のノーベル物理学賞が授与されました。2015年12月18日のプロマネ栗田さんのブログ「マイヨール博士の言葉」をどうぞ御参照あれ。





2019年10月7日月曜日

初めての岡山天文台特別公開

こんにちは、広報・サイエンス担当の野上です。

 105()に岡山天文台初の特別公開が行われました。京都大学が持つ他の天文台、すなわち花山天文台と飛騨天文台の方はこれまでにもやってきていました。花山天文台の方は1999年に天文台創立70周年記念事業の一環で始まったので20年の歴史があり、飛騨天文台ではその次の年、2000年に始まりました。岡山天文台では今年220日にせいめい望遠鏡完成記念式典を行なってから、2つ目の一般の方への公式な公開行事となりました。

この岡山天文台特別公開の告知ページはこちらでした。ここにある通りで、公開時間は9時半から16時半、参加費無料、申込不要、定員なし、どなたでも参加可能、天文台まで自家用車で来てもらうこともできますし、JR鴨方駅から無料の送迎バスで来ていただくこともできます(9時ちょうどから15時ちょうどまで、途中13時ちょうど発のみ休止で1時間おきに発車)というものでした。内容は、せいめい望遠鏡ドーム内での見学+スタッフによるリレー解説、せいめい望遠鏡ドーム棟1階でのポスターパネル展示・解説、国立天文台ハワイ観測所岡山分室の188cm望遠鏡ドーム内での講演の3本立てでした。

リレー解説はこのブログの執筆者の一人の長田さんと私、岡山天文台の木野さんが30分ずつ交代でせいめい望遠鏡の解説をしました。せいめい望遠鏡の歴史、新技術、科学的な狙いなどの話をしましたが、メインは望遠鏡を実際に動かして見せること。せいめい望遠鏡は縦横高さが9m弱くらいですが、この大きさのものが動くスピードとしてはとても速く、いつも歓声が上がっていました。このスピードは世界的に見ても同サイズ以上の望遠鏡の2倍以上はあり、どの方向にも1分以内に望遠鏡を向けることができます。せいめい望遠鏡はこれを活かして、非常に変化の速い爆発現象の、まだ誰も見たことのない最初期の状況を観測しようとしています。

188cm望遠鏡ドーム内での講演は、11時から柴田さんによる「せいめい望遠鏡の目指すサイエンス:天体爆発現象とスーパーフレア」、13時から東京工業大学の佐藤文衛准教授による「188cm望遠鏡とHIDESで見つける太陽系外惑星」+東京大学の川内紀代恵研究員による「188cm望遠鏡の観測装置マスカットで迫る太陽系外惑星の特徴」、1445分から私が話をした子ども向け講演「せいめい望遠鏡のココがすごい!」でした。
188cm望遠鏡ドーム内で、望遠鏡の真下に椅子を出して講演を行なうスタイルは国立天文台岡山天体物理観測所時代からのもので、これまで通り50脚の椅子を出していたら、最初の講演で立ち見が出るくらいにお客様にきてもらったので、急遽ほかから20脚ほど持ってきました。
私の話はせいめい望遠鏡リレー解説で話した内容を噛み砕いたものにしたつもりでしたが、イマイチ子どもたちの反応は薄かったような。。。
この中で、「ブラックホールってどんな天体?」という質問への岡山天文博物館こども天文クラブのクラブ員の方の回答で、そのレベルの高さに驚かされるようなこともありました。

せいめい望遠鏡ドーム棟1階でのポスターパネルでは、せいめい望遠鏡の仕組みや実際にどういう観測がなされているか、また、花山天文台や飛騨天文台の紹介などが、京都大学の多くのスタッフによりなされていました。場所が狭い割に多くのポスターがあり、参加者の方にはなかなかゆっくり解説を聞いていただくことやポスターを見ていただくことが難しかったかもしれません。これは反省ですね。これらの解説、講演、展示以外でも、受付、参加者誘導、鴨方駅での案内、テント設営などなどで、当日スタッフだけで合計20名以上となりました。うち半分くらいは京都と飛騨からの参加でした。
 
さて来場者の方ですが、正確なところは把握が難しかったものの、400名以上は来ていただけたようです。中には京都でのイベントによく来られている方の顔もありました。岡山天文台特別公開は初めてで、どれくらいの参加者があるか不安もあったのですが、当日が好天に恵まれたこと、浅口市教育委員会や岡山天文博物館でも広報をしてもらったこともあり、予想以上の参加者だったと思います。今回の反省点も踏まえて、また来年以降も継続して行なっていきたいと思いますので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。




たくさんの方にご来場いただきました






2019年9月20日金曜日

ランニングと43歳の体の変化

 プロマネの栗田です。

 GWからランニングを始め、めずらしく4ケ月継続しているのでこの間に生じた体の変化をレポートします。現在月間100km強を走っていて、一方18歳でラグビーを辞めてから草野球程度しか運動していないので、運動量の変化は激しいものがありました。ラグビー部でも持久力が無いほうで走り込みの練習が大嫌いでした。1500mの持久走も6分程度だったと思います。さて、さっそく体の変化についてみてみましょう。

・体重が減る
まずは何と言ってもこれが顕著です。およそ最初の2か月で4.5kg減りました。その後の2か月で1.5kg減った感じです。脂肪の熱量はおよそ10kcal/gだそうです。僕の場合10km走るとおよそ600kcal消費する(60g痩せる)ので、これまで400km走って24,000kcal消費したことになります。食事量は以前とほとんど変わっていないのでこの間に2.4kg脂肪を燃やしたことになります(京都から東京まで走ってたった2.4㎏かい!)。これは実際に減った6kgと合わないのですが、それは後で考察します。ちなみに面白いことに運動による消費カロリーは走るスピードよりも走行距離でほぼ決まります。痩せるためだけならつらい思いをして走るより歩けばいいということですね。

・瞬間風速的に体重が減る
走ると汗をかきます。吐く息からも水蒸気として出ていくでしょう。夏に10kmほど走ると2kg程度体重が減ります。これはほぼすべて脱水と言って過言ではありません。さすがに直後に2リットルの水を飲むことはできません。経験的には数日かけて元に戻ります。言い換えるとほぼ毎日走っていると1・2kg脱水で減量した状態になります。これから涼しくなり汗をかかなくなるので体重が1kg程度増えるのではと思います。

・汗をかきやすくなる
40台のオッサンの汗の話をするのも恐縮ですが、(さわやかな)汗をかきやすくなりました。これは夏場に走ったせいで汗腺が活発になったのではないかと思います。おそらく熱中症にもなりにくい体質になったと思います。ちなみに汗には実際に無味無臭なさわやかな汗とそうではない汗があり、運動による汗は体温調節のためのさわやかな汗だったりします。詳しくは以下を参考に。
https://www.kao.co.jp/8x4/lab/article02/

・筋肉が増える
使っていない筋肉を使いだしたので当たり前です。最初の2か月程度はふくらはぎが疲れてました。最近は少し長い距離を走るようになり、太ももが筋肉痛になりました。走るスピードや距離(時間)で使う筋肉が違うようです。これにより基礎代謝が増えて減量を手伝ったと思います。

・姿勢が少し良くなる
もともと猫背気味なのですが、効率よく走るには胸を張って両腕を後方で振る感じになります。これが結構背筋を使います。普段から意識するようになり、姿勢が良くなりました。しかし気が緩むと猫背になります。。

・肩コリがなくなる
走る際は腕を振ります。また、肩を張って走るよりリラックスしてた方が良いそうです。そのおかげで肩がコルことはなくなりました。

・安静時の心拍数が下がる
安静時の心拍数は80近かったのですが65くらいまで下がりました。肺の細胞、心臓のポンプ、毛細血管が強化されたのだと思います。

・運動が苦にならなくなる
これは体の変化というよりメンタル部分ですね。往復のコースを走りだして途中で挫折すると数キロ歩いて帰ることになります。おかげで小一時間歩くことは苦にならなくなりました。あと、そもそも持久力が無かったので走ることが嫌いだったので、ランニングする人のメンタルを全く理解できませんでした。例えば、走ってる最中は苦痛で暇じゃないのかな、とか。走ってみるとやっぱり苦痛で暇なのですが、耐性がついた気がします。

 以上たかだか4か月のランニングで起きた体の変化を報告しました。まぁ、正確には最低1年は続けないとわからないですね。そして1年後にはもっと大きな変化が表れているのではないかと思います。で、今回気づいた変化は全てポジティブなものでしたが、きっとネガティブなものもあるはずです。なんと言ってもその第一候補がケガですね。あと交通事故などにも気を付けなくてはいけませんね。




2019年9月19日木曜日

第一回せいめいユーザーズミーティング

 2019年8月7日、記念すべき第一回せいめいユーザーズミーティングが京大構内で開催された。せいめいユーザーズミーティングというのは、せいめい望遠鏡のユーザーが一堂に会して、その研究成果や途中経過の発表、また、運用・将来計画などを議論する場である。今年は2月末から共同利用観測や京大観測時間が開始され、6月半ばまで観測運用されてきた。その後は望遠鏡・装置などのエンジニアリングが行われ、8月1日からまた観測が始まったタイミングでの開催である。既に半年程度の実績がある状態での開催というわけである。
 この業界では、国立天文台岡山天体物理観測所のユーザーズミーティング(以下UM)が、年1回の頻度で開催されてきたが、その後継という位置づけとなっている。(なお、8月8日には関連する光赤外の天文台による連携の事業や、大学天文台の運用状況などを報告・議論する会が開催された。)
 せいめいUMでは、最初に2019A(2019前期2月から6月)の共同利用総括、せいめい小委員会報告、望遠鏡、ドーム、観測装置の状況や今後の計画などの報告があり、質疑が行われた。午後からは、これまでにせいめい望遠鏡で得られた科学的成果の報告があった。さすがにまだ観測開始半年で、しかも、いろいろと初期不良もあったので、思惑通りには行かない部分もあるが、それでも8つもの初期成果(や計画)などが報告された。なかでも、明るい天体の観測では、既に面白い結果も出ており、この秋の学会で発表するとのことで、心強い感じがした。
 その後、将来計画の議論の場となり、ここ1-3年程度の期間で開発中の観測装置の現状が報告された。開発中の観測装置としては、近赤外線偏光撮像装置、多色同時撮像カメラ、系外惑星直接撮像装置、近赤外相対測光分光器、可視高分散分光器、高速測光分光器と沢山のラインナップがあった。また、装置開発計画の紹介もあった。
 ここで全体をまとめての議論が行われた。運用面でのあり方に関する要望や議論、将来に向けてどんな要求があるのか、それをどう準備をするのか等々、話題は多岐にわたった。項目によっては色々な意見や見方が噴出し、結局終了予定時刻を20分近くオーバーすることになった。
最後はミキシングセッション(懇親会)を生協で行い(上記事情で30分短縮になってしまったが)、忌憚のない意見交換が活発に行われた。
 こういった議論は、今後、目標とする科学成果をより一層挙げていくために、望遠鏡や装置等といったハード、観測システム・制御等のソフト、さらに、望遠鏡運用の方針・方法等の改善に結びつく非常に重要な機会となる。来年度も開催予定であるが、来年は、酷暑の京都を避けたい気もする。が、日本中どこも暑いなかなぁ。

太田 2019月8月7日


会場の様子






2019年8月23日金曜日

子供教育論

 光学など担当の岩室です。

 今回は教育関係の話です。あくまで私個人の持論ですので、
教育関係者の方は適当に読み飛ばして下さい。

 最近、幼児向けの英語教育とか小学校低学年の英会話とかいろいろ行われていますが、大半の人はその時はある程度伸びてもいずれ忘れちゃいますよね。なかなか日常的に使える環境でないと、語学力は維持することが難しいと思います。その点、必ず継続して必要になるのが算数です。

 算数の勉強は幼稚園では数字の読み書き程度で、普通に行けば小学校1年生からのスタートになります。しかし、ちゃんと面倒を見れば、通常の教育課程よりも誰でも3年先行して習得できる能力があると私は考えています。即ち、

・小学校入学までに足し算引き算と九九まで終了
・小学校低学年で小学校の算数を終了
・小学校卒業までに中学の数学を終了
・中学校卒業までに高校の数学を終了

です。下に行けば行くほど難易度は上がりますが、3年分の貯金があれば何とか最後まである程度の貯金を維持した状態で進むことができます。このやり方の利点は、

・自分だけ算数を先行させていることで他の教科に余裕ができる
・中学や高校の入試の際に他のやり方で解くことが可能になる
 (つるかめ算を連立方程式で解くなど)
・大学受験のための数学を数年かけて準備できる

で、欠点は、

・塾に行くと先行カリキュラムが破綻するので行けない
・学校での算数の授業時間が無駄になる
 (独自カリキュラムで内職していれば別ですが...)

です。このやり方で最も重要なのは、一番初めの小学校入学までの部分で、ここで3年の貯金を作っておかないと、その後で挽回するのはかなり大変です。というわけで、私は子供の教育について聞かれた場合は、6歳までは最優先で算数の面倒をみるよう言っています。これは私自身の経験に基づくもので、私の長男と次男
にも上記の方針で教育したところ、一応成功しましたのでそれほど無茶な話ではないと思います。

 現学年での成績に直結しない教育なので、学習塾では無理なやり方かとは思いますが、ネット上で AI 教師による塾が開校できれば可能でしょうね。私も隠居したら AI 塾開校の可能性を考えてみたいと思います。

 ところで、初めの話題に戻りますが、子供向け英会話を有効に持続させて伸ばすためには、アニメ放送を英語化するのもありかなと思います(ものによっては日本語でないと面白さが半減するものも多いかと思いますが)。ジブリ映画なんかはストーリもわかりやすいので、英語教育にいいんじゃないでしょうか。

2019年7月12日金曜日

宇宙はロマンチック

 リーダの長田です。
 
 7月8日、向日が丘支援学校に七夕授業に行って来ました。京都府教育委員会との連携の取り組みでもあります。小中高の児童生徒が何年かに1度ぐらい大学教員から話を聞くのは良いことでしょうが、それだけでなく、こういう支援学校でも宇宙の話を、というのは意義があるなあと思いました。

 中学部には40名強の生徒がいますが、そのうちあまり支援を必要としない子どもたち15名の前で、ベガやアルタイルについて話してきました。たなばたって、中国の天女伝説のような牛郎織女の話や織姫彦星の話や、さらに日本の棚機つ女に中国から伝わった乞巧奠(きこうでん)の話など、それはそれは興味深いのです。ですけれど、「僕は豆腐屋だから豆腐しか作れない」ので、アルタイルという星がいかに速く回っているか(何と9時間で1回転、太陽よりも大きいのに太陽よりも何十倍も短い周期!)、そしてどれだけ遠くにあるか(いまアルタイルで何かが起こってもその光が届くのは17年後)、そして暗い星はもっともっと遠くにあって宇宙はどれだけ広いのか、そして天文学がいかにそれを明らかにしたのか(赤外線で干渉計を用いて・・・とまでは説明できなかったけど)を熱弁してきました。熱意が通じたのか、「先生はどの星が一番好きですか」という質問も出ました!

 さて私はNHK-FMの「きらクラ!」という番組を録音して聞いています。長岡天神からの阪急に乗ってそれを聞きつつ「スピノザの世界」という講談社の新書を読んでいたら、「南の島の大王は・・・ロマンチックな王様で・・・星のすべてが彼の夢」という歌が流れてきました。いつもなら、ひねくれ者の私は「なんで『ロマンチック』と星やねん?」と思うのですが、モーツァルトのフルート四重曲第1番K.285の第2主題がハメハメハだと言ったという2歳の女の子の話を聞きながらランパル・スターン・アッカルド・ロストロポービッチの4人の演奏にうっとりとしたのでありました。

 そして風のすべてが彼の歌、星のすべてが彼の夢というのはスピノザの「エチカ」に書かれていることそのものではないだろうかと感心しました。さらに、その「きらクラ!」の次の話題は、の大分県の特別支援学校の校長先生による「記憶力が人並外れて鋭い中学部の生徒から、御誕生日おめでとうと言われた」という話題だったのでした。

 かつてユングのシンクロニシティでもボース・アインシュタイン凝縮(粒子がぽつりぽつりと来ずに、かたまって来ること)でもないだろう、と書きましたが、凝縮が起こった7月8日でした。





 向日が丘支援学校の先生からは、「ホントに宇宙の研究を楽しんでなさっているんだなあと、生徒にも良く伝わったと思います」と言っていただけました。ええ、宇宙はロマンチックです。





2019年6月7日金曜日

花山天文台90周年と一般財団法人花山宇宙文化財団設立

こんにちは、広報・サイエンス担当の野上です。

せいめい望遠鏡のサイエンス観測は今年2月に開始され、現在着々と観測がなされています。そうは言ってもまだまだ観測開始直後の望遠鏡、いわばよちよち歩きの状態です。実際に観測をしてみないとわからなかった不具合の対処を含め、各種の調整とサイエンス観測を並行して進めています。どういう成果が上がってきているかは、またいずれ報告したいと思いますので、今しばらく楽しみにお待ち下さい。

さて、岡山天文台の運営のために予算の大半が削られた花山天文台は、1929年の設立です。そう、今年は設立90周年の年です。また、花山天文台の今後の運営を検討する任意団体として、元京大総長の尾池和夫氏を中心とした花山天文台の将来を考える会というのが
ありましたが、これを包摂するかたちで、今年4月1日より一般財団法人・花山宇宙文化財団が発足しました。香川県高松市に本社を置く、クレーンや高所作業車の世界的メーカーである株式会社タダノが会社設立100周年を迎え、その記念事業として毎年1000万円を10年間寄付していただけることになりました。
それをもとに、任意団体から一般財団法人となったわけです。

花山天文台90周年と一般財団法人・花山宇宙文化財団設立を合わせてお祝いしようということで、6月2日(日)に記念式典と講演会が行われました。そのお知らせはこちらhttps://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/education/90th/です。記念式典は京都大学大学院理学研究科附属天文台台長の一本さん(4月1日付けで柴田さんから交代しました)の挨拶、山極さん@京大総長、平島さん@京大理学研究科長、山下さん@京都府副知事、村上さん@京都市副市長、渡部さん@国立天文台副台長の各氏の祝辞と続き、多田野さん@株式会社タダノ代表取締役社長への感謝状の贈呈で終了しました。
その後の講演会は、柴田さん@京大理学研究科教授の「花山天文台の歴史と将来」、尾池さん@花山宇宙文化財団理事長・元京大総長・京都造形芸大学長の「花山天文台と京都盆地の自然」、多田野さんの「株式会社タダノと花山天文台」という内容でした。このイベントの参加者は152名にのぼり、非常に盛況のうちに幕を閉じました。記念式典後の記念写真を最後に付けておきます。

その後に行われた祝賀会は、尾池さんの開会の挨拶、山田さん@東亜天文学会会長と懸さん@国立天文台准教授の祝辞、久保田さん@花山天文台OB・大阪経済大学名誉教授の乾杯の挨拶があり、さらにその後、西村さん@NPO花山星空ネットワーク理事長と長谷川さん@京都コンピュータ学院学院長の祝辞、多田野さんと岡村さん@花山宇宙文化財団理事(多田野さんとは高校の同級生で、財団とタダノをつないでくれた方)の掛け合い漫才のような挨拶と続き、柴田さんの閉会の挨拶で終了しました。こちらの出席者は90名でした。

せいめい望遠鏡はもちろんですが、花山天文台も多くの皆様に支えられていることを実感する会でした。ご参加いただいた皆様、そして今回ご参加はいただけなくても、いろいろなところで応援をしてくださる皆様に、心よりの感謝を申し上げます。

                 



話は変わりまして、今日(6月6日)ちょっと楽しいことがありましたのでご報告を。

今の時期は気候がよく、京大までの片道10kmちょっとを自転車で通勤することがあります。今日もそういう日で、帰りに四条にある珉珉で餃子や麻婆豆腐なんかをアテにビールを飲んで、気分良く自転車を押して帰ろうとしていました。すると、鴨川沿いで黄緑色の光に気が付きました。
しばらく見ていると明滅しており、ホタルと判明。鴨川でホタルって珍しいなあと思いながら近づくと、ぱっと飛んで私の自転車の前輪のスポークに止まり、また明滅を繰り返しました。ほっこりしながら歩いていると、もう一匹、ホタルが目に止まりました。これも近づくと、前輪のスポークに止まります。ホタル二匹とすご~くいい気分で長い道のりを歩いて帰ることができました。その時の鼻歌は、そうコレ!斉藤和義の「歩いて帰ろう」

帰り道 あかりがゆらり 蛍かな
雲間から 星空覗く 初蛍
鴨川を 歩き鼻歌 蛍かな





2019年5月24日金曜日

数字で見る交通死亡事故

 プロマネの栗田です。

 最近痛ましい交通死亡事故が連日のように報道されています。報道が増えたことで事故の悲惨さが顕在化していますが、統計的にみるとむしろこれまでなぜもっと報道されなかったのかという思いにも至ります。
今回は様々なデータで交通死亡事故を眺めてみたいと思います。

 まず、そもそも交通事故の死者には時間的な定義があります。事故発生後24時間以内に死亡した場合(24時間死者)を「交通事故による死者」と数えることが一般的で、もう一つの30日以内を30日以内死者として数えます。たとえば先日5/10の愛知で起きた事故では2歳の子を残して母親が3日後に亡くなりました。この場合24時間死者にカウントされません。詳しくは以下をご覧ください。
https://www8.cao.go.jp/koutu/taisaku/h26kou_haku/zenbun/keikaku/sanko/sanko03.html
ともかく報道されることなく毎年およそ1000名の方が同じ交通事故で亡くなっているということを覚えておく必要があります。

 次に事故と死傷者の推移は以下の第1-1図に良くまとめられています。
https://www8.cao.go.jp/koutu/taisaku/h28kou_haku/zenbun/genkyo/h1/h1b1s1_1.html
ここで死者数(24時間死者)=青線は昭和45年ころの第一次交通戦争にて16,765人のピークをもち、平成3年ころの第二次交通戦争の後は順調に数を減らしています。ここで注目すべきことは事故発生件数のピークは平成16年であり死者数のピークと一致しないことです。一方で負傷者=水色線の推移は事故数に良く同調しています。死者数の減少はシートベルトの着用と強く関連していそうです(その裏付けとして、着用に対して未着用の死亡確率は10倍以上というデータがあります)。昭和60年ころに着用が義務化され、同乗者への着用の義務化と未着用時の警告音の義務化が順次施行されます。これにより搭乗者の死者は減ったといえると思います(本来は着用率と死者数の推移を比べればいいのですが、義務化前は警察が着用に興味が無かったのかデータが見当たりませんでした)。また24時間死者の割合が全死者に対して微減していることから救急医療制度の発達も一助となっていると想像します。同時に、エアバックの普及は平成元年ころから急速に高まり平成12年ころにはほぼ100%になっており減少に大きく貢献しているもののさらなる効果を期待しにくい状況です。事故数と負傷者のピークが平成16年にある理由は不明です。以下にあるように自動ブレーキなどは平成24年ころから普及し始めているのでこのピークと一致しません。この点については後述します
なお図1-2にあるように車の保有台数自体は近年はほぼ横ばいであるので、事故数や死傷者の減少はシートベルト義務化と技術改善の成果と言えます。

 続いて死者の内訳を見てみたいと思います。以下の資料のP11 を見てください。
https://www.npa.go.jp/toukei/koutuu48/H29siboubunnseki.pdf
このグラフは死者のうち車に搭乗していた人とそれ以外の人の推移です。歩いている人や自転車に乗っている人が単独事故で死亡するケースはほとんどなく二輪車も含めて多くが自動車と衝突して死亡したと見ることができます。ここで注目すべきは自動車の搭乗者の死亡より多くの人が車との衝突で死亡しているという点です。運転中に自分が死ぬ危険性には意識が向きがちですが、実態はむしろ自分の運転で他者を殺してしまうかもしれないことに主眼を置くべき状況です。この傾向は交通戦争のころは顕著だったのですが、昭和60年ころまでにはガードレールや歩道橋などにより歩車分離がすすみ改善しますが(P4と6を参照)、H19年では再度逆転します。これはさきほど述べたようにシートベルトの着用、エアバックの普及に伴い搭乗者はより安全になっていったのですが、自動ブレーキや対人衝突安全技術が歩行者に対して進んでいないことを意味します。実際に搭乗者の死者の減少はそれ以外の死者の減少より顕著です。
より分かりやすいデータは以下のP2の左上の棒グラフです。
http://www.mlit.go.jp/road/road/traffic/sesaku/pdf/2-2-1.pdf
G7加盟国のうち日本は搭乗者の死亡率はトップ(安全面で優れている)でありながら歩行者と自転車に対しては最低です。日本の車社会がいかに車優先かということも理解できるかと思います。

 最後に責任論について考えてみると、犠牲者を減らすには運転者と歩行者がそれぞれルールを守るという義務が課され、果たさない結果として交通違反の罰則として責任生じます。ただ、交通ルールを守っていても操作ミスなどで死亡事故を起こすのが実態で、その場合は事故後の責任として責任を問われます。犠牲者の数を減らすという観点では運転者と歩行者の責任では頭打ち状態です。近年の死者数の減少はむしろ責任を問われない行政とメーカによるところが大きいことがこれまでの数値で分かります。



2019年5月10日金曜日

あまかけるはし

 惑星観測装置担当の山本です。

 令和に改元されて、初めてのブログ記事ですね。春先で、おめでたいムードで、何かと喜ばしい雰囲気になっているのは、平成への改元の記憶がほとんど無い身ではありますが、なかなか良いなと思いました。令和という文字も、昭和平成とこれまでなじみのあった文字がなんとなくみっちりとしているところで、ちょっとシュッとしたダイヤモンド型で、ちょっぴり格好良いともおもいます。「れいわ」と言う響きも新鮮でまた、「018」な当て字にでき、西暦から(2)018を引くと元号が簡単に計算できる、と言うのもなかなか実用的なトリビアですね。発見した人のようなやわらかい発想が出来るようになりたいものです。まあ、できるだけ公文書や書類は今後、西暦に合わせてもらった方がありがたいとも思いますが。

 5月1日が「即位の日」ということで本年のみ特別に祝日になったということで、(以前は)5月4日にしか意味のなかった「祝日に挟まれた日も祝日とする」という祝日法がその威力を発揮し、史上初の10連休になったわけですが、私も10日間しっかりお休みにさせていただきました。実家に帰ったり大文字山にハイキングに出かけたり、かなり有意義に過ごした気がしますが、さらに普段出来ないこと、と言う事で、天橋立まで行ってきました。


天橋立。傘松公園より南を望む

 天橋立は初めてでは無く、ウン十年前、まだ小学生だった頃に、祖父母に連れられて訪れた記憶があります。とは言っても本当に訪れたと言う記憶があるだけで、どういうルートで、どこにいって、どこでどうした、と言う様な記憶はほとんどありません。愛知の実家から新幹線で行ったのですが、おそらく最寄りの三河安城駅で京都方面の列車を待っているときに、通過の新幹線にびっくりして泣いてしまった、と言う話を祖母から何度もされたことが、一番覚えていることだったりします。はて、どんなところだったか。

 京都に移って十年の半分くらいの時間が過ぎたのですが、これまでは電車バスでの移動しかありませんでした。なので基本的に滋賀や大阪、京都盆地の縁と底をウロウロするのが週末の楽しみでした。ですが最近、自動車を運転する機会が増えてきたのでこのたび、せっかくだから日本海の方まで行ってみよう、と言う事になったのです。そういえば、話はそれますが、京都から離れたところに住んでいると、京都府にも海がある、と言うのがあまり身近では無くなんとなく違和感があったのですが、関西に越してくると周辺の地理にだんだん詳しくなってきて、Googleマップなど見ながら京都は海まで含んで当然、と言う感覚になってきて、それからさらに京都市内に越してくると、逆に京都に海がある、と言う感覚が遠のいて行く感じがします。京都の街は山に囲まれ端から端までが見渡せる、非常にこじんまりした土地で、大文字山や比叡山に登っても、大阪の平野の方へ抜けている感覚は持てますが、その逆、北の山のその先に海があるのが、なかなか実感できませんでした。まあ今回天橋立に行ってみて、その感覚が強まった感もあるのですが。

 子供の頃の旅行では、新幹線とおそらく在来線を乗り継いで訪れた天橋立。今回は京都縦貫道などを使って車で向かいました。いやあ、南丹を越えた辺りからの風景は、なかなか素晴らしいものがありました。整備された一車線の高架道路、ぽつりぽつりと現れる、どういう暮らしをされているかの想像が広がる一軒家、この時期木々によって違う緑に染まっている山、山、山。普段山に囲まれ、山は見慣れていたつもりでしたが、京都はここまで山なのだなぁ、と思いました。少し天候に恵まれなかったGW前半と比べ、日差しもよく、車も長い列を作っていました。ナビの予測では1時間半程度で着く予定だったのですが、実際に天橋立の駐車場に止められるまでにほぼ4時間半。なかなか大変でした。

 とはいえ、先ほど言ったように非常に天気が良く、この人出も納得でした。実際に来るまでは、いまいち天橋立の魅力が分かっていなかったのですが、3キロ弱に渡って続く白い砂浜と、1万本近い松並木、砂浜から上がってすぐ反対に見える阿蘇海。行き交う人も多いのですが、車などからは離れているので、結構静かで、また日差しも松並木から抜けてくるのはやさしく、北から海を渡ってくる風も爽やかに駆け抜けていくので、非常に良いです。ほぼ高低差が無く長い距離が歩けるのも気持ちが良いです。またそれぞれの岸からモーターボートや遊覧船がでており、少し離れて松並木を眺めるのもなかなか綺麗ですし、モーターボートもアトラクションのようで楽しかったです。また、まったく記憶に無かった小天橋は、驚きました。これだけ特徴的であれば子供ながらに覚えていても良さそうですが、他のことに興味があったんでしょうかねぇ。




小天橋。大型船を通すために橋が回転する

 地上から散策するのも魅力的ですが、やはり天橋立と言えば股覗き。一宮側の傘松公園にリフトで登り、実際に体験してみました。

天橋立股覗き。昇竜観という名前もあるという

 股覗きだから何なのだろう、と言う感は若干ありますが、体と足で作るフレームと、地面に近い位置からの画角、と言う事で、なんとなく新鮮な見え方がするきもします。海と空が近いし、確かに空に架かる橋のようにも感じられます。じつはこの股覗き、「人を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して贈られるイグノーベル賞、に繋がる研究がなされています。この研究では、単に画像を上下反転するのでは無く、体勢を上下逆さにすることで、人間は距離感がなくなってしまい、風景を平面的に見てしまう、という効果によるものだ、という発見をしました。立体的な奥行きのある風景では無く、絵画のように平面的に観てしまうため、空と海の区別が感覚的につきにくくなり、結果空に橋が架かっている様に見えるそうです。

 どんな研究も、疑問や謎を発見する、その感覚が重要です。私も日頃からアンテナを張って、研究に生かせるよう、日々楽しく生きて行こうと思います。

 それではまた。




 

2019年4月26日金曜日

アナログ麻雀


 光学など担当の岩室です。

 今回は麻雀の話です。麻雀をご存知ない方はかなり意味不明な内容だと思いますがご了承下さい。

 「麻雀」と言えば昔は学生の社会勉強のツールの1つとして、私の感覚では学生の4人に1人位はやっていたように思いますが、近年では麻雀のようなアナログ的な遊びは減り、京大周辺に山ほどあった雀荘もほとんど見かけません。ネットによると、麻雀人口は現在も減少中で500万人程度との事ですが、3040年前のピーク時は雀荘数も現在の4倍あったとのことなので、麻雀人口も2000万人とまでは行かなくても1000万人以上はいたものと思われます。社会勉強のツールとして、場合によっては就職時に役に立つ可能性があったという事もこの数字であれば納得できます。

 私が麻雀を覚えたのは小学校3年の時(1974)ですが、本格的に打ち込んでいたのは学部生〜院生時代です。まあ、ここで個人的な事を書いてもつまらないので、私の経験上、麻雀を打ち続けると人間はどのように進化していくのかを書いてみます。

レベル0:ルールだけ覚えた初心者でやたら見栄えの良い手を目指す
レベル1:手牌だけ見た際の手作りの方針がある程度見えてくる
レベル2:場に出ている残り牌数も顧慮して最善の手作りが選択できる
レベル3:防御を意識した手作りができるようになる
レベル4:場の空気を意識した手作りをできるようになる
レベル5:個々の相手のクセや性格まで顧慮した読みができるようになる
レベル6:相手3人と卓上全ての情報を完全に掌握し神レベルの判断ができる

 麻雀は運任せの捲り合いのような印象を持たれて居る方も多いかと思いますが、私の持論では「攻撃は運、守備は実力」です。ここで言う「守備」は危機を察知して安手で流したり、他人にその役を負わせるような流れを作る事も含みます(攻撃的守備というやつです)。即ち、守備にはかなりの観察眼が必要で、レベルが高いメンバー同士だと時には阿吽の呼吸で連携した守備となることもあります。

 上記レベルをゲーム風に攻撃力/守備力の数値として表現すると、

レベル0:30/ 0
レベル1:60/10
レベル2:90/20
レベル3:80/40
レベル4:70/60
レベル5:70/80
レベル6:80/99

という感じで、実は攻撃力は結構早くに頭打ちになって、守備を考えない状態が攻撃力が最も高く、守備を加える事で攻撃力は低下します。それに対し、守備は極めて難しく、守備力=相手を観察する時間+麻雀理論+メンタリスト的能力の数値となります。初めに相手が配牌を見た時の表情、手牌並べ替えの速さ、対局中の目線、言動を含む挙動の違和感など、捨て牌以外にも様々なところを観察して、相手の手役が自分の手役より高いのか安いのか、相手の手役の進行状況は早いのか遅いのかなどを読み取らなくてはなりません。
メンタリストの daigo が麻雀をするのかどうかは知りませんが、彼が麻雀をしたらさぞかし強いのではないかと想像します。麻雀が強い人というのは非常に多くの回数を打った時に平均的に強く、ほとんど大負けをしません(他3人のツモり合戦になった時のみ大負けはあり得ます)

 麻雀を囲んで最も面白いのは、上記レベル2〜4だけでの対戦の場合です。レベル1の人は常識通りに手作りを進めないことも多々あるので、捨て牌や表情から手役を読むと読んだ側が痛い目に合うことがあり、麻雀の面白さが半減します。まあ、新人教育という意味で1人まででしょう。逆にレベル5以上の人が多くなると、化かし合いの心理戦の様相になります(プロのリーグ戦は多分このレベルでしょう)。こうなると結局は墓穴を掘る人が現れず、運任せの捲り合戦になって精神的にかなり消耗します。それに対し、レベル2の人は攻撃力も上がって一番楽しい頃でしょうから、そういう人を観察しながらうまく場を制御して、危険な勝負は人に任せて(もしくはそうなるように仕向けて)安全で確実性の高い勝負のみを制して流れを自分に持ってこられたら、これぞ麻雀の醍醐味と言える瞬間です。

 近年、上記のようなアナログ的麻雀をする機会はめっきり減り、ここ数年はネット麻雀のみです。ネット麻雀の悪い所は、相手の様子が全くわからないため、場の空気が半分も読めない事です。私は自身では上記のレベル 4.5 だと思っていますが、ネット麻雀ではレベル3が上限の戦いになります。対局が早いのはいいのですが、醍醐味はありません。隠居したら、またアナログ麻雀の場に戻って楽しみたいなと考えております。因みに私はネット麻雀では1年ほど前から「REVOを使っています。氏名から平仮名で4文字を抜いた名前で東南戦特上卓でたまに夜中に参戦しています。無料会員だと全て6秒以内に判断しないといけないので、常に2通り以上の展開を想定しておく必要がありますが、特上卓は大体が上記のレベル2〜3での争いなので、醍醐味はなくてもまあまあ遊べます。

おまけ1:
麻雀に関して更に詳しい人のために、各レベルのもう少し詳しい解説を付けておきます

レベル0:国士無双、四暗刻、字一色は皆さん目指しましたよね
レベル1:辺張<嵌張<両面を意識してやたら中央に寄せた手作りをします
     鳴き仕掛けの場合は対々や混一の比率が格段に上ります
レベル2:手役よりもスピード重視の傾向になります
     役牌は必ず一鳴きで基本的に全局攻めです
レベル3:ある程度の押し引きや回し打ちができるようになります
     親の安全牌を顧慮して雀頭や塔子を残したり自風を長く持ったりします
レベル4:この辺りから自分の手よりも相手の様子の観察時間の方が上回ります
     当たり牌になりそうな牌をそうなる直前に切り出す事を意識するようになります
レベル5:レベル2の相手の手の内が大体見えるようになります
     場の危険度を早々に察知するのでこのレベルが2人居ればまず役満は出ません
レベル6:私はこのレベルの人には過去に2人しか出会ったことがありません
     超人的な判断力は理解不能で完全伏牌であっても手積みで勝負しては絶対ダメです

おまけ2:
スーパーヅガンが懐かしいですね。豊臣くんとか結構言う事は正しくて共感が持てるのですが、あの気の毒感がいいです。
ぎゅわんぶらあ自己中心派もその時々の話題のツボが麻雀と融合していて面白かったです。80年代の世相をご存知の方で麻雀が好きな方は、是非一度読んでみるといいと思います。

2019年4月12日金曜日

マルチメッセンジャー天文学事始:高エネルギーニュートリノ源天体探査狂騒記


201941日は、新年号「令和」の発表で大騒ぎであったが、重力波業界では、米国のアドバンスド・ライゴ(advanced LIGO)とヨーロッパのアドバンスド・バーゴ(advanced VIRGO)等が連続観測を開始し(O3ランという)、連星ブラックホールや連星中性子星の合体による重力波がこれまでにない高い頻度で検出されるだろうということで、興奮状態の人が多いようである。J-GEMチームでもこの日から毎晩当番を決めて終夜待機ということになっている。この文章は当番中に書いている。

前回、「次回はマルチメッセンジャー天文学の一端として、私自身がかかわってきた、観測のドタバタ劇(突然出現し、かつ、これまでとは違う局面が多く、ドタバタ劇となってしまう・・・)の一部を紹介し、3.8m望遠鏡への期待を書こうと思ったのであるが、(中略)次回以降にいくつか紹介しようと思う。」と書いたので、高エネルギーニュートリノ源の可視対応天体探しの話の一部を一席。

時は、2017923日朝(日本時間:土曜だけど秋分の日)、千葉大学の吉田さん(IceCube実験をしている方)からメールが来て、下記の図と共に、「これは、かなり信号くさいイベントです」とのこと。これに対して、米国ペンシルバニア州立大学の村瀬さん(高エネルギー天体物理の理論家)も、「これはかなり綺麗なイベントですね」とのコメントメール。そこで、我々は兼ねてからの手はずでこのニュートリノ源の可視対応天体探しを開始することにした。

ニュートリノ源の位置の不定性は角度で1度ほどあり、通常の可視望遠鏡ではこのような広い視野をさっと観測することはできない。しかし、高エネルギーニュートリノ源の候補としては数種類の天体種族が有力であるので、我々は、これらの種族のうちBLAZAR(ブレーザー)と呼ばれる活動銀河核をねらうことにしていた。高エネルギーニュートリノの100%BLAZAR起源ではないことは分かっていたが、20%くらいはこの種族である可能性が指摘されていた。5回に一回位は正解かもしれないというわけである。また、BLAZARは1平方度に数個程度しか存在しないので、個別に観測していくなら視野の広くない望遠鏡でも、増光しているかどうか観測することができる。

まず、すばる望遠鏡を利用することを考えたが、しばらくはToO観測をかけられない期間であったので断念。大学関連携ネットワークを用いて、いくつかの望遠鏡に観測依頼するも、天候にも恵まれずあまり観測できなかった。広島大学の田中氏は、かなた望遠鏡(1.5m)を用いて翌夜から近赤外撮像観測を行なった(実際の観測は院生が行なった)。院生は、慣れないデータ解析に手間取ったそうで結果はすぐには分からなかった。926日には私は国立天文台三鷹に出張だったが、その場で田中氏と落合い、かなたで観測・データ処理を行なっていた院生から結果報告をメールで受け取った。あるBLAZARで増光か減光が見られたとのメールだった。増光か減光か分からない理由は、どの日に撮った画像からどの日の画像を差し引いたかわからなくなったからだそうである。嗚呼なんてこった。その院生は今からゼミ合宿なので、確認作業をする時間がないと言うので、お手上げ状態となった。しかし、いずれにしても変光しているということである。田中氏は、ガンマ線衛星Fermiのデータのアクセス権があったので、27日に、この「変動」BLAZARの最近の明るさを簡易的にチェックしたところ、なんとここ2-3ヶ月ほど大きく増光していることが判明した。慌てて天文電報(昔は本当に電報だったが、今はメールで)ATELに速報を出した。そうだとすると可視でも激しい短時間の変光があるかもしれないので、28日には院生の磯貝君に頼んで、京大屋上の40cm1分程度の露出を繰り返して撮像することを試みた。が、残念ながらさほど激しい変動は見られなかった。上記ATELの結果を見てか、29日にはASAS-SNチームが、ここ数年の期間でみると、可視では最近明るい状態にあることを報告してきた。

 ところで、9月末はGEMINI望遠鏡の観測申し込みの締切があるし、105日にはすばるのサービス観測の締切があるので、これで追究観測を行う提案を書くかどうか思案していた。この天体はほとんど無名の天体だったので、これについて例えば分光データがあって赤方偏移(距離)が決まっているのか、といった情報を収集しないといけない。系外天体のデータベースであるNEDには何も載っていなかった。分光データは距離を求めるのに必須なので、西はりま天文台のなゆた望遠鏡(2m)やかなた望遠鏡に分光観測を依頼して、930日には結果をもらったが、特徴的な線は見えず、なんだかよくわからない。やはりすばるに申し込むべしとプロポーザルを準備していると、103日に、宇宙研の井上氏が、あるカタログにはz=0.336と書いてあると言い出した。でもよく調べると、その根拠がはっきりしないので、そのカタログの著者に直接問い合わせたら、「出所不明」との返事。これがすばる締切1分前。相手の天体は14-15等級というすばるにとっては非常に明るい相手なので、世界に先駆けてとっとと距離を出そうと意気込んで、知り合いを伝ってすばるで少し分光することになった。だが、何の線も見えなかった。このことはBLAZAR種族の中でもBL Lac型であることを示していることになって一定の結論は出たものの距離は決まらなかった。距離はそれから数ヶ月後10m望遠鏡で10時間も積分してようやく判明した。なぜか赤方偏移は0.3365と、上記ガセネタはガセではなかったのかもしれないが真実は藪の中。105日のすばる締切直後にMAGIC望遠鏡でこの天体からのガンマ線を検出したとATELに流れた。その後、Fermiのデータでいろいろと詳細な解析が行われ、4シグマ位の確率でこの天体が起源天体と考えられることがわかってきた。

太陽、超新星といった比較的低エネルギーのニュートリノはこれまでも検出された例があるが、これらより何桁も高いエネルギーのニュートリノ源の同定は(ほぼ)初のことであり、しかも約40億光年もの彼方の活動銀河核であることがわかった事は、非常に大きな一歩と言えるであろう。
  
太田 20194月4日
]
追記:49日、O3の最初の重力波検出があり、重力波の解析からは、距離約50億光年の連星ブラックホールだったらしい。




IceCube 170922イベント (世界時なので922日)




2019年3月12日火曜日

水金地火木ドッテン


リーダの長田です。

今年の広島カープのキャッチフレーズは、上記の表題に「カープ」が続くとか。家族のように同じ方向に公転する太陽系の惑星に、家族のような絆で3連覇を遂げた広島球団をなぞらえたのだそうです。もちろん、オリジナルは「カイ」が続きます。(「カイメイ」とPluto冥王星まで入れたバージョン、Mercury水星、Venus金星、Earth地球、、、と入れた My Very Educated Mother Just Showed Us Nine Planets は、米国ではまだ健在かも知れません。)

この手の語呂合わせって、赤橙黄緑青藍紫(セキトウ、オウリョク、セイランシー)というのもあります(私は松田聖子ちゃんの歌で初めて知りました)けれども、こういうふうに7色にするのはニュートンがドレミファソラシという7つに当てはめただけで、世界では虹の7色という文化は少ないのだと聞きました、たしかNHKのチコちゃんから。そう言えば、音階も世界的には47抜きの5音音階が多いですよねえ。(なお、英語ではRoy G. Bivさんという人名にする覚え方が多いらしい。)

語呂合わせと言えば、天文学ではやはりOh, Be A Fine Girl, Kiss Meでしょう。恒星のスペクトルが、高温の青いものから低温の赤いものにかけてO型、B型、A型、F型、G型、K型、M型、と続くためでした。どうやらこれはHR図(図を参照)のRさん、つまりラッセルが発明したもののようです。ただ、男ばかりの天文の学界での語呂合わせではポリティカルにコレクトでなくなってきて、Only Boys Accepting Feminism Get Kissed Meaningfullyというのも出版されたようです。(そもそもこのスペクトル型というのが見いだされたのはキャノン女史らのおかげだということは置いておいて。)
一方で、M型よりもさらに低温の星が見いだされ、世紀の変わり目のあたりでL型、T型、Y型と名付けられ、これらのうち2つまでを入れ込んだ語呂合わせとして上記の文に続けてLovingly Tonightとなるのをウェブで見つけました。

かつてはこれに炭素星というちょっと珍しいスペクトル型としてR型、N型、S型があり、Right Now. Smack(今すぐ、チュッ)もあったはずですが、炭素星の分類は通常、C型とS型になったためか、すたれてしまいました。

さて、その炭素星が、せいめい望遠鏡の天文観測プログラムのトップバッターとして228日に観測されました。炭素星の中でも特殊な星で、13Cの同位体(普通の12Cに対して)が多いそうです。炭素星というのは、ヘリウム原子核4He3つくっついて12Cになる反応が暴走してそれが対流で星の表面に出て来た結果のはずなのに、こういう13Cの多い光球がどういう恒星進化の末にできるのか、やっと研究が進み始めた分野だと聞きました(連星が関与しているらしい)。せいめい望遠鏡のこれからに、どうぞ御期待ください!



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2019年2月22日金曜日

せいめい望遠鏡完成記念式典&祝賀会を開催しました!

こんにちは。広報・サイエンス担当の野上です。

せいめい望遠鏡が完成しました!という式典と祝賀会は昨年7月27日に行なうことになっていましたが、同月の大水害により延期ということになりました。そして先日、2月20日(水)についに開催されました。式典が15時からせいめい望遠鏡のドーム内で、祝賀会が17時から倉敷アイビースクエアでした。また、ドームの面積の制限により参加者数が限られてしまうため、浅口市健康福祉センターの多目的ホールで式典の中継放映を行ないました。さらに岡山まで行くのは難しいという方のために、京都駅のすぐ近くのキャンパスプラザ京都でも中継放映を行ないました。
また、せっかくなので「光赤外線大学間連携の意義とその成果、および京都大学岡山天文台せいめい望遠鏡の共同利用の開始について」の記者発表も行ないました。

参加者はこちらから招待状をお送りした方のみということにしましたが、その招待状をお送りした方は700名以上!天文学の現役の研究者はもちろん、既に退職された方や京大宇宙物理を卒業して就職した方、京大総長や理事、せいめい望遠鏡の建設にご協力いただいた工学系の研究者や企業の方々、文部科学省の方々、地元岡山県・浅口市・矢掛町などの国会議員や首長、議会、役場の方々、地元企業の代表者や地元の小中学校の校長などです。
そして京大附属天文台に多くのご寄付をいただいた方々や、せいめい望遠鏡の愛称を募集したときに「せいめい」でご応募いただいた、言わば名付け親の方々にも招待状をお送りいたしました。そして、式典と中継会場、祝賀会で、かぶりなしで約300名の方でお祝いをすることができました。そのうち、スタッフ側としては、京大附属天文台や宇宙物理学教室の教職員、京大本部や理学部の事務方、大学院生、学部生などなど、約70名程度でした。現地で参加はできなくとも、お祝いのメッセージを送っていただいた方々もおられました。ご参加いただきました皆様、そしてスタッフの皆様、本当にありがとうございました。そしてお疲れ様でした。




記者発表と式典には14社、25名の報道陣が取材に来られ、その日のニュースや次の日の新聞で取り上げられました。こちらで把握しているwebでの報道情報をまとめておきます。いつリンク切れになるかは各社の都合になりますので、リンク切れはご容赦を。

NHK京都

NHK岡山

RSK山陽放送(TBS系)

KSB瀬戸内海放送(テレビ朝日系)

讀賣新聞

日本経済新聞

産経新聞

共同通信

山陽新聞

山陽新聞


この式典に関しては、京大内で全学経費として予算の措置をいただいたことも記しておきます。

さて、式典は終了しましたが、せいめい望遠鏡の観測はこれからがスタートです。
皆さんのご期待に応え、いろいろな宇宙の謎を解明し、次世代の人材を育て、地元の発展にも貢献できるよう、努力を重ねていきたいと思います。これからもどうぞよろしくお願いします。