2017年4月21日金曜日

世の中に絶えて桜のなかりせば

春の心はのどけからまし、というが蓋し名歌である。3月半ばも過ぎると落ち着かなくなってくる。開花時期と満開時期はいつだろうか、どこへ行こうかと。
御所の北の近衛邸跡地付近の枝垂桜はやや早咲きで、まずはこれを見に行く。何本かの枝垂桜があるが、いずれも見事な枝ぶりに色も少しずつ違って、見ごたえがある。数日もすると染井吉野が盛りとなり、北部グラウンド横の花折断層を登って疏水分流を南下する。銀閣寺道までくれば桜のトンネルで、疏水の水路に枝が伸び出した様は風情がある。哲学の径までくると、桜だけでなく、雪柳とレンギョウが白と緑と黄色のコントラストをなして競うように咲いている。雪柳とレンギョウは何故か並んで咲いていることが多いような気がするのは気のせいだろうか。更に哲学の径を南下して大豊神社前までくると、これまた立派な桜の木があって、人気のスポットである。大豊神社に寄り道すると、遅咲きの見事な枝垂梅が見られることもある。若王子で哲学の径を離れ、永観堂前を通って、野村別邸碧雲荘の西側までまわると、そこは紅色の枝垂桜のちょっとした並木道である。しばし呆然として眺めいる。気を取り直して、桜並木を通り南禅寺門前を経て、蹴上インクラインまで歩く。ここも桜のトンネルである。少々歩き難いが、インクラインを上がっていくと、桜だらけの京都市内を一望することができる。歩き疲れたので今日はここまで。この先、蹴上を踏み越えて山科疏水まで行けば山桜の古木が多く、また違った風情が楽しめるが、また明日にでも。
さてそれから暫くすると京都の北の方の桜も咲き始める。土日に時間があれば、京北の常照皇寺へ。有名な御車返しの桜(一重と八重が一枝に咲く)は今はもう老木でほとんど咲かないようだけど、九重桜の巨大な枝垂桜もあるし、御所から株分けしたとかいう左近の桜もある。これでシーズン終わりかなと思うが、まだ御室桜は大丈夫かも、ああ忙しい。と、いうのが理想的なのだが、実際にはそんなに花見ばかりしてられない。やはり、世の中に桜がなければ春の心は落ち着くに違いない。


太田 2017412日 




この写真は家の近くの桜



 

2017年4月7日金曜日

立ち止まって考える

 先週の火曜日(328日)、岡山地裁である裁判の判決が出されました。岡山短期大学に勤める山口雪子さんが、視覚障害を理由に授業担当からはずされたことに対し、短大の運営法人を提訴した裁判の判決でした。岡山地裁は彼女の訴えを認め、大学側の措置無効の判決をくだしました。大学側は控訴するかどうか検討中と新聞にありました。
 じつは私は、前からこの裁判に興味をもっていまして、昨年11月に開かれた口頭弁論も傍聴しました。じつに得難い経験でした。傍聴して考えたことはいろいろありました。たとえば、「障害のある先生から障害の無い学生が学ぶ意義」「ふだん自分が使っていない感覚を研ぎ澄ます」といったテーマです。これらは畢竟「教育とは何か」という普遍的テーマにも結びつきます。「学びの拡げ方」といったほうが適切かもしれません。それは、自分は今まで学びや教育を狭くとらえていたのではないかという反省につながります。
 天文学は、地上の(理系)学問とちがって、対象を直接、手にすることができません。望遠鏡で得られる画像は見ることが中心ですから、視覚障害者の学びは困難とも言えます。ところが一方で、現代天文学はブラックホールやダークマターなど、眼に見えない存在が、じつは宇宙の中で大切な働きをしていることを明らかにしてきました。宇宙の学びに、眼が見える、見えないはさして大事なことではないのかもしれません。では視覚以外の感覚を使って、どう宇宙を学んでいくか。前々から考えているテーマです。

 春がきました。ぽかぽか暖かい日差しの川沿いの道をたどりながら、道ばたの菜の花に触れ、そよ風を感じ、小川の流れにじっと耳を傾けてみました。眼で見ていながら、見逃していることがたくさんあることに気づかされます。ゆったりと豊かな時間が流れていきました。

(嶺重 慎)




5月の上高地に咲く花



2017年4月3日月曜日

老眼

最近、細かい文字がよく見えない。
と言っても本や新聞の文字が読めないという訳ではなく、もっともっと細かい文字の話。

望遠鏡の制御関係を担当してることもあって電子部品をよく使う。
ご存知のように電子機器は小型化の流れが進んでいるので、研究開発の分野でも扱うのも多くがチップ部品と呼ばれる極小の部品たち。
よく使う抵抗などは1.6×0.8mmというサイズで(これでもスマホやデジカメに入っている部品と比べたら十分に大きい)、表面には抵抗値を表す3桁の数字が書いてある。
1文字当たりの大きさは高さ0.6mm、幅0.3mmくらいだと思う。
20歳くらいの頃は難なく読めたけれど、30歳頃から38の区別が怪しくなって、最近では虫眼鏡の力を借りないと自信がない

老眼というのは眼のピント調整を行う筋肉が衰えて、近距離でピントが合わなくなる病気。
一般的には4050歳頃から自覚症状が出ることが多いのですが、実は10歳台の頃からピント調整能力の低下は進み続けているらしい。
4050歳頃になると、人が物を手に持って見る30cm程度の距離でピントが合わなくなり、生活に支障が出て気がつくという流れ。
先に述べた電子部品の例では極端に小さな文字を近距離で見ようとしたため、20歳代でも老眼に進みに気が付いたわけです。

視覚と同様に聴覚も歳とともに衰える。
人の耳は鼓膜を震わせた音が耳小骨を経て蝸牛管という渦巻状の空洞で共振を起こし、それを聴覚神経で感じ取って脳に伝える構造になっている。
高い音は波長が短いので渦巻きの入り口付近で共振し、低い音は奥の方まで伝わって共振するので、どの位置にある聴覚細胞が反応したかで音の高さが分かる。
歳をとると高い音が聞こえなくなるのは入り口付近の細胞からダメになっていくから。
若い頃は20kHzまで聞こえるけれど、40歳台では15kHz程度、60歳台では10kHz程度まで衰えると言われている。
学生に向かって「昔はテレビのブラウン管の音(水平走査周波数の15.75kHz)がはっきりと聞こえたけど今は怪しいなぁ。」と話したら「ブラウン管のテレビ自体を見たことがありません。」と返答されたことに一番歳を感じる今日この頃だったりします。


201743日  木野


大きさ1.6×0.8mmのチップ抵抗。望遠鏡の制御回路にもこのような部品が多数使われている。
103というのは初めの2桁が数値、最後の1桁が乗数なので10×103乗=10kΩの意味。