2018年11月30日金曜日

マルチメッセンジャー天文学事始:マルチメッセンジャー天文学って何ィ?


マルチメッセンジャー天文学。聞きなれない言葉かもしれない。宇宙を調べる手段として、隕石、惑星探査、宇宙線等を用いるアプローチもあるが、人類の歴史上、ほとんどは電磁波によるものであったと言ってよいだろう。特に、可視光、つまり目で見える光(可視光も電磁波の一種である)による研究は、数千年の歴史がある。1930年代頃から電波を用いた宇宙の探査が始まり、1960年代頃からは、赤外線やX線でも宇宙を探るようになってきた。その後、ガンマ線での観測も進み、今や、電波、赤外線、可視光、紫外線、X線、ガンマ線と、電磁波のほぼ全波長域での研究が行なわれている。

 近年、電磁波以外の宇宙を探る手段として、電気的に中性で透過力の高い素粒子であるニュートリノ(中性微子)と重力波が登場してきている。これらは、電磁波を含め、天体あるいは宇宙からの情報を伝達する役割を果たしていることから、伝達者(メッセンジャー)と呼ばれ、いろいろな伝達者という意味で、マルチメッセンジャーと呼ばれている。そして、これらを複合して宇宙を探る天文学をマルチメッセンジャー天文学と言うようになってきた。(今のところよい日本語訳がないので、カタカナで「訳」されている。)

 重力波については、米国のアドバンスド・ライゴ(advanced LIGO)という(2台の)重力波干渉計が2015914日(世界時)に人類史上初の重力波検出に成功し、質量が太陽の30倍程度のブラックホールの連星であることがわかった。重力波天文学の幕開けである。(1960年代にも重力波検出の報がいくつかあるが、現在のところそれを信じている人はいないと言ってよいだろう。また1970年代には、中性子星の連星を用いて間接的に重力波の検出に成功しているが、直接検出という意味では、初検出である。)その後、2017817日の検出では、電磁波による追究観測によって対応天体も同定され、約1億光年かなたの中性子星の連星の合体であったことがわかった。また、この合体によって、ある種の重い元素(金!やプラチナ!も)が作られたこともわかってきた。重力波天文台は、現在上記以外にヨーロッパのアドバンスド・バーゴ(advanced VIRGO)が稼動開始し、もうすぐ日本のカグラ(KAGRA)も参加予定であり、日常的に天体からの重力波を検出する時代になりつつある。

一方、電気的に中性の素粒子であるニュートリノ(中性微子)の観測も1960年代に始まり、太陽からのニュートリノを検出し始めた。1987年には、大マゼラン銀河で爆発した超新星からのニュートリノを、日本のカミオカンデ等が検出したことから、太陽以外の天体からのニュートリノも初めて検出され、本格的ニュートリノ天文学の幕開けとなった感があった。ただ、その後我々の近傍では超新星爆発もなく、太陽以外の天体からのニュートリノの検出はなかった。しかしここ数年の間に、南極にあるアイスキューブ(IceCube)が遠くの天体からやってくると思われる高いエネルギー(カミオカンデの9桁程度高いエネルギー)のニュートリノがいくつも検出されるようになってきた。2017922日(世界時)に検出されたニュートリノ(ニュートリノイベント)については、約40億光年の距離にあるブレーザーと呼ばれる活動銀河核の一種であることが(ほぼ)確実となった。この研究には日本の光赤外大学間連携のメンバーも本質的な寄与をしたのだけど、今日はその話はおいておく。アイスキューブの検出する高エネルギーニュートリノの起源天体探しは世界中で行なわれるようになり、いよいよ本格的なニュートリノ天文学の幕開けになるのではないかと期待される。

このように、21世紀に入って、伝統的な電磁波による天体の研究以外に、ニュートリノや重力波による研究が始まり、これまで人類が想像もしなかった宇宙や天体の姿が明らかになっていくのではないかと期待される。マルチメッセンジャー天文学の重要性が高まっていると考えられる。3.8m望遠鏡も、マルチメッセンジャー天文学推進の重要な望遠鏡になると期待されている。今回はマルチメッセンジャー天文学の一端として、私自身がかかわってきた、観測のドタバタ劇(突然出現し、かつ、これまでとは違う局面が多く、ドタバタ劇となってしまう・・・)の一部を紹介し、3.8m望遠鏡への期待を書こうと思ったのであるが、マルチメッセンジャー天文学とは何かということを書いているうちに紙幅も尽きたので、次回以降にいくつか紹介しようと思う。

太田 20181128



2018年11月16日金曜日

パチンスキー氏の思い出

 先月、久し振りにポーランドを訪れました。ブラックホールに関する国際会議に出席・講演するためにです。その研究会の主催者代表マレック・アブラモウィッツ氏は、基調講演の中である先達の名前をあげ、「自分の研究の原点はここにある」と切々と述べました。その人の名はボーダン・パチンスキー、ポーランド出身の天文学者です。長らく米国プリンストン大学教授として世界の天文学研究に大きな影響を与えておられましたが、惜しくも10年ほど前に病に倒れ、帰らぬ人となりました。

 ポーランドには何度も訪れたことがあります。一回目は1990年、どういう年だったか覚えている人がおられるでしょうか。この前年、ベルリンの壁が崩壊しました。自由化された直後のポーランド訪問でした。

 「チェコスロバキアやユーゴスラビア(当時)など、数ある東欧諸国の中で、なぜポーランドだけが天文学研究で突出しているのだろうか?」ふとこういう疑問をもって研究者に聴きました。結局、答えはよくわからなかったのですが、「コペルニクス依頼の伝統が根付いている」としかいいようがなさそうです。

 その中でパチンスキー氏の貢献は大きかったと言えます。パチンスキー氏は、恒星進化からガンマ線バースト(宇宙最大の爆発)、重力レンズによる暗黒物質探査、そして宇宙論に至るまで、様々な分野で伝説的な足跡を残した偉人であります。そのパチンスキー氏に私は何度か会ったことがあります。一度目は1987年ごろミュンヘンの研究所で。「私がボーダン・パチンスキーです」と、まだかけだし研究者の私に世紀の大学者がぴょこんと頭を下げられたのです。飾らない人なのです。「私が最初に得た職は、天文台のアシスタントオブザーバーだった」といった身の上話も伺いました。その後、プリンストン大学でもお会いしました。私がブラックホールの研究の話をすると、(昔、その分野で業績をあげていた)パチンスキー氏は、なんとも言えない、何十年も帰っていない故郷を懐かしむような表情で「今、私は、ノスタルジーを感じている」としみじみとおっしゃったことを昨日のことのように思い起こします。


 天文学をやっていてよかったと思うことがいくつかありますが、こうした海外の、天文学史に名前を残す、人格的にも素晴らしい方々にお会いできたことは私の宝の一つです。

(嶺重 慎)