2018年4月20日金曜日

キュー観測


 キュー観測って何?急観測や旧観測の書き間違い?そうではない。まさか9観測?それはさすがに、、、じゃあ、やけでQ観測とか?おしい。正解はQueue観測。Queueを英和辞典で見ると弁髪とも書いてあるけど、順番待ちの列のことである。で、何の順番待ちの列かというと、ここでは観測プログラム(観測課題)の列のことである。クラシカルな天体観測では、割り付けられた夜に観測者が自身で観測を実行するが、キュー観測はそのようなスタイルをとらない。あらかじめ採択された観測申し込み(プログラムor観測課題)に重要度に応じて優先順位をつけ、また観測条件に応じて順番を決めて、このスケジュールされた「列」に従って、当番の観測者がその夜の観測を次々と進めていく方式のことである。「プロの天文学者は、晴れていれば夜な夜な観測していると思われているらしい。しかし、実際にはそうでもない」シリーズの観測形態のひとつである。観測条件も考慮して順序を決めていくわけだが、観測対象天体の座標(位置)や月の位相(満月とか新月)は予めわかっているので、かなり前から順番の列を作って準備しておくことが可能である。一方、気象条件は直前にならないとわからないので、前日や当日の昼に予想して順序を決めておいて、夜になったらこれに従い順次観測を実行していくことになる。観測途中で急に薄雲が出てきたとかシーングが悪くなってきたという状況になったら、優先順位は低くても、薄雲でも悪いシーングでも観測可能な申し込みを急遽取りあげて観測を実行するといった具合である。優先度の高い観測課題を特定の夜に割り当てて、でも残念ながら気象条件が悪かったのでまともに観測できませんでした、また来年どうぞ、というような事態を避けるのに好都合であるため、最近の大型望遠鏡で採択されつつ方式である。すばると同じく8m級の望遠鏡であるGEMINI望遠鏡では既にかなりの時間はキュー観測で実施されている。すばる望遠鏡でも、可視撮像観測で導入されつつある。
 
 優先度が高いと評価された観測研究の達成率が上がるため、望遠鏡の効率的運用としては利点がある。但し、キューの効率的な組み方、望遠鏡や観測装置のオペーレーションを行なう人員の確保などといった面には注意が必要である。また、他人が観測を実施するので、どの程度の質のデータが取得できればよいのかという判断基準をかなり詳細に示しておかないといけない。また、例えば院生などが観測の現場を肌で勉強していくといった訓練ができない点にも要注意であろう。
 
 さて、20183月に、3.8m望遠鏡の共同利用の具体的な運用方針が、岡山プログラム小委員会から提出されてきた。それによると、キュー観測が望ましい形態とされている。(クラシカルモードも許容しているが、主なモードはキューとされている。)その理由は上記のような面もあるが、どちらかというと、3.8m望遠鏡ではToO(target of opportunity)観測を重視していることが挙げられる。ToO観測は超新星のように突発的に出現する天体の観測を行うものであるから、何月何日に実施できるかわからない。いつ出現するかわからない天体の観測のために望遠鏡サイトにずっと張り付いて滞在するわけにはいかない。キュー観測実施中であれば、ToO観測を行いますという電話やメール連絡があれば、優先順位を考慮してキューに割り込んでToO観測を実施することができるので、大変効率的である。と、いうわけでキュー観測が主な観測モードになりそうである。しかし、上記の様に院生が観測経験を実地で積むことも教育上必須であり、また観測実行できる人を育成する必要だってある。そこで、京大時間にはなるべく院生が観測を行なうような体制にしておくのがよいだろうと考えられる。
 
 ところで、自動観測でない限り、キュー観測体制下では、担当者は夜な夜な観測を行うことになる。その人達はプロの天文学者であるので、「一部のプロの天文学者は、がむしゃらに夜な夜な人の観測をする」ということになる。将来は、自動キュー観測が目指されている。


太田 201844日 




              GEMINI(北)の雄姿(?)


2018年4月6日金曜日

桜満開~日本の春


 桜が早くも満開になりました。毎年のこととはいえ、その美しさに目を奪われます。
 で、こんなことを考えました。桜の美しさとは何か? それは「統制された乱雑さ」ではなかろうかと。
 話はとびますが、2017年9月に京都大学バリアフリーシンポジウム2017が開かれまして、私も企画に携わりました。テーマは「『障害』で学びを拡げる」。「健常者」という(じつは)限られた世界でしか通用しない「普遍性」をベースになりたってきた学問を、「障害」という観点から見直し、新たな展開を目指そうという趣旨の会合です。従来の「普遍性」から多様性を包含した「真の普遍性へ」。今、障害当事者が発信する新しいスタイルの学問が形になりつつあります。
 宇宙物理学者の池内了さんはこんなことを書いています。「人々の自然観の基礎的概念を打ち立てるべき物理学の目標が、統一的原理の探究から、多様性発現の論理の追究へと移りつつあることに留意すべきだろう。・・・初心に戻って差異をそのまま受け取り、記述し、その根源を探る方向へと転回する時代にさしかかっている」(池内了『転回の時代に~科学のいまを考える』岩波書店)。確かに科学は発展してきた、しかしそれは原理に合わないものを排除した発展ではなかったか、という鋭い指摘であります。単純な原理で表せないもの、それは例えばカオスやフラクタルなど複雑系とよばれる現象であり、また科学と社会との関係でしょう。
 桜に話を戻します。もし桜が、この桜もあの桜も、みな同じ四角形とか三角形に花咲いていたとしたら、おそらく興ざめでしょう(「いや、それがいい」とおっしゃる方もおられるかもしれませんが)。桜の木々は、それぞれに枝を伸ばし、それぞれに花を咲かせています。同じモノはありません。まさに「統制された乱雑さ」。
 「雑」というと、今では「その他もろもろ」とあまりいい意味では使いません。しかし万葉集は「雑」の分類から始まります。年始にいただく「雑煮」と同じく「華やかな開始」という意味があるそうです(鷲田清一『折々のことば』朝日新聞2018年1月3日)。そういえば、星空だってじつに雑な(華やかな)世界ではないですか!
(嶺重 慎)


通勤途中で見つけた桜の花(2018330日撮影)