2019年5月24日金曜日

数字で見る交通死亡事故

 プロマネの栗田です。

 最近痛ましい交通死亡事故が連日のように報道されています。報道が増えたことで事故の悲惨さが顕在化していますが、統計的にみるとむしろこれまでなぜもっと報道されなかったのかという思いにも至ります。
今回は様々なデータで交通死亡事故を眺めてみたいと思います。

 まず、そもそも交通事故の死者には時間的な定義があります。事故発生後24時間以内に死亡した場合(24時間死者)を「交通事故による死者」と数えることが一般的で、もう一つの30日以内を30日以内死者として数えます。たとえば先日5/10の愛知で起きた事故では2歳の子を残して母親が3日後に亡くなりました。この場合24時間死者にカウントされません。詳しくは以下をご覧ください。
https://www8.cao.go.jp/koutu/taisaku/h26kou_haku/zenbun/keikaku/sanko/sanko03.html
ともかく報道されることなく毎年およそ1000名の方が同じ交通事故で亡くなっているということを覚えておく必要があります。

 次に事故と死傷者の推移は以下の第1-1図に良くまとめられています。
https://www8.cao.go.jp/koutu/taisaku/h28kou_haku/zenbun/genkyo/h1/h1b1s1_1.html
ここで死者数(24時間死者)=青線は昭和45年ころの第一次交通戦争にて16,765人のピークをもち、平成3年ころの第二次交通戦争の後は順調に数を減らしています。ここで注目すべきことは事故発生件数のピークは平成16年であり死者数のピークと一致しないことです。一方で負傷者=水色線の推移は事故数に良く同調しています。死者数の減少はシートベルトの着用と強く関連していそうです(その裏付けとして、着用に対して未着用の死亡確率は10倍以上というデータがあります)。昭和60年ころに着用が義務化され、同乗者への着用の義務化と未着用時の警告音の義務化が順次施行されます。これにより搭乗者の死者は減ったといえると思います(本来は着用率と死者数の推移を比べればいいのですが、義務化前は警察が着用に興味が無かったのかデータが見当たりませんでした)。また24時間死者の割合が全死者に対して微減していることから救急医療制度の発達も一助となっていると想像します。同時に、エアバックの普及は平成元年ころから急速に高まり平成12年ころにはほぼ100%になっており減少に大きく貢献しているもののさらなる効果を期待しにくい状況です。事故数と負傷者のピークが平成16年にある理由は不明です。以下にあるように自動ブレーキなどは平成24年ころから普及し始めているのでこのピークと一致しません。この点については後述します
なお図1-2にあるように車の保有台数自体は近年はほぼ横ばいであるので、事故数や死傷者の減少はシートベルト義務化と技術改善の成果と言えます。

 続いて死者の内訳を見てみたいと思います。以下の資料のP11 を見てください。
https://www.npa.go.jp/toukei/koutuu48/H29siboubunnseki.pdf
このグラフは死者のうち車に搭乗していた人とそれ以外の人の推移です。歩いている人や自転車に乗っている人が単独事故で死亡するケースはほとんどなく二輪車も含めて多くが自動車と衝突して死亡したと見ることができます。ここで注目すべきは自動車の搭乗者の死亡より多くの人が車との衝突で死亡しているという点です。運転中に自分が死ぬ危険性には意識が向きがちですが、実態はむしろ自分の運転で他者を殺してしまうかもしれないことに主眼を置くべき状況です。この傾向は交通戦争のころは顕著だったのですが、昭和60年ころまでにはガードレールや歩道橋などにより歩車分離がすすみ改善しますが(P4と6を参照)、H19年では再度逆転します。これはさきほど述べたようにシートベルトの着用、エアバックの普及に伴い搭乗者はより安全になっていったのですが、自動ブレーキや対人衝突安全技術が歩行者に対して進んでいないことを意味します。実際に搭乗者の死者の減少はそれ以外の死者の減少より顕著です。
より分かりやすいデータは以下のP2の左上の棒グラフです。
http://www.mlit.go.jp/road/road/traffic/sesaku/pdf/2-2-1.pdf
G7加盟国のうち日本は搭乗者の死亡率はトップ(安全面で優れている)でありながら歩行者と自転車に対しては最低です。日本の車社会がいかに車優先かということも理解できるかと思います。

 最後に責任論について考えてみると、犠牲者を減らすには運転者と歩行者がそれぞれルールを守るという義務が課され、果たさない結果として交通違反の罰則として責任生じます。ただ、交通ルールを守っていても操作ミスなどで死亡事故を起こすのが実態で、その場合は事故後の責任として責任を問われます。犠牲者の数を減らすという観点では運転者と歩行者の責任では頭打ち状態です。近年の死者数の減少はむしろ責任を問われない行政とメーカによるところが大きいことがこれまでの数値で分かります。



2019年5月10日金曜日

あまかけるはし

 惑星観測装置担当の山本です。

 令和に改元されて、初めてのブログ記事ですね。春先で、おめでたいムードで、何かと喜ばしい雰囲気になっているのは、平成への改元の記憶がほとんど無い身ではありますが、なかなか良いなと思いました。令和という文字も、昭和平成とこれまでなじみのあった文字がなんとなくみっちりとしているところで、ちょっとシュッとしたダイヤモンド型で、ちょっぴり格好良いともおもいます。「れいわ」と言う響きも新鮮でまた、「018」な当て字にでき、西暦から(2)018を引くと元号が簡単に計算できる、と言うのもなかなか実用的なトリビアですね。発見した人のようなやわらかい発想が出来るようになりたいものです。まあ、できるだけ公文書や書類は今後、西暦に合わせてもらった方がありがたいとも思いますが。

 5月1日が「即位の日」ということで本年のみ特別に祝日になったということで、(以前は)5月4日にしか意味のなかった「祝日に挟まれた日も祝日とする」という祝日法がその威力を発揮し、史上初の10連休になったわけですが、私も10日間しっかりお休みにさせていただきました。実家に帰ったり大文字山にハイキングに出かけたり、かなり有意義に過ごした気がしますが、さらに普段出来ないこと、と言う事で、天橋立まで行ってきました。


天橋立。傘松公園より南を望む

 天橋立は初めてでは無く、ウン十年前、まだ小学生だった頃に、祖父母に連れられて訪れた記憶があります。とは言っても本当に訪れたと言う記憶があるだけで、どういうルートで、どこにいって、どこでどうした、と言う様な記憶はほとんどありません。愛知の実家から新幹線で行ったのですが、おそらく最寄りの三河安城駅で京都方面の列車を待っているときに、通過の新幹線にびっくりして泣いてしまった、と言う話を祖母から何度もされたことが、一番覚えていることだったりします。はて、どんなところだったか。

 京都に移って十年の半分くらいの時間が過ぎたのですが、これまでは電車バスでの移動しかありませんでした。なので基本的に滋賀や大阪、京都盆地の縁と底をウロウロするのが週末の楽しみでした。ですが最近、自動車を運転する機会が増えてきたのでこのたび、せっかくだから日本海の方まで行ってみよう、と言う事になったのです。そういえば、話はそれますが、京都から離れたところに住んでいると、京都府にも海がある、と言うのがあまり身近では無くなんとなく違和感があったのですが、関西に越してくると周辺の地理にだんだん詳しくなってきて、Googleマップなど見ながら京都は海まで含んで当然、と言う感覚になってきて、それからさらに京都市内に越してくると、逆に京都に海がある、と言う感覚が遠のいて行く感じがします。京都の街は山に囲まれ端から端までが見渡せる、非常にこじんまりした土地で、大文字山や比叡山に登っても、大阪の平野の方へ抜けている感覚は持てますが、その逆、北の山のその先に海があるのが、なかなか実感できませんでした。まあ今回天橋立に行ってみて、その感覚が強まった感もあるのですが。

 子供の頃の旅行では、新幹線とおそらく在来線を乗り継いで訪れた天橋立。今回は京都縦貫道などを使って車で向かいました。いやあ、南丹を越えた辺りからの風景は、なかなか素晴らしいものがありました。整備された一車線の高架道路、ぽつりぽつりと現れる、どういう暮らしをされているかの想像が広がる一軒家、この時期木々によって違う緑に染まっている山、山、山。普段山に囲まれ、山は見慣れていたつもりでしたが、京都はここまで山なのだなぁ、と思いました。少し天候に恵まれなかったGW前半と比べ、日差しもよく、車も長い列を作っていました。ナビの予測では1時間半程度で着く予定だったのですが、実際に天橋立の駐車場に止められるまでにほぼ4時間半。なかなか大変でした。

 とはいえ、先ほど言ったように非常に天気が良く、この人出も納得でした。実際に来るまでは、いまいち天橋立の魅力が分かっていなかったのですが、3キロ弱に渡って続く白い砂浜と、1万本近い松並木、砂浜から上がってすぐ反対に見える阿蘇海。行き交う人も多いのですが、車などからは離れているので、結構静かで、また日差しも松並木から抜けてくるのはやさしく、北から海を渡ってくる風も爽やかに駆け抜けていくので、非常に良いです。ほぼ高低差が無く長い距離が歩けるのも気持ちが良いです。またそれぞれの岸からモーターボートや遊覧船がでており、少し離れて松並木を眺めるのもなかなか綺麗ですし、モーターボートもアトラクションのようで楽しかったです。また、まったく記憶に無かった小天橋は、驚きました。これだけ特徴的であれば子供ながらに覚えていても良さそうですが、他のことに興味があったんでしょうかねぇ。




小天橋。大型船を通すために橋が回転する

 地上から散策するのも魅力的ですが、やはり天橋立と言えば股覗き。一宮側の傘松公園にリフトで登り、実際に体験してみました。

天橋立股覗き。昇竜観という名前もあるという

 股覗きだから何なのだろう、と言う感は若干ありますが、体と足で作るフレームと、地面に近い位置からの画角、と言う事で、なんとなく新鮮な見え方がするきもします。海と空が近いし、確かに空に架かる橋のようにも感じられます。じつはこの股覗き、「人を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して贈られるイグノーベル賞、に繋がる研究がなされています。この研究では、単に画像を上下反転するのでは無く、体勢を上下逆さにすることで、人間は距離感がなくなってしまい、風景を平面的に見てしまう、という効果によるものだ、という発見をしました。立体的な奥行きのある風景では無く、絵画のように平面的に観てしまうため、空と海の区別が感覚的につきにくくなり、結果空に橋が架かっている様に見えるそうです。

 どんな研究も、疑問や謎を発見する、その感覚が重要です。私も日頃からアンテナを張って、研究に生かせるよう、日々楽しく生きて行こうと思います。

 それではまた。