2016年10月21日金曜日

学生と元学生の結婚披露宴

1016日の日曜日、宇宙物理学教室のD2の学生と、同級生で修士まで宇宙物理学教室に在籍し、民間企業に就職した学生の結婚式に参加してきました。二人とも学部4回生のときに、上田准教授と私が指導している卒業研究を取り、修士に進学して、男性の方は上田さんを指導教員とし、女性の方は私が指導教員になりました。男性の方は今も博士後期課程の学生なのですが、私からすると共同研究者の立場です。今年の1月に私の指導するM1の学生がブラックホールX線連星についての論文を、Natureに主著者として出版した際、X線のデータ解析や解釈について非常に大きな貢献をしてくれました。

そういう関係だったので、披露宴では生まれて初めて「主賓」として、最初のスピーチをするという経験をさせて頂きました。大学教員をしているといつかはあると聞いていたのですが、いやー、どういうことを話したらよいのか考え込んでしまうものですね。ここでダダスベリしてしまうと台無しにしてしまうかもしれないし、でも笑いを誘うところを入れないわけにはいかないし、よくあるような説教臭い話は柄ではないし、、、結局頭の中では1ヶ月くらい考えていました。最終的には私なりに二人の人柄の紹介もできたし、少しの笑いも起きたし、無難に済ませられたのでよかったのではないかと思ってます。パワーポイントを使わずに人前で喋るのは久しぶりでしたが、カンペを見るのも嫌だなあと思って作らずに行ったら、話そうとしていたことの2割くらい喋り忘れてしまいましたが。

しかしまあ、披露宴というのはいいですね。よい会場、美味しいお酒と料理、皆さんの和やかな祝福の雰囲気、そしてなにより新郎新婦のいい笑顔!とても楽しませてもらいました。お二人さん、末永くお幸せに!写真はこの披露宴のウェディングケーキです。

サイエンス・広報担当

野上








2016年10月7日金曜日

伝説の鏡・レンズ磨き和尚 木辺成麿氏

 最近(2016年6月17日)、名古屋のCBCテレビの取材を受けました。鏡・レンズ磨きの名人のお寺の和尚さんとして有名な木辺成麿氏(1912-1990)を取材した古い50年前のテレビ番組のビデオテープが見つかり、それを元にした番組を作りたい、ついては木辺氏が納めた鏡があるはずの花山天文台で取材したい、との理由でした。実は数年前にもNHK滋賀局より、滋賀出身の木辺成麿氏に関する取材をしたい、ということで、花山天文台に取材カメラが入ったことがあります(そのときの番組の放映は2013年12月13日)。
 亡くなって30年近くもたってなお、テレビ番組で特集番組が作られる木辺成麿氏とはどんな人物だったのでしょうか?
 Wikipedia で調べると、「木辺 宣慈 (きべ せんじ、本名:成麿(しげまろ)、1912年4月1日 - 1990年5月2日)は、日本の浄土真宗木辺派本山・錦織寺の僧侶、真宗木辺派21代門主。光学技術者。レンズ磨きの名人として知られ、「レンズ和尚」と呼ばれた。京大文学部卒業。吉川英治文化賞受賞。著書には「反射望遠鏡の作り方」などあります。
 ちなみに数年前に、京大総合博物館で特別展「明月記と最新宇宙像」を開催したとき、国宝明月記を冷泉さんにお借りするために初めて冷泉貴実子さん・為人さんご夫妻にお会いして面談中、何かの話の流れで木辺さんの名前を言いましたら、「木辺成麿さんは私どもの親戚ですよ」とえらく喜んでくださいました。

 個人的なことから話をすれば、私にとって木辺成麿氏の名前そのものは、学生のころから知っていました。私は京大理学部4回生のとき(1976年)、課題研究S2のゼミで、久保田諄先生(非常勤講師、当時、大阪経済大学助教授)から花山天文台太陽館で黒点磁場測定の指導を受けたのですが、その頃、久保田先生から、この鏡は鏡磨きの名人の木辺成麿和尚が作成したものだ、というような話をしょっちゅう聞いていたのです。それで「木辺成麿」という名前は良く覚えていました。しかし、当時は望遠鏡にも花山天文台の歴史にもほとんど興味はなかったので、木辺成麿氏とはどんな人か、というのは全く知りませんでした。
 附属天文台の台長になって色んなゲストの方に花山天文台の見学案内をしなければならなくなって、次第に望遠鏡や花山天文台の歴史にも興味がでてきました。80をすぎたゲストのおじいさんが「子供のころから花山天文台に来るのが夢でした」とか、「中学の頃、花山天文台の観望会で見た土星の美しさに感動して理科の先生になった」という話を聞くにつれ、花山天文台の歴史のすごさを感じるようになったのです。
 それで色々調べてみると、木辺さんは子供のころ、花山天文台初代台長の山本一清博士が始められた天文同好会に参加し、山本博士の教えを受けたそうです。天文学者になりたかったが、実家が有名なお寺なので、それは許されなかったのだとか。自分で望遠鏡を作りたいと思い、鏡磨きの名人の中村要さんに弟子入りして鏡を自作できるようになったころ、中村さんが29歳の若さで突然死亡(自殺、1932年)。その後は中村要さんの志を引き継ぎ、京大花山天文台のために大きな鏡をいくつか磨かれました。また木辺さんが作成した多くの鏡やレンズは日本のアマチュア天文家のために大いに役立った、とのことです。(生涯、3000枚の鏡を磨かれたそうです(佐伯恒夫、天界、1990年7月号))。
 数年前、NHK滋賀の取材電話で、「木辺成麿さんは花山天文台のどの望遠鏡の鏡やレンズを作られたのでしょうか?」、という質問を受けたとき、私には全く答えられなかったので、当時お元気だった西村有二さん(当時、西村製作所社長)に電話して教えてもらいました。
 「木辺さんが作成されたのは、
  1)太陽館の70㎝ シーロスタットの2枚の平面鏡 
  2)同じく太陽館の50㎝ 凹面鏡
  3)ザートリウス18㎝ 屈折望遠鏡のガイド鏡レンズ(12.5㎝)
  4)シュミット鏡(60㎝)(倉庫の中)
  5)飛騨天文台の60㎝ 反射望遠鏡」
とのこと。早速、それをそのままNHK滋賀の記者さんに伝えました。
 調べると、60㎝ 反射望遠鏡は最初は花山天文台に設置され、月面地図つくりの国際共同観測に活躍した、ということもわかりました。60 cm 反射望遠鏡は飛騨天文台開設(1968)に合わせて飛騨に移設され、飛騨天文台最初の望遠鏡として、月・惑星観測に活躍しました。野上君が飛騨天文台に着任(2000年)後は、突発天体観測用としてよみがえり、野上君によって60 cm反射望遠鏡で観測されたガンマ線バーストの可視測光データがNature 論文(Uemura, M. et al.2003)に貢献しています。これは飛騨天文台発の初めてのNature 論文と言えます。
 CBCテレビ局で見つかった古いテレビ番組には、木辺成麿さんが花山天文台の天体望遠鏡用の60 cm鏡を研磨している様子が鮮明に映っています。また番組の最後には鏡が花山天文台に納入されたところで終わっています。放映された番組を見ますと、古いテレビ番組が作られたのが、1966年、木辺さんが54才のころです。花山天文台太陽館ができて5年目のことでした。番組中の一コマを図に示します。
 実は木辺成麿さんのお顔を拝見したのは、このテレビ番組が初めてでした。手元に花山天文台50周年記念祝賀会(1979年)の集合写真があるのですが、最初はそこに木辺さんが写っているかどうかすら、わからなかったのです。しかし、このテレビ番組のおかげで、木辺さんも確かに写っていることが判明しました。花山天文台の重要な望遠鏡の鏡やレンズを作成した木辺さんが50周年記念会に招待されないはずはない、という確信が証明されて嬉しく思っています。

 現在、京大3.8m望遠鏡の建設チームはアストロエアロスペース社や西村製作所のみなさんと協力して3.8m望遠鏡を開発・建設しています。その中で、分割鏡の研削・研磨はもっとも重要な技術開発であり、ついに1mクラスの天体望遠鏡用の反射鏡を世界最高速度で作りあげる技術の開発に成功した、というのはすごいことだと思っています。今日、木辺さんの話を書いたのは、50年前に世界に肩を並べる純国産の60 cm反射鏡を研磨するのに成功した先駆者、木辺成麿さん、というすごい人が花山天文台の近くにいて、天文学の発展に大きく貢献した、という歴史と、奇遇なほどつながっていると思ったからです。
  木辺さんの作成された多くの鏡やレンズはアマチュア向けの望遠鏡として、西村製作所や五藤光学を通して世の中に普及し、その結果、日本のアマチュア天文学は世界一になりました。同じように京大3.8m望遠鏡で開発された技術は、日本だけでなく世界のプロやアマチュアの天文学に、さらには関連産業の発展に、大きく貢献するだろうと確信しています。

(2016年9月25日、記)
柴田一成



写真 木辺成麿氏(上)と鏡研磨の準備中の様子(下)
(1966年に放映されたテレビ番組を元に作られた
名古屋CBC放送の番組2016年7月6日放送『イッポウ』
http://hicbc.com/special/6039/contents/39_0112lens/
サンキュー! #1/60 記憶のプレゼント「レンズ磨き職人」より)











2016年9月23日金曜日

出前授業

プロマネの栗田です。

日本海の岬をめぐるバスに揺られて京丹後の間人小学校に出前授業に行ってきました。間人は「たいざ」と読み、難読文字で有名なようです。聖徳太子の母君の間人(はしうど)皇后が訪れ、この地を去った(退座)ときに由来するとか。バス停まで迎えに来てくださった職員の方も岬の上のほうを指さして、ここには母君のお墓もあると説明してくれました。校舎も周囲の家々も日本海にせり出した岬の傾斜部に張り付くように建っています。近々となりの小学校と統合するとのことで、校舎は新しくとても立派でした。校舎の2階の廊下は窓が広く、日本海をどの教室からも眺めることができるようになっています。生徒に「雪は降りますか」と訊くと「たくさん降りますが、あまり積もりません。すぐ風と潮で流されます。」と眼下の磯と道を見ながら教えてくれました。夏の風景からは想像できない厳しい冬があるのだなあと思いました。

授業は3年生20名と4年生8名にむけて星やブラックホールの話をしました。最近はyoutubeに素晴らしいコンテンツがたくさんあり、それらを見せると驚きやため息、歓声で大騒ぎです(やはり、映像には適いませんね)。1時間15分と小学生にしては長め授業でしたが、たくさん質問も出て生徒も先生も楽しんでくれたのではないかと思います(大学生に講義するより、やりがいがありますね)。
授業を終えて、職員室に(数少ない)バスの時間を確認するとあと数分だったので、ほとんど挨拶もせずに猛烈ダッシュでバス停に向かいましたが、見事に乗り遅れました。



校長室の横にあった生徒と先生らによる人文字の写真




2016年9月9日金曜日

工事中

  惑星観測装置担当の山本です。

 先日、近江神宮に参拝したところ、桜門が補修中と言うことで、工事用のベールに包まれておりました。本年平成286月から9月中旬まで、と言う事で、滅多に見られないものを見られた、と考えることにします……
 
 
近江神宮の桜門(工事中)

 とはいえど、昨年も、黒壁で有名な滋賀県の長浜城に行ったところ、こちらも改修工事中でした。ちゃんと下調べをしておけ、と言う話ではありますが、京都においても、東本願寺の大補修をはじめとした京都に散らばる各名所、いつもどこかで補修を行っています。これも京都・滋賀だけの話ではないですね。桜門の補修も珍しい光景ではなく、いつもどこかでなにかを直しているのが日本という国です。
 日本の四季が豊かと言うことは、一年を通して大きな寒暖の差があり、また毎年台風がやってきますし、数十年、数百年で大きな地震に見舞われます。つまり日本という国は、直しても直してもあとからあとから破損の原因がやってくる、と言う環境であると言えます。こうした環境的・物理的な要因によって各地の補修工事が行われている面があります。
 こうした環境であるからか、「満つれば欠くる世の習い」という言葉が生まれました。完成してしまえば後は壊れるだけ、"だから未完成のままにしておく"というのが日本の文化でもあります。現在上映中の怪獣災害映画にも「スクラップアンドビルドでこの国(日本)はのし上がってきた、だから今度も立ち直れる」というセリフが出てきます。モノを作っても壊れてしまう。しかしながら、今は未完成でも常に補修、改修、改善をしていくことで完成へ近づけていく、そうした意思こそが、日本人の本質なのかも知れません。
 
 とはいうものの
 
 現在我々が開発している、太陽系外惑星撮像装置SEICAが未完成で良い、とする人は一人もいないでしょう。もちろん機能アップの余地や、保守管理のしやすさなどは考慮しておくべきですが、科学装置に関しては毎回同じ性能が出るように「完成」させておかなければなりません。
 前回4月に予告したように、現在は補償光学装置の性能評価が行えるようになり、どうした改善が必要かを検討しています。また実際に望遠鏡に搭載する装置の設計・製作・組み立ても始まっています。
 
 完成はまだ遠い光景ですが、これからも開発を行っていきます。
  

それでは!


2016年8月26日金曜日

夜間試験

光学など担当の岩室です。

3.8m 望遠鏡は、現在岡山観測所内の仮ドームに置かれていますが、長田、栗田、木野、と私に大学院生2人を加えた6人で、望遠鏡のメンテナンスと星を用いた夜間の調整確認試験を行ってきました。
温度変化も大きく湿度も100%を超えることがあるような、望遠鏡にとっては大変過酷な環境の仮ドームに置かれている望遠鏡ですが、試験は特に問題なく予定通り順調に終了しました。下の写真はその際撮影したもので(クリックで拡大します)、夜間試験中の3.8m望遠鏡と右端には建設中の3.8m望遠鏡用の本ドーム、真上には薄っすらですが天の川が写っています。




本ドームは、今年度中に完成し望遠鏡本体は来年度に移設されます。とにかく望遠鏡をより良い環境に早く移してあげたいので、本ドームの完成が待ち遠しいところです。

ところで、先月私の所属している合唱団が、創立90周年記念演奏会を行いました。大学や教会などの合唱団では創立100年を超える団体もあるようですが、何の外部母体も持たない一般の合唱団でこれだけの歴史を持つ合唱団は、ネット上ではセレスティーナ男声合唱団と東京リーダーターフェルという2つの男声合唱団だけですから、屈指の歴史を持つ一般合唱団(一般の混声合唱団では日本最古)と言えます。





私は京都混声には1984年から32年在籍しており、研究活動と並行して2つ目のライフワークとなっています。来年は6月にバッハのカンタータ80番と147番を演奏予定ですので、ご興味ある方はよろしくお願いします。



2016年8月8日月曜日

もっと観測しない観測

プロの天文学者は、晴れていれば夜な夜な観測していると思われているらしい。しかし、今や観測しないで観測する(と言うのかなぁ?)ケースも多い。もはやシリーズ何回目か不明だが、前回は、観測者自身が観測しない、サービス観測やALMAの観測の話を書いた。今回は、もっと観測しない観測である。例によって、「何のこっちゃ?」という感じだが、実は前回の話の最後にちゃんと振ってある。“ところで、ALMAのこういったシステムは、観測せずとも既存の処理済データで研究を行なうことができることも意味する”と。(この振りを当時意図して書いたのかどうか忘れているあたりは問題であるが。)

 ALMAに限らず可視の観測でも、他人が取ったデータを再利用することができる。例えば、すばる望遠鏡の場合、誰かが取得したデータは1年半の占有期間があって、そのデータを取得した人(グループ)は1年半の間そのデータを占有することができる。しかし、それを過ぎると誰でもそのデータを利用することができるのである。つまり、大変な観測プロポーザルを書かなくても、人のデータを使って研究することも可能なのである。このため、大きな観測所ではたいていの場合、取得データを保存して再利用できるような方針を持ち、そのための体制・設備を持っている。これをデータアーカイブという。

 データアーカイブがあると、同じ天体の観測をしてしまって貴重な望遠鏡時間を無駄にすることがないというメリットがあるが、それだけではない。同じデータを用いても違った観点から研究に利用することができ、別の研究ができてしまうという効能がある。あるいは時間変化する天体の昔のデータとしても活用できる。また、研究目的でなくても教育用に活用されることもある。一粒で二度も三度もおいしいというわけである。生産性の高い仕組みであると言えよう。

 アーカイブされたデータの中でも最も使いよいというか生産性の高いものは、レガシー的なサーベイ観測だろう。観測所等が頑張って、ある領域を広く深く色々な波長で観測して、更にこれらのデータの処理まできちんと行なって、そのデータを公開するというようなものである。このようなデータであれば、誰でも(理論家でも)、容易にデータを使って色々な視点での研究が可能となる。一粒で二度や三度どころではなく、100度くらいおいしい(論文が100編出るという意味)場合だってある。

 ただし、同じデータを用いるので、うっかり同じ視点で研究してしまうと、その研究が水の泡になってしまうこともある。随分昔の話になるが、ハッブル宇宙望遠鏡のアーカイブデータを用いて、楕円銀河の色進化を調べたことがある。研究結果をまとめて専門の雑誌に論文を投稿したら、これは最近だれそれがやった研究と同じように見えると言われて終わってしまった経験がある。しかしこれにめげずに、その先の目標であった、楕円銀河の内部構造進化、特に色勾配の原因を探る研究を独自視点で行なった。ハッブル宇宙望遠鏡ならではの高角分解能を活かして、楕円銀河内部の色勾配を定量化し、簡単な理論モデルを用いて色勾配の起源に迫った。その結果、楕円銀河内の色勾配の原因は金属量による違いで、楕円銀河の形成の歴史が反映されているのではないかという推測ができた。これは面白い結果で、楕円銀河の色勾配進化の研究の元祖と言ってもよいかと思われる。その後の研究で年齢効果が混じるというような結果もでているが、主たる要因が金属量であることは変わっていない。当時は自前でこんなデータを取得するのは困難であったので、アーカイブデータのおかげでとても面白い経験をさせてもらったと思っている。さらに、この研究結果を元に、いくつかの望遠鏡を用いた更なる研究にも発展した(これは自分で行なう観測)。

従って、取得データの保存は重要で、3.8m望遠鏡でも共同利用によって取得されたデータは保存されるし、しないといけないのだと理解している。しかし、ただ保存しただけでは有効利用できない。データの検索ができたり、そのデータの属性や質もわからないとあまり役に立たない。データアーカイブはそれ自身研究課題の一つであるとも言えるのである。
 

太田 201681



懐かしの、アーカイブデータを用いた研究例。昔の楕円銀河の色分布。Tamura et al.  AJ 119, 2134 (2000)より。








 

2016年7月22日金曜日

巨人の「タイタン」と巨人でない「タイタン」

 天文学者は週末にいったい何をしているのか? 
 答えはいろいろあります。ひたすら研究している人、世界各国を移動中の人、子どもを相手にしている人、じっくり読書や音楽などの趣味に没頭する人・・・
かくいう私は音楽の人(本ブログ執筆者の中に合唱音楽している人もいます)。学生時代には大学のオーケストラ(略称「オケ」)でオーボエ(木管楽器の一つ、人の声に一番近いといわれる)を吹いていました。今年初めに学生オケの同期会がありまして、じつに多くの人が今も楽器を続けていることにいたく刺激を受け、古い(約40年前の)オーボエを押し入れから取り出してきました。こわごわケースを開けると、虫にも食われず、さびだらけのオーボエがそこに。さて、まだ吹けるのか。楽器屋にもっていきました。
 「古いですね」(言われなくてもわかっとる!)
 「さびてますね」(それくらい素人でもわかる!)
 「修理するだけ無駄かもしれません、安いのがありますから買いませんか?」
 「そこを何とか、無駄を承知で、まずは修理していただけませんか?」
 「ならみてみますけど、こんな古い楽器、ピッチ(音程)が低すぎて、皆と一緒に合わせることはできませんよ」(これは後ほど、大嘘と判明する)
といったやりとりを経てともかく預かってもらいました。1ヶ月後、さびとりや調整を入念にしていただいて、手元に戻ってきました。快調です。
 高校のOBオーケストラでマーラーの交響曲1番「タイタン」をとりあげるというので、練習に参加しています。マーラーは大学オケで2度も経験しており(交響曲2番と6番)懐かしい響きがします。最初の交響曲にして、すでにいわゆる「マーラーらしさ」が姿を見せており、さすが「音楽の巨人」だとしみじみ思います(注:正反対の意見の人もたくさんいます)。
 ところで、天文分野で「タイタン」といえば、土星最大の衛星(月)のこと。こないだ探査機も飛んで、詳細な画像を送ってきました。見ると、地球で見るような地形(山、谷、川、海・・・)が。みな「ここはどこか」とびっくりするのであります(図参照)。タイタンには、(水=H2Oでなく)メタンの雲があり、メタンの雨が降り、メタンの川が流れ、メタンの海に注ぎこんでいるのだそうです。もし生物がいたらどんな形をしているんだろう、なんて考えるとわくわくしますね(しませんか?)。本当に生物がいるかどうか、わかりませんが。
 さて、話はマーラーの「タイタン」に戻ります。CDなど見ると「巨人」という日本語訳がついています。はて、「タイタン」とは「巨人」なのか?(金属の)「チタン」ではないのか(注:綴りは同じです)。なぜ土星の衛星は「巨人」と言わないのか? なぜだ、なぜなんだ? 疑問がわいてきました。
 あっ、字数オーバーしたので話はここまで。疑問に思った人は自分で調べてみてください。

(嶺重 慎)




図:ホイヘンス探査機による「タイタン」の画像(NASA
Credit: ESA/NASA/JPL/University of Arizona.