2017年10月27日金曜日

3.8m望遠鏡の愛称募集!

こんにちは。広報・サイエンス担当の野上です。

さてさて皆さん、始まりましたよ~!何がって?いやいや、とぼけてもらっちゃ困りますね~。アレですよ、あれ!
そりゃもう、もんのすごいアレ!って、えーと、何だっけ?
、、、すみません、くだらないことで字数を稼いでしまいました。

ということで(どういうことや?というお約束のツッコミを入れつつ)、我らが3.8m望遠鏡の愛称募集が始まりました!
(パチパチパチパチ)皆さまぜひぜひよい愛称を考えて、どしどしご応募下さい!!このブログを直接ブックマークされている方は、
の「お知らせ」のところをご覧下さい。

世にある大きな望遠鏡には結構いろんな名前がついています。
日本が誇る口径8.2mの望遠鏡@ハワイ観測所は「すばる」。そう、清少納言が枕草子で「星はすばる。」と書いた、昔々から日本人の大好きな天体です。
 兵庫県立大学西はりま天文台にある口径2mの望遠鏡は「なゆた」。一十百千万億兆京、、、と続く数の単位で、とーーーーっても大きな単位が那由他。広大な宇宙を表している感じがしますねー。無量大数にしないところが少し奥ゆかしい。というか、語呂の問題ですかね。
 広島大学東広島天文台の1.5m望遠鏡は「かなた」。これも宇宙の彼方を見る望遠鏡ってことなのでしょう。
 北海道大学附属天文台の1.6m望遠鏡は「ピリカ」。アイヌ語で美しいという意味だそうです。響きもかわいいですね。
 宮城県の仙台市天文台にある1.3m望遠鏡は「ひとみ」。これもかわいい響きで、意味としてもまさに望遠鏡にうってつけな名前です。
 国立天文台石垣島観測所の1m望遠鏡は「むりかぶし」。これは沖縄言葉、いわゆるウチナーグチですばるのことなんだそうです。

3.8m望遠鏡にも、ぜひ皆さんの思いのこもった名前をつけてあげて下さい!採用された愛称を提案してくださった方には、それはそれは素晴らしい記念品(注意:まだ決まっていません)を全員にお送りします。そして抽選で1名の方のみですが、来年春頃を予定している、3.8m望遠鏡を中心とする京都大学岡山天文台の開所式にご招待いたします!


では皆さま、どうぞよろしくお願いいたします。




ドームに収まった3.8m望遠鏡。
これは鏡が載る前の珍しい写真。
今後、各種の調整が行われていく。






2017年10月11日水曜日

秋の日はつるべ落とし?

 プロマネの栗田です。

中秋の名月が過ぎ、夏に比べて日の短さを実感する頃かと思います。もちろん日の短さでいえば冬至のころが北半球ではもっとも短いのですが、秋の太陽の特徴を表す言葉として「秋の日はつるべ落とし」があります。これは太陽がまるで井戸のつるべが落ちるかのようにあっという間に地平線に沈み、夜になってしまうことを指します。より実感としては、夕焼けが短いことを指します。こどものころ日が暮れても少しでも外で遊んでいたかったですよね。そんなとき、秋の夕暮れはあっという間に暗くなり、田んぼの畔や川の堤防を慌てて走る・・という情景です。天文学では日没後から空が完全に暗くなるまでの間を薄暮といいます。薄暮の理由は、日没後でも上空の大気や雲に太陽光が当たり、それらが地面を照らしてくれるからです。

しかし、地球の自転する速さ、つまり見かけの太陽の動く速さは季節に依らず同じなのに、どうして秋だけこの夕暮れ時間が短いのでしょうか。気のせいなのでしょうか。いえ、実際に薄暮の時間は秋(9月から10月ころ)の方が夏よりも25分ほど短いのです(東京でのデータ)。しかしその理由を解説した書籍等を知りませんので、ここで考えてみたいと思います。

下の図は太陽に左側から照らされている地球だと思ってください。日の当たる左側半分が昼間で右側半分が夜です。夕暮れはこの間にあるオレンジ色の帯状の部分です。地球は自転しながら太陽の周りを公転しています。この自転軸が傾いているので季節が生じます。図では季節ごとの照らされ方と自転軸の関係を示しています。黒の楕円はちょうど赤道上(例えばシンガポール)の人の動きだと思ってください。こうしてみると夏至や冬至ではこの人は昼と夜の境を斜めに横切っているのが分かります。一方春分や秋分ではこの境を垂直に横切っています。つまりそれだけ短い時間で横切るので秋分のときの夕暮れは短くなります。これをもう少し分かりやすくしたものがさらに下の図です。自転軸が横倒しになった場合(左図)、赤道上の人は永遠に夕方です。逆に自転軸がビシッとまっすぐ立った場合は最短時間で夕暮れの帯を通り抜けます。

ここで気づくことは春分も秋分の時と同じではないか、ということです。はい、調べてみると確かに春分と秋分の薄暮の時間は同じです。というわけで「春の日もつるべ落とし」です。推測ですが夏から日が短くなっていく効果もあって、秋にのみこの表現が生まれたのではないかと思います。


ちなみに東京では夏至、冬至、春分と秋分の薄暮の長さはそれぞれおよそ1時間49分、1時間32分、1時間25分だそうです(あまり差がないので昔の人は感性が豊かですね)。夏至と冬至がずいぶん違うのは、東京がシンガポールとは異なり中緯度にあるためだと推測します。










2017年10月2日月曜日

序論、本論、チョコケーキ

惑星観測装置担当の山本です。

 本ブログ記事公開日は922日なのですが、「去る秋分の日」に25年来の友人の結婚式がありました。これまでの私の人生もそれなりの長さがあるのですが、どういう巡り合わせか一度も「友人の結婚式」に参列する機会に恵まれず(親族や先輩方などはありましたが)、本人も含めて結婚という話題に触れる機会もほぼなかったのですが、今年に入って怒濤の勢いで身の周りが「結婚」「結婚」「結婚」です。すべてが私と同世代と言うわけでも無く、今回私の友人1組に加え、前の研究室時代の後輩4(予定も含め関知している限り)が式を挙げたり入籍を果たしています。

 後輩らに関しては、社会に出て数年が経ち生活が落ち着いてきて、と言うパターンや、学位を取ったので、というパターンのようです。いわば「適齢期」なのですが、今回の友人は特に研究職とは関係もないので私の「学歴」等とは関係なく、今単純に「ブーム」なのかも知れません。総務省統計局のデータによると平成27年時点でほぼ15年間にわたり婚姻数は減少を続けており、これまでの実感となんとなく合う(物理学者ならぬ感想)のですが、今年の統計が出る頃には、もしかしたら増加しているのかも知れません。

 さて、これまで参列したことのある結婚式は、ただ写真を撮って飲み食いに興じて終わり、という形態だったのですが、今回の結婚式は25年来の友人のもの、と言う事で、友人代表スピーチの役割を任せていただくことになりました。大体3ヶ月ほど前にその話を貰い、そもそも友人代表スピーチとは、と言う事から考え、形態やマナーを調べ、ようやく原稿ができあがったのは挙式1週間前だったのですが、前日になって大幅に改訂を加えたりしたので、当日は原稿に時々目を落としながら、と言う事にはなってしまったのですが、参列した他の友人からも「あんなにちゃんとしたスピーチとは思わなかった」と言ってもらえたのでひとまずは安心しました(言外の「もっと笑いを取れよ」という言葉は聞こえなかったフリをしておきますが)。近年はそもそも家族婚などの小規模な式で済ませる傾向もありますし、今後はなかなか機会に恵まれないであろう貴重な体験でした。スピーチ前はテーブルに並ぶフルコースの味も分からなかったですが、スピーチを終えた後のデザートの甘さが非常に沁みました。甘いは幸せです。


デザートのオペラケーキ。最優秀パティシエミッシェル・ブランのもの

 普段研究者などは、学会や研究発表などでは10分から15分、勉強会などでは1時間〜1時間半の発表をすることは多く、大体これくらいの時間内に「導入」「方法」「結果」「考察」などをおさめることには慣れています。一般論としてご存知の通り、スピーチの時間はあれもこれもと長くすることは簡単ですが聴衆から嫌われ、短ければ短いばなるほど好かれますが話をまとめることが非常に難しくなります。研究論文などもさっと簡潔に重大な発見を書けることが望ましいですが、我々装置開発などの場合はあまりに簡潔すぎると追試をしてみたくても詳細が不明であったり参考文献の列が膨大になってしまったり、あんばいが難しいです。

 まあしかし、私の今回の話も半分与太話になってしまったので、長くなりすぎないところでお開きとさせていただきたいと思います。

それでは!