2015年5月29日金曜日

望遠鏡にかじりつかない観測

 プロの天文学者は、晴れていれば夜な夜な観測していると思われているらしい。しかも、望遠鏡にかじりついて観測しているというイメージがあるらしい。だが、もはやそうではない。
 確かに昔は望遠鏡にかじりついて観測していた。真冬にはマイナス10度の夜でも望遠鏡にくっついて観測をし、地獄の難行苦行のような様相を呈していた。なぜ人間が望遠鏡にくっついている必要があるのか?理由はガイドである。星は1時間に15度動くので、モーターを使うなどしてこのペースで望遠鏡を自動的に追尾すればよいのだが、1秒角(1度の3600分の1)程度の精度で星を追いかける必要がある。色々な要因があって、実際にこの精度を達成するのはなかなか困難である。そこでモーターで追尾しつつも、同架した小さい望遠鏡を使うなどして、実際の星を見ながら人間が望遠鏡の動きを微調整する必要がある。これをガイドと言う。
 日本では、1980年代半ば頃までは、人間が望遠鏡にかじりついてガイドしていた。(私はその最後の世代であろう。)しかし、その後自動で星の位置を検出して、計算機で表示する機能が開発された。こうなると望遠鏡にかじりつく必要はなく、ドームの別室のようなところで、パソコンゲーム感覚で望遠鏡の微動操作を行なえばよい。これも最初は人間が微動操作をしていたが、やがてすぐに計算機が星の重心を自動検出してずれを測定し、望遠鏡制御もするようになったので、観測者はこれを監視するだけでよくなった。こうなれば、空調の効いた部屋で、また明るい部屋で観測することが可能であり、天国での観測のようになった。
 それでも、観測はドーム内とかドームの近くということになるが、その後インターネットの普及によりどこからでも望遠鏡制御が可能になった。10年位前に、ハワイのマウナケア山頂の望遠鏡である、ハワイ大学2.2m望遠鏡やすばる望遠鏡の観測を山麓のヒロの町から行ったことがある。望遠鏡のある4200mの高地では酸素濃度が薄く座っているだけでもしんどいが、山麓での観測は快適である。ヒロは雨の多い町であるが、雨がざーざー降っているなか観測をしたこともある。山頂は晴れていて観測できるので、当たり前と言えば当たり前なのだが、何となく不思議な感覚であった。ハワイ大学2.2m望遠鏡で観測していた時に夜半で交代ということがあった。後半夜の観測者が来ないなーと思っていたら、TV会議システムが突然動き出して、次の観測者がTV会議で参加してきた。見ると先方の部屋の外は明るいではないか!「どっからつないだの?」と聞くと、「フランスのどこそこ」との回答。そりゃ部屋の外が明るいわけである。こうなると、観測は昼間でもできることになって、夜眠たい思いをして観測することもなくなるというわけである!
 さて、現在。このような観測はリモート観測と呼ばれ、技術的には既に可能である。ただ、運用上の問題や安全性などの観点からまだあまり使われていない。しかし、今や「インターネットがあれば自宅からでも観測できます」状態になりつつある。(まあさすがにまずは大学からとかいうのが現状と思うが、技術的には可能である。)岡山の188cm望遠鏡もこのような運用が開始されつつある。今後ますます進んでいくと考えられる。ただ、望遠鏡を身近に見たり触ったりする機会が減るのはどうかといった危惧もある。
 ところで、以上は、「望遠鏡にかじりつかない観測」ではあるが、「望遠鏡を操作してする観測」である。しかし、もはや望遠鏡を自分で操作しなくても観測できる時代になりつつある。誰かが知らない間に観測してくれるという仕組みもある。いわば、「観測しない観測者」といったところであろうか。このあたりの話はまたの機会に。

太田 2015524日 





昔お世話になったハワイ大学2.2m望遠鏡の紹介。大型の望遠鏡としてはマウナケア山では最古参で1970年頃から運用。上:2.2mを納めるドームの全景。ドーム先端にでっぱりが見えるが、中にクレーンが入っている。下:望遠鏡全景。人が乗っているのでサイズの想像がつく。2.2mの鏡は筒の最下部にある。2.2mというのは日本語風で、現地では、インチを使って、UH eighty eightという。(写真はいずれもハワイ大学天文学研究所ホームページより)ちなみに、マウナケアはハワイ語で、マウナが山でケアが白なので、いわば白山という意味。従って、マウナケア山という言い方は二重に山を使っていることになる。白はむろん、雪のことであり、写真でも残雪が見えている。




2015年5月15日金曜日

星のある風景

 宇宙や星空に何を感じるか、あるいは何を求めるか。人それぞれだと思いますが、仕事(や人間関係?)に疲れてふっとみあげた星空に癒される、ということもあるのだろうと思います。
 中高生向けの天文学入門の本を執筆する中、何かわかりやすい、それでいてインパクトのある写真がないかなと思って探していました。ふと、一枚の写真に出会ったことを思い出しました。
 少々古い話になって恐縮ですが、昨年の暮れ、長野の志賀高原ロマン美術館に秋季小企画展「時空の回廊――大西浩次・星景写真展」を見にいきました。撮影者の大西さんが直々に案内や解説をしていただくという、贅沢な鑑賞旅でした。
 その企画展の案内チラシの写真があまりにも印象的だったので、許可を得て掲載しておきます。この写真は、美術館入ってすぐの、数人入ればいっぱいになるような、こぢんまりとした部屋にありました。部屋の壁一面に戸隠のとある場所の星景(星のある風景)写真。真ん中に一本の木、背景に月、遠景に天の川の星の群れ。写真に見いるうちにどんどんそこに引き込まれ、音が消え、周りが見えなくなりました。そしてついには写真に写された宇宙と自分が一体になったような、不思議な感覚を覚えました。
 西洋の宇宙観と東洋の宇宙観は根本的に違うんだと、どこかで読みました。われわれ天文学者は宇宙を「対象」として、その現象の科学的解明に精を出しているのですが、それは西洋式の宇宙のとらえ方のようです。東洋の宇宙観は、むしろ宇宙のただ中に入り込みます。人も動物も地球も宇宙もみな一体という意識が強いんだそうです。そういえば、宮澤賢治の詩(『春と修羅』序文)にも

 わたくしという現象は/仮定された有機交流電灯の/ひとつの青い照明です。


ということばがあります。昔から好きだった宮澤賢治ですが、大西さんの写真の世界にひたりながら、科学者・芸術家の賢二の思いが少しは理解できたような気がしました。

嶺重 慎








2015年5月1日金曜日

KはKyoto DaigakuのK・・・

リーダの長田です。なかなか書けないって時は、題名も「ああでもない、こうでもない」となって、この文も「山までは見ず」にするかどうか迷いました。

ブログって好きなように好きなことを書き散らかしているうちが良くって、そういう文章はきっと読んでいてもおもしろいのだと思います。何年か前に、このブログでアクセスが多かったのはどの記事かということで、「めっちゃ優秀な同級生」というのが栄えある1位になったと言われ、喜びました。そこでは京大の研究者を素直に賛美して称えていたり、感心した話を何のてらいもなく書いたのが良かったんだと思います。ところが、文が書けなくて悩み始めると、こんなふうに褒めたら他の人は気を悪くするんじゃないかとか、こう感謝したらヘンにおもねっていると思われるんじゃないかとまで考えるようになって、1行も進みません。

4日前に、望遠鏡技術検討会を岡山天体物理観測所で開いて、皆で記念写真を撮りました。望遠鏡は仮ドームに無事おさまって、これからはじっくりといろいろな調整をし、その間に本設ドームの完成を待つ、という段階まで来ました。本当に皆様のおかげです。

その中で、いくら感謝しても感謝し切れない人に、Kさんがいます。どれほどの貢献をいただいたかを書こうとすると、そもそもいくら行数があっても足りませんが、それをあまり素直に書くと、それこそ他の人を傷つけることになるんじゃないかとも思い始めてしまい、逆に何も書けません。・・・全然違うことを書きましょう。ウチの娘がまだ高校生だった頃、Kさんに挨拶をしたら開口一番、「背が高いねえ!」。娘は細いとか小さいとか言われたことはあっても、そんなふうに言われたことは一度もなく、この一瞬でKさんが大好きになってしまいました。どうもKさんには初対面でも人の心をとらえて離さないところがあるように思います。私にはそういう天性の素質がなくって、Kさんにもそういう素直な感謝の念を伝えきれずにいて、だからこそこうやってイニシャルでここに綴るという屈折したけったいなことをやっているのですが、真のリーダにはまったくあこがれますねえ。


さて、率直に尊敬と賛美の念をほとばしらせたところで、率直にボロクソに書いているエッセーに関連して、です。「山までは見ず」、さらに段を改め「これも仁和寺の法師」とまで書かれて700年近くにわたって悪口が日本人の頭にしみついているその仁和寺(?)、ではなく、石清水八幡宮に、理学部の遠足で行って来ました。教授に厄年の人がいて、厄落としに行こう、ということでした。遠足参加者には、アシモフやブラッドベリのSFおたくの学生がいたり、ホントにおもしろい面々がそろっていて飽きません。「山までは見ず」ではなくて、ケーブルカーで山の上だけに行ったのですが、その遠足の集合時刻に遅れた学生がいました。私たちは出町柳駅から京阪電車に乗って京都の南の八幡市へと向かいました。いまどきの学生なので、「あとの電車で追いかけます」とメールが来て、しかし、「駅まで来たのですが、どちらなのかわかりません」「追いつくのはあきらめました、今日は遠足は欠席にして、夕方に合流します」となりました。そして京大の化学教室での打ち上げの宴会にやって来たその人から聞くと、出町柳駅から、「叡山電車」に乗って、京都市北部の「はちまんまえ」まで行き、三宅八幡のあたりをほっつき歩いていたのだそうです。そのKさん、彼もなみなみならぬ才能を持っているみたいなんです、将来を楽しみにしています!






霊験あらたかなる石清水八幡宮