2015年5月1日金曜日

KはKyoto DaigakuのK・・・

リーダの長田です。なかなか書けないって時は、題名も「ああでもない、こうでもない」となって、この文も「山までは見ず」にするかどうか迷いました。

ブログって好きなように好きなことを書き散らかしているうちが良くって、そういう文章はきっと読んでいてもおもしろいのだと思います。何年か前に、このブログでアクセスが多かったのはどの記事かということで、「めっちゃ優秀な同級生」というのが栄えある1位になったと言われ、喜びました。そこでは京大の研究者を素直に賛美して称えていたり、感心した話を何のてらいもなく書いたのが良かったんだと思います。ところが、文が書けなくて悩み始めると、こんなふうに褒めたら他の人は気を悪くするんじゃないかとか、こう感謝したらヘンにおもねっていると思われるんじゃないかとまで考えるようになって、1行も進みません。

4日前に、望遠鏡技術検討会を岡山天体物理観測所で開いて、皆で記念写真を撮りました。望遠鏡は仮ドームに無事おさまって、これからはじっくりといろいろな調整をし、その間に本設ドームの完成を待つ、という段階まで来ました。本当に皆様のおかげです。

その中で、いくら感謝しても感謝し切れない人に、Kさんがいます。どれほどの貢献をいただいたかを書こうとすると、そもそもいくら行数があっても足りませんが、それをあまり素直に書くと、それこそ他の人を傷つけることになるんじゃないかとも思い始めてしまい、逆に何も書けません。・・・全然違うことを書きましょう。ウチの娘がまだ高校生だった頃、Kさんに挨拶をしたら開口一番、「背が高いねえ!」。娘は細いとか小さいとか言われたことはあっても、そんなふうに言われたことは一度もなく、この一瞬でKさんが大好きになってしまいました。どうもKさんには初対面でも人の心をとらえて離さないところがあるように思います。私にはそういう天性の素質がなくって、Kさんにもそういう素直な感謝の念を伝えきれずにいて、だからこそこうやってイニシャルでここに綴るという屈折したけったいなことをやっているのですが、真のリーダにはまったくあこがれますねえ。


さて、率直に尊敬と賛美の念をほとばしらせたところで、率直にボロクソに書いているエッセーに関連して、です。「山までは見ず」、さらに段を改め「これも仁和寺の法師」とまで書かれて700年近くにわたって悪口が日本人の頭にしみついているその仁和寺(?)、ではなく、石清水八幡宮に、理学部の遠足で行って来ました。教授に厄年の人がいて、厄落としに行こう、ということでした。遠足参加者には、アシモフやブラッドベリのSFおたくの学生がいたり、ホントにおもしろい面々がそろっていて飽きません。「山までは見ず」ではなくて、ケーブルカーで山の上だけに行ったのですが、その遠足の集合時刻に遅れた学生がいました。私たちは出町柳駅から京阪電車に乗って京都の南の八幡市へと向かいました。いまどきの学生なので、「あとの電車で追いかけます」とメールが来て、しかし、「駅まで来たのですが、どちらなのかわかりません」「追いつくのはあきらめました、今日は遠足は欠席にして、夕方に合流します」となりました。そして京大の化学教室での打ち上げの宴会にやって来たその人から聞くと、出町柳駅から、「叡山電車」に乗って、京都市北部の「はちまんまえ」まで行き、三宅八幡のあたりをほっつき歩いていたのだそうです。そのKさん、彼もなみなみならぬ才能を持っているみたいなんです、将来を楽しみにしています!






霊験あらたかなる石清水八幡宮




2015年4月17日金曜日

2015.4.17

お久しぶりです。1月あたりに広報担当を仰せつかった野上です。

2つ前のブログ記事で、木野さんから望遠鏡の建設の進捗状況の報告がありました。仮ドームの中での組み立ては3月末で1段落ということもあり、広報担当としてたくさんの新聞やテレビの取材の対応をさせて頂きました。山陽新聞さんでは「子ども記者」という企画で、小学校5年生の方からの取材もありました。地元の方からの期待が大きいことがよくわかり、我々もそれに応えるべく頑張っていかないとと、気持ちを新たにしております。今後は様々な調整、本ドーム建設、観測装置製作を同時並行で進めます。まだまだ本格的な観測までは時間がかかりますが、引き続き応援して頂けますとありがたいです。

さて話は変わりまして、私も大学の教員なので大学生に対しての講義を行います。天文関係の講義だけではなく、基礎科目の担当となることもあります。所属が理学研究科物理学・宇宙物理学専攻なので、物理学の講義を行うわけです。ということで、私が今年前期に担当するのが「物理学基礎論A」。なんのこっちゃ、という科目名ですが、解析とか熱とか統計とか量子とかが付かない、いわゆる力学です。学生時代に受けた講義のノートなんて残っていません(ろくな学生でなかったので、そもそも講義にどれだけ出ていたかも怪しい)し、土日には、教科書を読みながら講義ノートを作っています。

49()に初回の講義がありました。最初だし、ということで自己紹介。「専門は天文学です。」と言うと、ちょっとザワっとした反応あり。調子にのって「宇宙って、地球上では考えられないスケールでの爆発だらけなんですよ。それが面白い!あ、だいたい皆さん、宇宙の広さってどんな感じがわかってます?」という流れから、Mitakaをプロジェクタで表示して(Mitakaをご存知ない方は、是非ネット検索してご自分のPCにインストールして遊んでみて下さい。)地球から宇宙の果てまで簡易宇宙旅行。興味を持ってくれているのが伝わってきて、俄然そちらに走ってしまいました。昨年高校生を相手に行った講演の資料を出して、「宇宙でどういう爆発があるかというと、、、スーパーフレアとは、、、」なんて話をしているうちに、気がつくと時間が半分終わっていました。

今後も天文の話を交えながら、力学の講義をやっていこうと思います。




写真は力学の教科書の金字塔・ニュートン著「プリンキピア」(Wikipediaより)






2015年4月6日月曜日

天文台長の柴田です

   先日の2015年1月30日、朝日放送の「こんなところに日本人」というTV番組で、ペルーで活躍中の石塚睦博士・イシツカ・ホセ博士親子が紹介されました。ご覧になられた方もおられると思います。今日は、この石塚博士親子と私(および最近の京大天文台)とのつながりについて、少しお話したいと思います。
 石塚先生は京大宇宙物理教室の大先輩で、50数年前、大学院生の時にコロナ観測所を建設するためにペルーに渡られました。3年で帰国するはずが、苦難の末30年の歳月をかけてコロナグラフ観測所をようやく完成させ、定常観測を始めたその矢先に、反政府ゲリラに観測所を爆破されるという悲劇的体験をなされた方です。当時は命までねらわれていたそうです。
それにもめげずペルーの天文学発展のために献身的な努力をされてこられました。私にとっては尊敬する大先輩です。その石塚先生が20043月に花山天文台に来られ(写真)、どんな古い望遠鏡や器械でも良いから、ペルーに寄付してくれませんか」とおっしゃっていたのです。そのときはすぐにペルーに寄付できるような望遠鏡や器械は見つからなかったのですが、石塚先生の言葉がずっと記憶の奥底にありました。
2006年のある日、ふと「飛騨天文台のフレア監視望遠鏡(Flare Monitor Telescope = FMT)をペルーに移設すれば、一石三鳥(石塚先生支援、ペルー支援、そして太陽観測の上でも最適)ではないか」、と思ったのです。その頃、飛騨天文台にSMART望遠鏡が完成し、太陽全面Hα像観測という点ではデータが重複するようになっていました。それで、FMTをどこか良い場所に移設する可能性を考えていたのです。すぐに石塚先生にFMTの移設先として「ペルーで引き受け可能性でしょうか?」とメールを出しました(2006730日)。すると翌日すぐに「お申し越しの件、何とか出来ると思います。これから研究所の所長に話します。」とポジティブな返事が来ました。
翌年2007年1月、早速、上野君と一緒にペルーを訪問し、石塚先生が勤務されておられるペルー地球物理学研究所のウッドマン所長と面会しました。また、FMT移設候補地のイカ大学を視察し、同大学の学長、理学部長にもご挨拶しました。いずれも皆さん、大歓迎、ということで、FMTのペルーへの移設計画がスタートしました。
20103月、FMTは無事、イカ大学太陽観測所に移設できました。最初は仮設棟住まいでしたが、2013年、イカ大学にFMTを収納する建物がようやく完成し、「ムツミ・イシツカ・コマキ太陽観測所」と命名されました。(コマキというのは、石塚睦先生の母上の姓で、スペイン語では両親の姓をつけるのが正式なのだそうです。)
以来、日本の夜間に発生したフレアが多数観測されています。ペルーの若者達を中心にデータ解析も進み、ようやく最初の論文が投稿される寸前まで来ています。
 ペルーでは、石塚先生はご高齢のため引退されましたが、幸い息子さんのイシツカ・ホセ博士が後を継がれ、ペルーに天文学の土台を築こうとしています。日本からも、上記FMT以外に、「ペルーに電波望遠鏡を支援する会」、「ペルーに60cm反射望遠鏡を贈る会」など支援の輪が広がっています。 私は現地に何度か行きましたが、ペルーの人々、とりわけ、若者たちの石塚先生への尊敬の念がいかに高いか、また、最先端の学問への憧れがいかに強いか、肌で感じ感動しました。日本から遠く離れた地球の裏側で、天文学のため、ペルーという発展途上国の学問の発展のため、一生を捧げた素晴らしい日本人がいるということを、私は大きな誇りに思います。このような人と人のつながりによる支援こそが、資源のない日本が世界に大きく貢献できる分野ではないかと思います。

 60cm反射望遠鏡については、西はりま天文台前台長の黒田武彦さんのリーダーシップの元、同天文台職員のみなさん、西村製作所のご支援のおかげで寄付が実現し、昨年秋に、正式にペルー・イカ大学に望遠鏡の引渡しがなされました。
現在、ご子息のイシツカ・ホセさんが、ペルー最初の電波望遠鏡の立ち上げに悪戦苦闘されています。「ペルーの電波望遠鏡を支援する会」のウェブサイトが以下にありますので、みなさまぜひご覧ください。そして、ぜひご支援ください。

 また京大とペルーの学術交流の支援(特にペルーの若者達を日本に招く留学資金や渡航費、FMT望遠鏡の維持運用経費の支援)については、天文台基金からご支援いただければ幸いです。

                          (2015年4月4日)



2004325
 石塚睦先生が花山天文台を訪問されたときの記念写真。
左より、柴田、石塚先生、奥様、イシツカ・ホセ博士(ご子息)

2015年3月26日木曜日

望遠鏡の近況

制御担当の木野です。

3.8望遠鏡の開発関係者が記しているこのblogですが、肝心の望遠鏡に関する書き込みがあまり無いですね。でも決してサボっているわけではなくて開発は着々と進んでいます。

まず昨年の11月末には望遠鏡を仮設置する建屋が岡山天体物理観測所に隣接する博物館の駐車場に完成しました。それと、ここではまだ誰も書いていませんが、最終的に望遠鏡を設置する本ドームの予算が1月に内定しました(某大臣の献金問題などで国会での審議が進んでいませんが…)

望遠鏡本体の方は、名古屋大学の構内で仮組みしてあった鏡筒と高度軸を22日に仮ドームへ搬入。残りの方位軸構造や鏡を支える細かな部品も2月末から3月にかけて搬入し組み立てました。大型部品が組み立てられたので望遠鏡らしい姿になってきました。下の写真は317日時点の望遠鏡で、架台構造はほぼ組み上がり、分割主鏡を支持・駆動する部品の取り付けている途中です。
作業の様子は3.8m望遠鏡のWebページや、岡山天文博物館のfacebookに掲載されていますので興味がある方はご覧下さい。

今後は分割主鏡の結像性能の試験、架台の駆動軸や分割鏡の制御装置など可動部分の精密な測定・調整といった作業が予定されています。平行して建設される予定の本ドームが完成した後に望遠鏡を移設し、順調に行けば23年後に本格観測を始める予定です。




【画像】
仮の建屋で組立途中の3.8m望遠鏡。オレンジ色の骨組み部分が鏡筒で下部に主鏡、上部にある黒色の六角形部分に副鏡が取り付けられる。鏡筒左右の灰色の台の上に観測装置が載る。写真の左端に写っているのは国立天文台岡山天体物理観測所の1.88m望遠鏡のドーム。




2015年3月6日金曜日

Le Penseur(考える人)

プロマネの栗田です。

先日、京都国立博物館に行ってきました。前庭で久しぶりにロダンの「考える人」を観ました。最初に「考える人」に会ったのは中学生のころで、静岡県立美術館でした。Wikipediaによると、こちらは死後の鋳造で京都国立博物館のものはオリジナルのひとつだそうです。

芸術には疎い僕ですが、「考える人」をみるといつもつくづく「よーく考えてるなぁ」と想います。で、高校生の時になぜそう見えるか僕なりに「考えた」結果たどり着いた答えがあの右ひじの置き場所です。記憶を辿って「考える人」のポーズを実践してみると右ひじは右ひざの上に来てしまいます。どうしても右ひじは左ひざの上に自然と来ません。やってみるとわかるのですが、かなり窮屈です。

「考える人」はこどもでも「よーく考えている人」に見えます。また不思議なことに悩んでいるようには見えません。これは僕の妄想なのですが、ロダンの凄いところはこういう体の動きの演出も巧みだったのではないかと思います。余談ですが、今回「考える人」の左足親指が反りあがっているのをみて、ますます深いなぁと思ってしまいました。


ちなみに、京都でよーく考えているお方と言えば、広隆寺の半跏思惟像です。こちらは実に自然に慈悲深くお考えになっておられます。双方の考える内容が異なるので異なるポーズになった気がします。





Wikipediaより



2015年2月20日金曜日

2015年

  観測装置担当の山本です。

  もう年が明けてから一月半も経ってしまっていますが、皆様、あけましておめでおとうございます。本年もよろしくお願いいたします。しかし2015年です。2015年。いやはや。2015年というのはなんとも感慨深い響きを持っています。2015年は「未来」そのものなのです。

  1989年公開のハリウッド映画『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』において、マイケル・J・フォックス扮するマーティーがクリストファー・ロイド扮する科学者ドクによって開発されたタイムマシン『デロリアン』が、「現在」の1985年からタイムスリップした「未来」が何を隠そう、2015年です。今年に入ってからたびたびメディアでも取り上げられていますので、皆さんもご存知かもしれません。具体的には20151021日。我々は今まさに、30年前から見た、30年後の未来、を生きているわけです。書いていて自分でワクワクしてきました。最近はあまりテレビ放映もされていませんが、その魅力は色褪せることはないでしょう。映画の中では様々な「未来予想」がなされています。ご覧になったことがある方も、ない方も、答え合わせのつもりで鑑賞されても楽しいかも知れません。

 さて、子供の頃からビデオテープが擦りきれるほど見ていたバック・トゥ・ザ・フューチャーですが、私が2015年と聞いて真っ先に思い出す作品は、実は別にあります。1995年放映開始のテレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』です。謎の生物「使徒」と闘うために作られた巨大ロボット「エヴァンゲリオン」を巡る様々な謎と、複雑な人間関係などを描いたSF作品で、放映終了後非常に話題を呼びました。さて、この第1話で一番最初に画面にデカデカと表示されるのが、『時に、西暦2015年』という時代設定なのです。20年後の(近い)未来である、と言う事が重要でした。これを書いている現在、物語を再び組み直した4部作の『新劇場版』が順次公開されており、あとは完結編だけ、なのですが、まだ公開情報は解禁されていません。「完結編を公開するなら物語の舞台の2015年しかないだろう!!」という予測をしていますが、テレビ版の最終回が物語中での2016年なので、まだちょっと先かも知れません……

 ちょっと脇道にそれすぎですかね? もう少しだけ。じつは2015年はスター・ウォーズ、007、ジュラシック・パーク、ターミネーター、ミッション・インポッシブルなど、映画のビッグタイトルが狙い澄ましたように、最新作の公開を予定している年でもあるのです。未来が実際に立ち現れる年、新しいものが動き出す年。もしかしたら2015年にはそんなイメージがあるのかも知れません。

 そんな2015年が持つ「未来」「新しい」というイメージに合わせるように、京大岡山3.8m望遠鏡が、本年3月中の完成を目指して組み立てられています。私が担当している観測装置も、望遠鏡への搭載に向けて組み立て・試験を行っています。5年後、10年後の新発見に向けた準備は、着々と進んでいます!!




画像は観測装置の一番の肝となる部品。中央の金色にぼけている部分が重要です










2015年2月10日火曜日

研削風景

こんにちは。鏡製作担当の高橋です。

今回は鏡を研削している風景を紹介します。京大岡山3.8m望遠鏡の主鏡は、(株)オハラさんから納入されたクリアセラムという硝材を研削、研磨して仕様を満たす形状に仕上げていくのですが、これまで一度も研削風景を紹介していなかったことに気づいて、少々焦ってしまいました。







これが、研削の様子を写した写真で、中央に見える黄色い物体が望遠鏡の主鏡、外周12枚のうちの1枚で、ざっくり1メートル四方のサイズです。続いて、左上の黒いのは砥石カバー、その下から少し見えている円盤が研削砥石です。静止画では分かりづらいですが、硝材は地面に垂直な軸に対して、砥石は奥の壁に垂直な軸に対してそれぞれ回転し、さらに硝材は画面右から左に向かって移動、それに伴って砥石は下に向かって移動していて、この動きで鏡が凹面に削られていきます。
硝材や砥石にかけられている液体は「研削液」とよばれるもので、砥石と硝材の摩擦熱を奪い、削りかす(スラッジ)を流す役割があります。研削加工には必要不可欠なものですが、これはただの水でなく、防錆材や潤滑成分などが含まれていて、少し臭うのが難点です。加工の観察などしている際に濡れてしまい、しょんぼりしてしまうこともあります。

さて、この研削加工ですが、一回の加工で削り取る厚さは0.03mm。これは粗加工時のもので、仕上げ段階ではさらに少なく 0.001mmにまで下がります。外周用主鏡セグメントの最終加工深さは16mm弱なので、500回以上かけてようやく必要な形状が得られます。

こうして、鏡は次々と加工されていくのですが、スラッジは研削液と共に流れていき、沈殿、ろ過などを経て液と分離されます。この分離されたスラッジ、鏡一枚当たり10kg以上でて、主鏡だけでも18枚あるため結構大量になります。
塊だった時にはかなり高価だったものなのですが、粉状になってしまうと。。
どなたか欲しい方いませんか?

  では、また。