2016年1月22日金曜日

君はブラックホールの瞬きを見たか?

いやー、うちの大学院生・木邑真理子さんがやってくれちゃいました!
何をやってくれたかってーと、ブラックホールですよ、ブラックホール!
ブラックホールが目で見えるって論文を、今年早々、17日発売の雑誌
Nature に出してくれました!

あ、興奮して申し遅れました、広報担当の野上です。

馬鹿言っちゃいけない、ブラックホールは光さえ出てこられないから黒い穴・ブラックホールちゃいますのん?と思ったあなた!
そのとーり!あなたは正しい。

じゃあ何を観測したかというと、ブラックホールにものが落ち込むときに、瞬くがごとく、あるいは断末魔の叫び声を上げるがごとく、バタバタと明るさを変化させます。これを観測しました。ブラックホールのすぐ近くというのは、ものすごい重力がかかり、温度が1千万度以上にもなるような、異常な空間になっています。こんな高温の物質が出す光はX線、もしくはガンマ線と相場が決まっていて、実際ブラックホール(近傍領域)の知見の多くはX線での観測によって得られてきました。このバタバタもX線ではこれまでに観測例があり、理論的にも、やたらと大量にものが落ち込んで、ある一定の条件を満たしたときのみ起こりうる現象だろうと理解されてきました。

しかし今回、ブラックホール連星はくちょう座V404星が26年ぶりに明るくなったということで、京大のグループが世界中に観測を呼びかけ、アマチュアも含む多くの方が可視光での観測に参加してくれました。最終的に、26カ国に及ぶ35本の望遠鏡での観測になりました。もちろんX線での観測も、これは我々の呼びかけに応じて行われたというわけではありませんが、行われました。
  そのデータを突き合わせて解析したところ、以下のことなどが観測的に明らかになりました。
1)X線でも可視光でも様々な時間尺度で様々な振幅で明るさの変動が観測される。
2)X線での変動が、ほぼ同じような形で、しかし約1分遅れで可視光で観測される。
3)これまでX線でしか観測されたことのない、数分から数時間の時間尺度で繰り返される変動現象が、可視光で観測される。
4)その繰り返し変動は、それほどたくさんものが落ち込んでいない(これまで考えられていた量の10分の1以下の)ときでも起こる。
  特に2)3)のことは、ブラックホール周辺でどのようなことが起こっているのか、可視光でもきちんと観測できることを示しています。また4)のことは、ブラックホールはとかく大量のものが落ち込むときに変なことが起こる、と考えられてきたのですが、そんなに極端なときでなくてもやっぱりブラックホールは変な天体であるという、研究者にある種の意識改革を促すことでした。

まあ物理的なことはさておき、今回のブラックホールの瞬き(あるいはブラックホールに落ち込むものの断末魔の叫び)は、目で見える光で11等くらいの明るさの時にも観測されました。研究データとしては、CCDカメラで写真を撮ってその明るさをデジタルに測って記録する必要がありますが、これは20cmくらいの口径の望遠鏡を使えば、まさに「目で見る」ことができる明るさです。実際、目で見た!という観測者の報告が観測者のメーリングリスト上に流れたりもしました。

ブラックホール天体は数が少なく、またこのように明るくなることはとても稀(ブラックホール連星がこんなにきちんと観測できるほど明るくなったのは、全ての天体を合わせても10年ぶり)なのですが、次の機会には是非皆さんも見る、あるいは観測することにトライしてください。
その時には我らが3.8m望遠鏡も、ブラックホールの謎を解明すべくガンガン観測しているはずです。

  最後に、ブラックホールの瞬きがわかりやすいように、CCD画像をつなげた動画へのリンクを付けておきます。雑誌NatureHPで公開されているものです。

また、この成果はたくさん新聞、ニュース、web上の記事で取り上げられましたが、その中で京大の広報のHPへのリンクは以下のものです。
木邑さん自身のHPでも解説記事を掲載しています。



                                                         Illstration: 小野英理





2015年12月25日金曜日

西村有二さんを偲ぶ 2015年12月23日

 今年を振り返ると、58日に西村製作所の社長の西村有二さんが突然亡くなられるという悲しいできごとがありました。享年68歳でした。西村さんとは古い付き合いで、追悼文を書くつもりで、写真を集めたりして、準備をしていたのですが、筆不精のため半年以上たってしまいました。ブログの順番がまわってきたのを良いきっかけとして、少し西村さんの思い出を書きたいと思います。

 西村さんと初めてお会いしたのは、私が愛知教育大に就職したばかりの頃、1981年だったと思います。愛知教育大には屋上に西村製作所製の40cm反射望遠鏡があり、望遠鏡の修理やメンテのために、西村さんがちょくちょく愛知教育大に来ておられました。当時は私はまだ26歳。西村さんも34歳くらい。西村製作所は京都に会社があり、私も京大から就職したばかり、ということで、親しくお話してくださいました。あるとき、望遠鏡が動かないので困り果てて、西村さんにすぐに電話しました、「とにかく困っています。すぐに来てくれませんか?」。西村さんは京都からはるばる車をぶっ飛ばして来てくださいました。しばらく屋上ドーム内の望遠鏡をチェックされておられた西村さんは、突然、「先生、コンセントが抜けてますやん!」コンセントをつなぐと望遠鏡は見事に動き出したのです。「いやー、大変助かりました。何せ私は理論家なもので、、、、」こんなことがあっても西村さんは不平の一言も言わず、その後も何度も愛知教育大に来て助けてくださいました。
 その後、1991年に私は国立天文台に移り、「ようこう」衛星によるスペース太陽観測にかかわるようになりましたので、仕事の面で西村さんと直接お話することはなかったかと思います。しかし、西村さんとは色んなところでお会いしていた記憶があります。それが天文学会なのか、京大なのか、国立天文台なのか、今となっては記憶はあやふやですが。いつもにこにこ、「柴田センセ、元気にやってますか?」という感じで親しく話かけてくださるのです。まるで先輩後輩の間柄のように。
実際、私が京大時代(その後も)お世話になった先生方は、みな西村さんとは親しい間柄でした。それもそのはず、現在花山天文台にある大陽館の70cmシーロスタット(1961年)は西村製作所製、飛騨天文台の太陽磁場活動望遠鏡(SMART)(2003年)も西村製作所製なのです。今、ペルーにあるフレア監視望遠鏡(FMT)(1992年に飛騨天文台に導入、2010年にペルー・イカ大学に移設)も、西村製作所製です。
実は、西村有二さんのお父さんの西村繁次郎さんは、花山天文台の旧職員だったことがあります(「花山天文台70年の歩み」p.68)。西村製作所の沿革を見ますと、
1926 (大正15) 国産第1号反射望遠鏡を製作、京都大学に納入。」
とあり、また、冨田良雄・久保田諄著「中村要と反射望遠鏡」p.148 には、
「(中村要は)1930年秋には神戸の射場のために口径19cm焦点距離224cmの対物レンズを製作。西村製作所の作った赤道儀に搭載した。」
とあります。レンズ・鏡磨きの伝説の名人、中村要(当時、花山天文台助手)が作ったレンズや鏡を用いて西村製作所が望遠鏡を完成させ、アマチュア天文家に普及していた様子がうかがわれます。実際、インターネットで調べてみると、
http://www.astrophotoclub.com/nakamurakaname/nakamurakaname.htm
「中村(要)は300面近い鏡を製作し、西村製作所や五藤光学研究所の望遠鏡に取り付けて安価で高性能の反射望遠鏡を広くアマチュアに普及させた功績は大きいと言えるだろう。1926年に西村製作所(西村繁次郎)は京都大学へ国産第1号反射望遠鏡を製作納入している。」(「中村要と反射望遠鏡」加藤保美氏)
とのことです。京大花山・飛騨天文台が西村製作所とともに発展し、さらにまた、アマチュア天文学の発祥の地と言われる花山天文台におけるアマチュア天文家の育成にも、西村製作所が大きな役割を果たしてきたことがわかります。
 こういう西村製作所と京大天文台の間の親密な歴史は、実は最近になって知ったのですが、西村有二さんが私にとってまるで先輩か兄のように親しくしてくださったのは、こういう歴史のおかげだったのだと思います。
 私が京大花山天文台の台長になってからも、飛騨天文台や花山天文台の望遠鏡がトラブルになったときは、いつもすぐに西村さんに電話して助けていただいていました。いつだったか、夜の10時頃、花山天文台での観望会後に本館ドームのスリットが閉まらなくなったときも、急いで西村さんに電話しましたら、真夜中にもかかわらず、すぐに関さんと一緒に花山天文台に来てくださり、応急処置をしてスリットを閉めてくださいました。スリットが閉まらないと、雨が降ったら望遠鏡は台無しになりますから、このときほど感謝したことはありません。
 近年も、京大天文台の関わるあらゆる事業、ペルー、サウジアラビア、飛騨、岡山、そしてNPO花山星空ネットワーク、野外コンサート、宇宙落語会に至るまで、西村有二さんからはいつも暖かいアドバイスやご支援をいただいていましたので、西村さんの急逝は、本当にショックでした。返す返すも残念でなりません。

ご冥福をお祈りします。


柴田 一成





20111220日、花山天文台忘年会の折。後列左から3人目が西村有二さん

2015年12月18日金曜日

マイヨール博士の言葉

  プロマネの栗田です。
  20151112日に京都賞のワークショップに参加してきました。今年の京都賞基礎科学部門の受賞者は初めて太陽型恒星のまわりを公転する系外惑星を発見したスイスの天文学者ミシェル·マイヨール(Michel Mayor)博士でした
  博士が惑星を検出した方法はドップラー法と呼ばれる方法で、惑星の引力によってゆすられる星の光のズレを検出するというものです。このズレとは、通り過ぎるサイレンの音色が変わるのと同じ原理で、惑星をもつ星が観測者に対して前後に動くとその変化が光の色の変化として現れるというものです。しかし、惑星は星に比べてとても軽いので、星の動きもとても小さいのです。博士らは秒速数十メートルの動きを検出できるような分光器(HARPS ELODIE)を仲間と開発しました。光の速さは秒速30万キロメートルですから、1千万分の1の変化を検出できるというとてつもない装置です。例えば、東京都の人口がひとり増えたか減ったかを感じることができるということです。すごいですね!






  この写真はワークショップの会場の廊下に博士の経歴を紹介するために飾られたもののうちの一枚です。美しい星空と博士らが実際に観測に使った望遠鏡が映っています。その写真によせられた言葉が印象的でしたので最後にそれを記したいと思います。

 「正直で親切、他者を尊重できる人を尊敬する。HARPSの開発が成功したのも、メンバー全員が前向きで互いに好意的だったからだ」


2015年11月27日金曜日

系外惑星の紅葉を見よう

 観測装置担当の山本です。

 2015年11月下旬です。紅葉真っ盛り、ですね。あくまで暦の上では、ですが。京都に移ってまだ2年目なので、休日には新鮮な思いで京都の秋を満喫しています。
しかし今年は紅葉狩りに出かけても「一面の赤黄色」と言う事は無く、十分色づいた樹もあれば、まだまだ青々とした樹もあり、かと思えば既に葉がすべて散ってしまっている樹もあり、まばらな、ばらばらな紅葉風景です。



東福寺


 今年は比較的暖冬で、昼夜の寒暖の差があまりないのが原因らしく、確かに昨年は底冷えするような夜が多かった記憶がありますが、今年はまだコタツも出さず、朝布団から抜け出るのも比較的容易な気がしています。

 ところで、ここまで紅葉、紅葉と書いてきましたが、皆さんはどう読まれたでしょうか?
私は「秋になって葉の色が変わること」を、こうよう、そうした樹木の内特定のものを、もみじ、と呼ぶのだと思っていました。しかし、葉の色が変わる、と言う現象そのものを「もみつ」と呼び、時代が下って「もみぢ」と変化してきたようですね。「もみぢ」を見せる典型的なカエデを特に「もみぢ」と呼ぶのも全く間違いというわけではないですが、あくまで狭義の意味だったようです。また「こうよう」も「紅葉」だけでなく「黄葉」と書いたりもするようで、上手いものだなぁ、と思いました。

 さて、なぜ紅葉は紅葉するのでしょう? もともと、植物の葉が緑色なのは光合成を行う葉緑素(クロロフィル)が緑色を強く反射しているからです。日照時間が短くなり光合成が十分行えないようになってくると、葉緑素を分解して吸収・回収するそうです。そうして緑色の反射がなくなるのですが、実は植物にとっては赤い光(波長0.75um-1.1um)も不要で、葉緑素は(赤外線に近い)赤い光も反射しています。それを補助する他の色素(アントシアン(赤)やカロテノイド(黄))もあり、これらの色素は葉緑素が分解されたあとも残るため、赤や黄色に色づくわけです。

 天文と関係の無い時節の挨拶のような話に思われたかも知れませんが、実は天文学の最先端、太陽系外惑星、そして地球外生命探査に関わる話題なのです。
植物というと緑色をイメージすると思いますが、上で紹介したように実は、植物は赤い色も一年中反射している、つまり赤く光っているのです。
我々が開発している系外惑星撮像装置ではまだ難しいですが、将来的には太陽系外惑星の表面がどのような色をしているかが観測出来るようになります。そのとき、惑星表面の大まかな情報は見分けることが出来るようになります。つまりそこが海であるのか、土・沙漠のような地形なのかが、色から分かります。他の波長に比べて強く赤く光っている惑星があったら、そこには地球の植物とよく似た生物が居る、と判断しても良いかも知れません。

 次の紅葉シーズンは半年か、およそ一年経てばやってきます。出来るだけはやく、地球以外の惑星の紅葉を発見出来るよう、頑張って開発を進めていきます!




2015年11月12日木曜日

すばるTAC

  プロの天文学者は、晴れていれば夜な夜な観測していると思われているらしい。だが、一般にはそうではない。以前にも書いたが、国立天文台の岡山天体物理学観測所188cm望遠鏡やハワイのすばる望遠鏡といった共同利用望遠鏡で観測する場合には、まず観測申請をする必要がある。審査を経て採択されたものだけに望遠鏡時間が割り当てられる。倍率は望遠鏡によるが、典型的には2-5倍程度であろうか。そして割り当てられる夜数は、半年で数夜とかそんな感じである。なかなか厳しいのである。
 さて、今回はその内幕を暴こう。久しぶりにすばるTACメンバーを拝命した。正式名称は「すばる望遠鏡プログラム小委員会」であるが、観測時間を割付けるので、Time Allocation Committeeとも呼ばれ、通称「すばるTAC」というわけである。ここで審査が行われ採否が決まる。
 研究者が申請する研究提案をプロポーザルという。プロポーザルには大概以下のようなことが書かれる。①提案する研究課題を明示し、その問題がいかに重要なのかを説明する。②この問題を解くにはこういった観測量が必要で、それがわかるとこう解決する。③そのような観測は実際に実行可能である。と、いった具合である。
 この9月に締切のあったすばるのプロポーザル数は200弱であった。これを分野別に約10のカテゴリに分ける(基本は申請者の自己申告にもとづく)。各カテゴリに5人のレフェリーをつけて査読してもらう(レフェリーには外国人も含まれる。TACメンバーはレフェリーにはならない)。そして、いくつかの観点からスコアをつけてもらうと共に評価ポイントも書いてもらう。むろん、プロポーザルの提出者や共同研究者は自身のプロポーザルの審査はしない。
 TACではレフェリーのスコアを集計して、最終的な採否の判断を行なう。レフェリーからのスコアの平均で概ねの採否は決まるのであるが、TAC委員としては、自分なりの評価を行い、レフェリーが何か勘違いして不当に高い(低い)スコアをつけていないかといった点もチェックし、必要なら高スコアでも採択をせず逆に低スコアでも採択することもある。また、ボーダー付近のプロポーザルは特に注意を払って採否を決めていく。更に、観測所の装置担当者が、本当に観測可能なのかどうか技術的な審査をした結果も勘案しなければならない。どんなにすばらしい研究課題であっても、観測不可能であっては実施できないからである。
 しかし、これだけではまだ足りない。よいプロポーザルをどんどん採択していくと、現実には観測割り当てができなくなることが起こる。例えば2-3月でないと観測できない天体がターゲットでしかも暗夜(月のない夜)でないと困る、というようなプロポーザルがたくさん採択されると、割り付け夜数がパンクして破綻してしまう。このような場合は比較的高スコアでも採択には至らないことがある。逆にすいた時期だとスコアが少し位低くても採択されることもある。その他、現在のすばる望遠鏡ではこの手の外的条件が増えていて、今回10年ぶり位でTACの仕事をしたが、極めて複雑で大変な割付作業になっていた。採択会議はみっちり2日間三鷹で行なわれ、2日目の夕刻にはくたくたになって帰路についたのであった。
注:実際のTACの仕事はもっとあるが紙幅の関係で省略した。また、上記のような採択方式はどこの天文台でも同じかというとそうでもなく、いくつかの方法がある。すばるTAC自身でも時代によって少し違う場合もある。

                         2015117日 太田耕司

 


2015年10月30日金曜日

「月の色」


光学など担当の岩室です。

 今年の秋は "スーパームーン" が話題になりましたが、私も流行にあやかって月の写真を撮ってみました。使用した機材は、口径 25cm ドブソニアン望遠鏡の銀次ソニーNEXTマウントアダプタを介してNEX-5R を直接焦点に接続したものです。望遠鏡を暫く外気になじませた後、大気揺らぎが大きいなぁ...と思いながら雲の切れ間を縫って念入りにフォーカスを合わせ、1/200 のシャッタースピードでとにかく連写。100枚近く撮ってから、運良く大気揺らぎの最も小さい1枚を選定しました。こういう手法は「ラッキーイメージング」と呼ばれ、天文学でも使われる場合があります。

画像の全体を見ると、カメラのせいか(オートホワイトバランスってやつでしょうね)見た目よりも白っぽい感じで写っています。
このままではただの月の写真で面白くないので、色を強調してみることにしました。すると、意外なことに場所によってかなり色が異なり、また、その境界は結構はっきりと分かれていたのです。これは、表面にある岩石が太陽光を反射するときの反射率特性(アルベドと言います)の違いを現しており、多分、それぞれの部分ができた時の年代の違いとかが関係しているのだと思いますが、インターネットで調べてもどちらの部分も玄武岩ということしかわからず、色の違いの原因はわかりません。




どなたか、詳しい話をご存知でしたら連絡下さい。それにしても、色を強調すると別の星の衛星みたいですね(ガニメデとか)
中央右上の青い海がアポロ(11)が初めて着陸した「静かの海」だそうです。建設が始まりつつある口径30m望遠鏡に究極の大気揺らぎ補償装置を付けても、月面上の10mのものが識別できるかどうかというレベルなので、地球からは着陸船は見えません(月の周回衛星からは見えている ようですが)
こんなに遠いところまでよく行ったもんですね。


それから、月と言えば中国が口径15cmの紫外線望遠鏡を上記「静かの海」2つ左の「雨の海」に設置してから1年半、望遠鏡は順調に稼働しているらしく、最近の研究報告の速報 にも出ていました。中国は進んでいる部分と遅れている部分の差が激しく、全体としてすごいと思うべきなのかどうだか良く分からないといった印象ですね...



2015年10月16日金曜日

新・天文学入門

 今年(2015年)6月に岩波ジュニア新書を刊行しました。『新・天文学入門』(岩波ジュニア808)です。これは、埼玉県の春日部女子高校教諭の鈴木文二さんと私の共編著の本で、実質5人で惑星・恒星から銀河・宇宙に至る壮大な物語を執筆分担しました。「ジュニア新書」と銘打っていますが、決してレベルを落とした本ではありません。理系の本を敬遠されがちな一般の方も十分楽しめるような本づくりを目指しました。
 じつはこの本、2005年に刊行した『天文学入門~星・銀河と私たち』(岩波ジュニア512)の改定版です。この10年間、天文学、ことに惑星科学の進展にはめざましいものがあります。わたしたちから縁遠い宇宙の姿が明らかになった一方で、宇宙と地球とわたしたちとの「つながり」という観点は、ますますクローズアップされてきたように思います。ことに系外惑星の相次ぐ発見が、「つながり」を強めました。そこで系外惑星の記述に多くのページをさきました。
 鈴木さんの手になるコラム2は、私も関わっている高校生天体観測ネットワーク(Astro-HS)についてです。活動に参加した高校生はこう語りました。「全国の高校生が同時に観測するというこの計画は、300校近い参加があったそうです。いろいろな場所で、同じ流星を追う、まだ顔も見たことない高校生と時間を共有したのです。素敵な思い出でした。」コラムは次の言葉で締めくくられます。「宇宙を知りたい、その思いは、地球に生きる人類だけでなく、他の惑星系に住む宇宙生命も、きっと同じなのではないかと思います。」

嶺重 慎



 
岩波ジュニア『新・天文学入門』