先週の火曜日(3月28日)、岡山地裁である裁判の判決が出されました。岡山短期大学に勤める山口雪子さんが、視覚障害を理由に授業担当からはずされたことに対し、短大の運営法人を提訴した裁判の判決でした。岡山地裁は彼女の訴えを認め、大学側の措置無効の判決をくだしました。大学側は控訴するかどうか検討中と新聞にありました。
じつは私は、前からこの裁判に興味をもっていまして、昨年11月に開かれた口頭弁論も傍聴しました。じつに得難い経験でした。傍聴して考えたことはいろいろありました。たとえば、「障害のある先生から障害の無い学生が学ぶ意義」「ふだん自分が使っていない感覚を研ぎ澄ます」といったテーマです。これらは畢竟「教育とは何か」という普遍的テーマにも結びつきます。「学びの拡げ方」といったほうが適切かもしれません。それは、自分は今まで学びや教育を狭くとらえていたのではないかという反省につながります。
天文学は、地上の(理系)学問とちがって、対象を直接、手にすることができません。望遠鏡で得られる画像は見ることが中心ですから、視覚障害者の学びは困難とも言えます。ところが一方で、現代天文学はブラックホールやダークマターなど、眼に見えない存在が、じつは宇宙の中で大切な働きをしていることを明らかにしてきました。宇宙の学びに、眼が見える、見えないはさして大事なことではないのかもしれません。では視覚以外の感覚を使って、どう宇宙を学んでいくか。前々から考えているテーマです。
春がきました。ぽかぽか暖かい日差しの川沿いの道をたどりながら、道ばたの菜の花に触れ、そよ風を感じ、小川の流れにじっと耳を傾けてみました。眼で見ていながら、見逃していることがたくさんあることに気づかされます。ゆったりと豊かな時間が流れていきました。
(嶺重 慎)
5月の上高地に咲く花 |
0 件のコメント:
コメントを投稿