2017年7月7日金曜日

A long time ago in a galaxy

 リーダの長田です。

「この文句で始まればもちろんスターウォーズ」と思う人も、「そんな映画、知らん。前回の野上さんのブログで初めて知った」という人もおられるかもとは思いますが、そのスターウォーズの第1作が封切られたのが1977年、もう、ちょうど40年前のことになるのですね。そして3部作が完結したころには私はハワイ大学のポスドクに行き、天文学研究所(IfA)1988年までアラン・トクナガさんのもとで働いていました。研究所は196771日に開所したとのことで、その50周年記念の研究会に行って来ました。

ハワイ島のマウナケアという場所が天文学の観測に適した場所であると見抜いた人々の話や、その後の発展、そして将来への展望に関してとても有意義な研究会でした。おそらく赤外線観測では、たとえチリの晴天率の良い観測所を比較に入れたとしても、世界最高の条件なのだと考えられています。その赤外線観測をハワイでもリードしたのがエリック・ベクリンです。彼はオリオン星形成領域のベクリン・ノイゲバウアー天体に名前を残すだけでなく、天の川銀河の中心を発見したり、L型スペクトルの褐色矮星を見つけたりと、赤外線天文学の歴史を作ってきた人です。

彼は「ナガタのいないハワイ大学なんて」と1990年にカリフォルニアに戻ってしまいました(もちろんウソです。今回も、最初名前を正しく言ってもらえませんでした)が、口径10mのケック望遠鏡に関わり、スピッツァー宇宙望遠鏡に関わり、今もボーイング747SP(あの旅客機のスペシャル・パフォーマンス版!)に2.5m望遠鏡を載せた「ソフィア」プロジェクトで活躍しています。

それにしても長い年月が流れました。ベクリンの顔を20年以上も見ていなかったので、私も彼に声を掛けられて「エリック?」と聞いてしまった(なんで声を掛けられるんや?、いくら会ってなくて自信がなくてもこっちから声を掛けんかい、という自己ツッコミ)ぐらいですから。で、彼の話ではなくて彼の甥の話。
研究会にも参加していて、そして最後の日の夕食にも来てくれました。Zachary Urbinaという若くてカッコいい彼は、サイエンス等のライターもしているとのことで、SEICAに興味を示してウェブで調べ、ハワイのコミュニティの一部が30m望遠鏡に反対していると聞くと、いかにしてSNSを使えば効果的に意識の共有ができるかを提案し、さっそくトクナガさんはハワイ島の関係者と話すと言っていました。昔々の懐かしい記憶と、未来への確実な一歩を感じることのできた3日間でした。

彼の文は以下で読めます:
https://www.ua-magazine.com/living-with-the-sun/.WVdOAmjyj4Y#.WVdO7mjyj4Y

なお、行くときの飛行機の中では何とか英語を聞き取ろうと、「ローグ・ワン」を英語で見てました。
スターウォーズの第2作が封切られたときに「エピソード5帝国の逆襲」だというタイトルに何のこっちゃと言い、第1作が「エピソード4」だったと聞かされた(野上さんのブログ参照)のでしたが、ローグ・ワンというのはエピソード3.5なのだそうですね。あるいはセイファート銀河的に言うと、エピソード3.9なのですね。これまた何のこっちゃ、ですが、エピソード5と同様に最高傑作なのかも知れません。



   ケック望遠鏡とすばる望遠鏡とジェミニ望遠鏡から
   レーザーを発射して天の川銀河の中心部を赤外線観
   測しているところ、の写真を背中に載せたTシャツ
   をハワイ大学IfAでは作っていました。






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