プロマネの栗田です。
中秋の名月が過ぎ、夏に比べて日の短さを実感する頃かと思います。もちろん日の短さでいえば冬至のころが北半球ではもっとも短いのですが、秋の太陽の特徴を表す言葉として「秋の日はつるべ落とし」があります。これは太陽がまるで井戸のつるべが落ちるかのようにあっという間に地平線に沈み、夜になってしまうことを指します。より実感としては、夕焼けが短いことを指します。こどものころ日が暮れても少しでも外で遊んでいたかったですよね。そんなとき、秋の夕暮れはあっという間に暗くなり、田んぼの畔や川の堤防を慌てて走る・・という情景です。天文学では日没後から空が完全に暗くなるまでの間を薄暮といいます。薄暮の理由は、日没後でも上空の大気や雲に太陽光が当たり、それらが地面を照らしてくれるからです。
しかし、地球の自転する速さ、つまり見かけの太陽の動く速さは季節に依らず同じなのに、どうして秋だけこの夕暮れ時間が短いのでしょうか。気のせいなのでしょうか。いえ、実際に薄暮の時間は秋(9月から10月ころ)の方が夏よりも25分ほど短いのです(※東京でのデータ)。しかしその理由を解説した書籍等を知りませんので、ここで考えてみたいと思います。
下の図は太陽に左側から照らされている地球だと思ってください。日の当たる左側半分が昼間で右側半分が夜です。夕暮れはこの間にあるオレンジ色の帯状の部分です。地球は自転しながら太陽の周りを公転しています。この自転軸が傾いているので季節が生じます。図では季節ごとの照らされ方と自転軸の関係を示しています。黒の楕円はちょうど赤道上(例えばシンガポール)の人の動きだと思ってください。こうしてみると夏至や冬至ではこの人は昼と夜の境を斜めに横切っているのが分かります。一方春分や秋分ではこの境を垂直に横切っています。つまりそれだけ短い時間で横切るので秋分のときの夕暮れは短くなります。これをもう少し分かりやすくしたものがさらに下の図です。自転軸が横倒しになった場合(左図)、赤道上の人は永遠に夕方です。逆に自転軸がビシッとまっすぐ立った場合は最短時間で夕暮れの帯を通り抜けます。
ここで気づくことは春分も秋分の時と同じではないか、ということです。はい、調べてみると確かに春分と秋分の薄暮の時間は同じです。というわけで「春の日もつるべ落とし」です。推測ですが夏から日が短くなっていく効果もあって、秋にのみこの表現が生まれたのではないかと思います。
ちなみに東京では夏至、冬至、春分と秋分の薄暮の長さはそれぞれおよそ1時間49分、1時間32分、1時間25分だそうです(あまり差がないので昔の人は感性が豊かですね)。夏至と冬至がずいぶん違うのは、東京がシンガポールとは異なり中緯度にあるためだと推測します。
0 件のコメント:
コメントを投稿