2014年11月7日金曜日

ハンマークラヴィーア

リーダの長田です。
プロの天文学者らしからぬ長田は、夜な夜な観測しているわけでもなく、ブログと言うと音楽のことばかり書いているらしい。いや一般にはそうではない・・・わけでもなく、むしろ全くそのとおりで、バイオリンのメニューインの話、サンサーンスの天才の話、バイオリンの弓の上下の話、チャイコフスキーの1812年序曲の話などばっかりではあるのですが、その第5弾か何かです。ここのところ、訳あって、ベートーヴェンの後期のピアノソナタをしょっちゅう聞いています(そのワケというのはNHKの火曜夜10時に放送されていたドラマなのですが、それは長くなるのでまた別の機会に)。
そして、エミール・ギレリスというすばらしいピアニスト(鋼鉄のタッチとも言われた)のCDがなぜか図書館で目に留まり、ベートーヴェンのピアノソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」を借りてきました。するとまさにその夜に、NHK-FMの「クラシックの迷宮」という知る人ぞ知る抱腹絶倒の番組で「ロプコヴィッツ邸のベートーベン」という放送をやっていました。その番組では、最初にギレリスにも比肩できるルドルフ・ゼルキンの鋼のようなピアノ演奏がバイエルン放送交響楽団と堂々とわたりあうベートーヴェンのピアノ協奏曲「皇帝」が流れ、「しかし、こんな演奏をベートーヴェンは聴くことができたわけではない」と続いたのです。
強く張られた鋼鉄の弦をハンマーでぶったたく現代のグランドピアノは、鉄鋼業が進歩した19世紀後期の産物であり、ベートーヴェンが生きた時代には、チェンバロとは違って弱い音も(ある程度)強い音も出せますよといったフォルテピアノがやっとできて来ていたにすぎません。ピアノ曲というのはチェンバロ類似の楽器でなら何ででも演奏されうるような「鍵盤楽器の曲」だったわけです。そんな頃に、100人のオーケストラを相手にすることもできるようなピアノ協奏曲を書いたり、「ハンマークラヴィーアのために」とわざわざ注記したピアノソナタを書いたりした、それがベートーヴェンの先見の明だったのだと言えば確かにそうなのかも知れません。実際、第29番のピアノソナタは当時のピアノ及びピアニストには演奏不可能だった、そして、ベートーヴェン自身は「50年経てば弾けるようになる」と語ったそうです。
モーツァルトとベートーヴェンを比べてどちらが優れているかなんてことはわかりませんが、少なくとも、その後の大音量のグランドピアノで弾かなければ真価が発揮できないような曲を書いたという意味では、明らかにベートーヴェンは次の世代を切り拓いた作曲家であったと思います。

いったん作って出版してしまえばそれで作者の手を離れるものとは違い、望遠鏡というのはどんどん改良されていくものではあるので、一緒くたにはできませんが、3.8m望遠鏡、今の技術に合わせて作るというだけではなく、何年も先に真価を発揮するような「ぶっ飛んだ」ものにもしたいものだなあ、とも思うのです。

今流行の天文学の観測に間に合わせようなどという姑息なことはあまり考えず、将来を見通して最善の望遠鏡を作っていきたいと考えています。



写真:
ホントに「間に合わせ」の感のある箱の絵が悲しい(でも、安かったので、英語の解説がないことも含め、しかたない・・・とあきらめています、中身で勝負!)けど、ウチにあるピアノソナタの全集の中では一番気に入っています、フリードリッヒ・グルダの見事なパフォーマンスのCD


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