2018年2月26日月曜日

もっと昔の話 ― 雪露天じゃなくFrozenでもなく「虹と雪のバラード」


リーダの長田です。

「君の名は。」の地上波初放送を録画して、さらにそれをいつまでもほうっておいて、しかし、やっと見ました。みつはーーーーー! 百武すい星、ヘール・ボップすい星、さらに昔にさかのぼればハレーすい星、それは私が何とかハワイ大学にポスドクで雇ってもらえた原因のありがたいすい星ではあるのですが、その時は地球との相対関係があんまり良くなくて大して壮観な思い出にはなりませんでした。それで「君の名は。」のようなことにはならなかったわけで・・・。(以上、見ていない人には意味不明のコメントでした。)

さて、もっと昔、1972年に札幌で冬季オリンピックがありました。その公式曲として「純白の大地」という古関裕而の行進曲や賛歌があるのですが、私も先日のNHK-FM番組「クラシックの迷宮」まで全く知りませんでした。古関裕而は1964年の東京でも「オリンピック・マーチ」を作曲してとても有名な曲となり、また「巨人軍の歌」「大阪タイガースの歌」「ドラゴンズの歌」のすべて、さらについでに「君の名は」(1952年からNHKラジオで放送されて、番組が始まる時間になると、銭湯の女湯から人が消えたという伝説のドラマの方)の主題歌なんぞも作ったという、すごい人です(72年当時60代になったところ)。だけどこの札幌オリンピックの曲は全く知られていない、知られているのはむしろ「虹と雪のバラード」でしょう。私の世代だとちゃんと歌える人も多いはず。

何ゆえオリンピック・マーチや「闘魂こめーて」や「六甲おろーしにサッソウと」の線の曲である「純白のだーいち踏みしめー」が流行らなかったのかと言うと、1968年のグルノーブル冬季オリンピック映画とその主題歌「白い恋人たち」(クロード・ルルーシュ、フランシス・レイ)がウィンタースポーツのイメージを一新していたからだ、とNHK-FMの片山杜秀さんは言うのです。

そして、番組は、廣瀬量平(札幌五輪時41)、矢代秋雄(42)、武満徹(41)、山本直純(39)といった人々が委嘱された実に素晴らしい他の数々の公式曲をかけつつ、終わりました(年齢を調べたのは私なので、間違っていてもNHKの責任ではありません)。

40歳前後の人たちが中心になって作る3.8m望遠鏡、やっぱり「昔の名前で出ています」といった人間は精一杯サポートに回らないとねえ、いつまでもオレがオレがという老人はみにくいもんです。あ、古関裕而さんがそんな人だったというわけではありませんよ。それに、61歳頃に太陽からの赤外線を発見したハーシェルや68歳で天文対話
(Dialogue Concerning the Two Chief World Systems)
を出版したガリレオを例に出すまでもなく天文学ではトシをとってもすごい人、たくさんいますから、私も頑張ります!




写真:京都丹後鉄道「はしだて5号」の車内。京都府の北の端の峰山高校に19日に出前授業に行って来ました。峰山駅の駅舎は糸をかけた織機を模したデザイン。峰山高校の先生がおっしゃるには、10日・11日には神戸の舞子高校(私の育ったところのすぐそばの高校。その高台の校庭からは隕石孔が良く見えて・・・というのはウソ)に行って震災の場所巡りをなさったとか。その10日に舞子高校の生徒が、京大で開催の宇宙ユニットシンポジウムで優秀なポスターのユニット長賞を受賞し、私は舞子高校の生徒に賞品を渡していたのでした。
 https://www.usss.kyoto-u.ac.jp/symposium11.html
糸の(ホントはちりめんの)峰山・舞子・京都での入れ替わりです! (まだ「君の名は。」に酔ってます。最後まで、見ていない人には意味不明で、失礼しました。)



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