亡くなって30年近くもたってなお、テレビ番組で特集番組が作られる木辺成麿氏とはどんな人物だったのでしょうか?
Wikipedia で調べると、「木辺 宣慈 (きべ せんじ、本名:成麿(しげまろ)、1912年4月1日 - 1990年5月2日)は、日本の浄土真宗木辺派本山・錦織寺の僧侶、真宗木辺派21代門主。光学技術者。レンズ磨きの名人として知られ、「レンズ和尚」と呼ばれた。京大文学部卒業。吉川英治文化賞受賞。著書には「反射望遠鏡の作り方」などあります。
ちなみに数年前に、京大総合博物館で特別展「明月記と最新宇宙像」を開催したとき、国宝明月記を冷泉さんにお借りするために初めて冷泉貴実子さん・為人さんご夫妻にお会いして面談中、何かの話の流れで木辺さんの名前を言いましたら、「木辺成麿さんは私どもの親戚ですよ」とえらく喜んでくださいました。
個人的なことから話をすれば、私にとって木辺成麿氏の名前そのものは、学生のころから知っていました。私は京大理学部4回生のとき(1976年)、課題研究S2のゼミで、久保田諄先生(非常勤講師、当時、大阪経済大学助教授)から花山天文台太陽館で黒点磁場測定の指導を受けたのですが、その頃、久保田先生から、この鏡は鏡磨きの名人の木辺成麿和尚が作成したものだ、というような話をしょっちゅう聞いていたのです。それで「木辺成麿」という名前は良く覚えていました。しかし、当時は望遠鏡にも花山天文台の歴史にもほとんど興味はなかったので、木辺成麿氏とはどんな人か、というのは全く知りませんでした。
附属天文台の台長になって色んなゲストの方に花山天文台の見学案内をしなければならなくなって、次第に望遠鏡や花山天文台の歴史にも興味がでてきました。80をすぎたゲストのおじいさんが「子供のころから花山天文台に来るのが夢でした」とか、「中学の頃、花山天文台の観望会で見た土星の美しさに感動して理科の先生になった」という話を聞くにつれ、花山天文台の歴史のすごさを感じるようになったのです。
それで色々調べてみると、木辺さんは子供のころ、花山天文台初代台長の山本一清博士が始められた天文同好会に参加し、山本博士の教えを受けたそうです。天文学者になりたかったが、実家が有名なお寺なので、それは許されなかったのだとか。自分で望遠鏡を作りたいと思い、鏡磨きの名人の中村要さんに弟子入りして鏡を自作できるようになったころ、中村さんが29歳の若さで突然死亡(自殺、1932年)。その後は中村要さんの志を引き継ぎ、京大花山天文台のために大きな鏡をいくつか磨かれました。また木辺さんが作成した多くの鏡やレンズは日本のアマチュア天文家のために大いに役立った、とのことです。(生涯、3000枚の鏡を磨かれたそうです(佐伯恒夫、天界、1990年7月号))。
数年前、NHK滋賀の取材電話で、「木辺成麿さんは花山天文台のどの望遠鏡の鏡やレンズを作られたのでしょうか?」、という質問を受けたとき、私には全く答えられなかったので、当時お元気だった西村有二さん(当時、西村製作所社長)に電話して教えてもらいました。
「木辺さんが作成されたのは、
1)太陽館の70㎝ シーロスタットの2枚の平面鏡
2)同じく太陽館の50㎝ 凹面鏡
3)ザートリウス18㎝ 屈折望遠鏡のガイド鏡レンズ(12.5㎝)
4)シュミット鏡(60㎝)(倉庫の中)
5)飛騨天文台の60㎝ 反射望遠鏡」
とのこと。早速、それをそのままNHK滋賀の記者さんに伝えました。
調べると、60㎝ 反射望遠鏡は最初は花山天文台に設置され、月面地図つくりの国際共同観測に活躍した、ということもわかりました。60 cm 反射望遠鏡は飛騨天文台開設(1968)に合わせて飛騨に移設され、飛騨天文台最初の望遠鏡として、月・惑星観測に活躍しました。野上君が飛騨天文台に着任(2000年)後は、突発天体観測用としてよみがえり、野上君によって60 cm反射望遠鏡で観測されたガンマ線バーストの可視測光データがNature 論文(Uemura, M. et al.2003)に貢献しています。これは飛騨天文台発の初めてのNature 論文と言えます。
CBCテレビ局で見つかった古いテレビ番組には、木辺成麿さんが花山天文台の天体望遠鏡用の60 cm鏡を研磨している様子が鮮明に映っています。また番組の最後には鏡が花山天文台に納入されたところで終わっています。放映された番組を見ますと、古いテレビ番組が作られたのが、1966年、木辺さんが54才のころです。花山天文台太陽館ができて5年目のことでした。番組中の一コマを図に示します。
実は木辺成麿さんのお顔を拝見したのは、このテレビ番組が初めてでした。手元に花山天文台50周年記念祝賀会(1979年)の集合写真があるのですが、最初はそこに木辺さんが写っているかどうかすら、わからなかったのです。しかし、このテレビ番組のおかげで、木辺さんも確かに写っていることが判明しました。花山天文台の重要な望遠鏡の鏡やレンズを作成した木辺さんが50周年記念会に招待されないはずはない、という確信が証明されて嬉しく思っています。
現在、京大3.8m望遠鏡の建設チームはアストロエアロスペース社や西村製作所のみなさんと協力して3.8m望遠鏡を開発・建設しています。その中で、分割鏡の研削・研磨はもっとも重要な技術開発であり、ついに1mクラスの天体望遠鏡用の反射鏡を世界最高速度で作りあげる技術の開発に成功した、というのはすごいことだと思っています。今日、木辺さんの話を書いたのは、50年前に世界に肩を並べる純国産の60 cm反射鏡を研磨するのに成功した先駆者、木辺成麿さん、というすごい人が花山天文台の近くにいて、天文学の発展に大きく貢献した、という歴史と、奇遇なほどつながっていると思ったからです。
木辺さんの作成された多くの鏡やレンズはアマチュア向けの望遠鏡として、西村製作所や五藤光学を通して世の中に普及し、その結果、日本のアマチュア天文学は世界一になりました。同じように京大3.8m望遠鏡で開発された技術は、日本だけでなく世界のプロやアマチュアの天文学に、さらには関連産業の発展に、大きく貢献するだろうと確信しています。
(2016年9月25日、記)
柴田一成
写真 木辺成麿氏(上)と鏡研磨の準備中の様子(下)
(1966年に放映されたテレビ番組を元に作られた
名古屋CBC放送の番組2016年7月6日放送『イッポウ』
http://hicbc.com/special/6039/contents/39_0112lens/
サンキュー! #1/60 記憶のプレゼント「レンズ磨き職人」より)
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