お空をふく 風が知ってるだけだ(野上彰 訳詞とのこと)とともに how manyseas must a white dove sail 等と暗唱し、鳩はドウヴとは言わないんだなあ、ダヴってラヴと同じ読み方だなあと、リベラルの英語の先生に習いジョーン・バエズの歌を聴かされていた中学校時代を、懐かしく思い出しています(その頃はボブ・ディランという人が作ったとはほとんど認識していませんでしたし、ピーター・ポール・アンド・マリーも知りませんでした)。その授業のおかげで、ノーベル文学賞の人の作品を初めてすらすらと暗唱できる(その後読んだものだと、トンネルを抜けるとそこは雪国、だったか、国境の、から始まったか等はいつもわからなくなるもので・・・)ことになりました。リーダの長田です。
恒例の出前授業に、岡山県浅口市の寄島中学校へと行ってきました。1学年1クラスの小さな中学校で、生徒の皆さんがとても素朴な感じで私は大好きになりました。「宇宙人はいますか」といった質問とともに、「先生はどうして天文学の道に進んだんですか」という質問を受けました。夜空を見ていてとても星がきれいだったから、そしてまだ小学生だったものの親にねだってねだってねだって天体望遠鏡を買ってもらったから、ではあるのですが、実はその望遠鏡が粗悪品で、今ではとても売っていないようなひどい代物だったと私は思っています。たぶん安月給の親が小学校の子に簡単に買える値段だったので仕方ないのかも知れませんが、パッと見の格好だけはまともな感じで、そして「倍率100倍!」というのが売りのものだったのだと思います。
しかし、ファインダーのたぐいが一切ありませんでした。単なる照準の目印のようなものさえ付いていませんでした。そして、口径が40 mmで対物レンズの焦点距離が800 ㎜にもかかわらず、8 ㎜という接眼レンズ一つしかついていません。三脚付き経緯台とは言うものの、細い木でぐらぐらの三脚と、まったく回転させることを考えていない(固く締めるか緩めるかだけの芯があるだけの)高度軸と、ぐらぐらの軸に横からネジを立てて固定するだけという水平軸でした。これではお月さまを見るだけでも相当大変でした。これを買った人のいったい何人が繰り返して空を見る気になったでしょうかねえ。
ところが子どもの執念恐るべし、やっぱりガキというのは時間もあるしそればっかり考えているので、いろいろ工夫したり天文雑誌を立ち読みしたりして、何とかかんとか土星の輪を見たり木星の縞模様を見たり、色消しの対物レンズを分解して2枚を逆向きに組み立てると全然まともな像が見えなくなるのを痛感したり、どんどんのめり込んで行きました。
・・・そして私は How many roads
must a man walk down と聞いたらわかるんだけど、普通に roads という発音を聞いたら「どれだけ多くの重荷 loads なのかなあ」と誤解したりしつつも、今週も通勤中に「英語で読む村上春樹」をイヤホンで聞いています。考えてみればNHKラジオ第2の英語を聞くという習慣も中学生の頃についたもので、そういう意味では若い時に(良い望遠鏡を買ってもらえるという経験でなく、ひどいのを買ってもらうというのであっても、いや、そんなのこそ)いろいろな経験をするのが良いんじゃないかなあ、と思っています。大学のセンセが訳のわからんことをしゃべって帰ったなあ、であったとしても。
さて、若いのは素晴らしいかも知れないけれど、上記のNHK番組で読んできた「パン屋再襲撃」、発表後30年近くも経ってからたぶんジェイ・ルービン訳のThe Second Bakery
Attack に影響を受けて(?)「再びパン屋を襲う」という作品へと改稿するという村上春樹さんもなかなか若さを失っていないように思います。見ならわないと。
岡山県浅口市立寄島中学校(ウェブのページより) |
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