2015年12月25日金曜日

西村有二さんを偲ぶ 2015年12月23日

 今年を振り返ると、58日に西村製作所の社長の西村有二さんが突然亡くなられるという悲しいできごとがありました。享年68歳でした。西村さんとは古い付き合いで、追悼文を書くつもりで、写真を集めたりして、準備をしていたのですが、筆不精のため半年以上たってしまいました。ブログの順番がまわってきたのを良いきっかけとして、少し西村さんの思い出を書きたいと思います。

 西村さんと初めてお会いしたのは、私が愛知教育大に就職したばかりの頃、1981年だったと思います。愛知教育大には屋上に西村製作所製の40cm反射望遠鏡があり、望遠鏡の修理やメンテのために、西村さんがちょくちょく愛知教育大に来ておられました。当時は私はまだ26歳。西村さんも34歳くらい。西村製作所は京都に会社があり、私も京大から就職したばかり、ということで、親しくお話してくださいました。あるとき、望遠鏡が動かないので困り果てて、西村さんにすぐに電話しました、「とにかく困っています。すぐに来てくれませんか?」。西村さんは京都からはるばる車をぶっ飛ばして来てくださいました。しばらく屋上ドーム内の望遠鏡をチェックされておられた西村さんは、突然、「先生、コンセントが抜けてますやん!」コンセントをつなぐと望遠鏡は見事に動き出したのです。「いやー、大変助かりました。何せ私は理論家なもので、、、、」こんなことがあっても西村さんは不平の一言も言わず、その後も何度も愛知教育大に来て助けてくださいました。
 その後、1991年に私は国立天文台に移り、「ようこう」衛星によるスペース太陽観測にかかわるようになりましたので、仕事の面で西村さんと直接お話することはなかったかと思います。しかし、西村さんとは色んなところでお会いしていた記憶があります。それが天文学会なのか、京大なのか、国立天文台なのか、今となっては記憶はあやふやですが。いつもにこにこ、「柴田センセ、元気にやってますか?」という感じで親しく話かけてくださるのです。まるで先輩後輩の間柄のように。
実際、私が京大時代(その後も)お世話になった先生方は、みな西村さんとは親しい間柄でした。それもそのはず、現在花山天文台にある大陽館の70cmシーロスタット(1961年)は西村製作所製、飛騨天文台の太陽磁場活動望遠鏡(SMART)(2003年)も西村製作所製なのです。今、ペルーにあるフレア監視望遠鏡(FMT)(1992年に飛騨天文台に導入、2010年にペルー・イカ大学に移設)も、西村製作所製です。
実は、西村有二さんのお父さんの西村繁次郎さんは、花山天文台の旧職員だったことがあります(「花山天文台70年の歩み」p.68)。西村製作所の沿革を見ますと、
1926 (大正15) 国産第1号反射望遠鏡を製作、京都大学に納入。」
とあり、また、冨田良雄・久保田諄著「中村要と反射望遠鏡」p.148 には、
「(中村要は)1930年秋には神戸の射場のために口径19cm焦点距離224cmの対物レンズを製作。西村製作所の作った赤道儀に搭載した。」
とあります。レンズ・鏡磨きの伝説の名人、中村要(当時、花山天文台助手)が作ったレンズや鏡を用いて西村製作所が望遠鏡を完成させ、アマチュア天文家に普及していた様子がうかがわれます。実際、インターネットで調べてみると、
http://www.astrophotoclub.com/nakamurakaname/nakamurakaname.htm
「中村(要)は300面近い鏡を製作し、西村製作所や五藤光学研究所の望遠鏡に取り付けて安価で高性能の反射望遠鏡を広くアマチュアに普及させた功績は大きいと言えるだろう。1926年に西村製作所(西村繁次郎)は京都大学へ国産第1号反射望遠鏡を製作納入している。」(「中村要と反射望遠鏡」加藤保美氏)
とのことです。京大花山・飛騨天文台が西村製作所とともに発展し、さらにまた、アマチュア天文学の発祥の地と言われる花山天文台におけるアマチュア天文家の育成にも、西村製作所が大きな役割を果たしてきたことがわかります。
 こういう西村製作所と京大天文台の間の親密な歴史は、実は最近になって知ったのですが、西村有二さんが私にとってまるで先輩か兄のように親しくしてくださったのは、こういう歴史のおかげだったのだと思います。
 私が京大花山天文台の台長になってからも、飛騨天文台や花山天文台の望遠鏡がトラブルになったときは、いつもすぐに西村さんに電話して助けていただいていました。いつだったか、夜の10時頃、花山天文台での観望会後に本館ドームのスリットが閉まらなくなったときも、急いで西村さんに電話しましたら、真夜中にもかかわらず、すぐに関さんと一緒に花山天文台に来てくださり、応急処置をしてスリットを閉めてくださいました。スリットが閉まらないと、雨が降ったら望遠鏡は台無しになりますから、このときほど感謝したことはありません。
 近年も、京大天文台の関わるあらゆる事業、ペルー、サウジアラビア、飛騨、岡山、そしてNPO花山星空ネットワーク、野外コンサート、宇宙落語会に至るまで、西村有二さんからはいつも暖かいアドバイスやご支援をいただいていましたので、西村さんの急逝は、本当にショックでした。返す返すも残念でなりません。

ご冥福をお祈りします。


柴田 一成





20111220日、花山天文台忘年会の折。後列左から3人目が西村有二さん

2015年12月18日金曜日

マイヨール博士の言葉

  プロマネの栗田です。
  20151112日に京都賞のワークショップに参加してきました。今年の京都賞基礎科学部門の受賞者は初めて太陽型恒星のまわりを公転する系外惑星を発見したスイスの天文学者ミシェル·マイヨール(Michel Mayor)博士でした
  博士が惑星を検出した方法はドップラー法と呼ばれる方法で、惑星の引力によってゆすられる星の光のズレを検出するというものです。このズレとは、通り過ぎるサイレンの音色が変わるのと同じ原理で、惑星をもつ星が観測者に対して前後に動くとその変化が光の色の変化として現れるというものです。しかし、惑星は星に比べてとても軽いので、星の動きもとても小さいのです。博士らは秒速数十メートルの動きを検出できるような分光器(HARPS ELODIE)を仲間と開発しました。光の速さは秒速30万キロメートルですから、1千万分の1の変化を検出できるというとてつもない装置です。例えば、東京都の人口がひとり増えたか減ったかを感じることができるということです。すごいですね!






  この写真はワークショップの会場の廊下に博士の経歴を紹介するために飾られたもののうちの一枚です。美しい星空と博士らが実際に観測に使った望遠鏡が映っています。その写真によせられた言葉が印象的でしたので最後にそれを記したいと思います。

 「正直で親切、他者を尊重できる人を尊敬する。HARPSの開発が成功したのも、メンバー全員が前向きで互いに好意的だったからだ」


2015年11月27日金曜日

系外惑星の紅葉を見よう

 観測装置担当の山本です。

 2015年11月下旬です。紅葉真っ盛り、ですね。あくまで暦の上では、ですが。京都に移ってまだ2年目なので、休日には新鮮な思いで京都の秋を満喫しています。
しかし今年は紅葉狩りに出かけても「一面の赤黄色」と言う事は無く、十分色づいた樹もあれば、まだまだ青々とした樹もあり、かと思えば既に葉がすべて散ってしまっている樹もあり、まばらな、ばらばらな紅葉風景です。



東福寺


 今年は比較的暖冬で、昼夜の寒暖の差があまりないのが原因らしく、確かに昨年は底冷えするような夜が多かった記憶がありますが、今年はまだコタツも出さず、朝布団から抜け出るのも比較的容易な気がしています。

 ところで、ここまで紅葉、紅葉と書いてきましたが、皆さんはどう読まれたでしょうか?
私は「秋になって葉の色が変わること」を、こうよう、そうした樹木の内特定のものを、もみじ、と呼ぶのだと思っていました。しかし、葉の色が変わる、と言う現象そのものを「もみつ」と呼び、時代が下って「もみぢ」と変化してきたようですね。「もみぢ」を見せる典型的なカエデを特に「もみぢ」と呼ぶのも全く間違いというわけではないですが、あくまで狭義の意味だったようです。また「こうよう」も「紅葉」だけでなく「黄葉」と書いたりもするようで、上手いものだなぁ、と思いました。

 さて、なぜ紅葉は紅葉するのでしょう? もともと、植物の葉が緑色なのは光合成を行う葉緑素(クロロフィル)が緑色を強く反射しているからです。日照時間が短くなり光合成が十分行えないようになってくると、葉緑素を分解して吸収・回収するそうです。そうして緑色の反射がなくなるのですが、実は植物にとっては赤い光(波長0.75um-1.1um)も不要で、葉緑素は(赤外線に近い)赤い光も反射しています。それを補助する他の色素(アントシアン(赤)やカロテノイド(黄))もあり、これらの色素は葉緑素が分解されたあとも残るため、赤や黄色に色づくわけです。

 天文と関係の無い時節の挨拶のような話に思われたかも知れませんが、実は天文学の最先端、太陽系外惑星、そして地球外生命探査に関わる話題なのです。
植物というと緑色をイメージすると思いますが、上で紹介したように実は、植物は赤い色も一年中反射している、つまり赤く光っているのです。
我々が開発している系外惑星撮像装置ではまだ難しいですが、将来的には太陽系外惑星の表面がどのような色をしているかが観測出来るようになります。そのとき、惑星表面の大まかな情報は見分けることが出来るようになります。つまりそこが海であるのか、土・沙漠のような地形なのかが、色から分かります。他の波長に比べて強く赤く光っている惑星があったら、そこには地球の植物とよく似た生物が居る、と判断しても良いかも知れません。

 次の紅葉シーズンは半年か、およそ一年経てばやってきます。出来るだけはやく、地球以外の惑星の紅葉を発見出来るよう、頑張って開発を進めていきます!




2015年11月12日木曜日

すばるTAC

  プロの天文学者は、晴れていれば夜な夜な観測していると思われているらしい。だが、一般にはそうではない。以前にも書いたが、国立天文台の岡山天体物理学観測所188cm望遠鏡やハワイのすばる望遠鏡といった共同利用望遠鏡で観測する場合には、まず観測申請をする必要がある。審査を経て採択されたものだけに望遠鏡時間が割り当てられる。倍率は望遠鏡によるが、典型的には2-5倍程度であろうか。そして割り当てられる夜数は、半年で数夜とかそんな感じである。なかなか厳しいのである。
 さて、今回はその内幕を暴こう。久しぶりにすばるTACメンバーを拝命した。正式名称は「すばる望遠鏡プログラム小委員会」であるが、観測時間を割付けるので、Time Allocation Committeeとも呼ばれ、通称「すばるTAC」というわけである。ここで審査が行われ採否が決まる。
 研究者が申請する研究提案をプロポーザルという。プロポーザルには大概以下のようなことが書かれる。①提案する研究課題を明示し、その問題がいかに重要なのかを説明する。②この問題を解くにはこういった観測量が必要で、それがわかるとこう解決する。③そのような観測は実際に実行可能である。と、いった具合である。
 この9月に締切のあったすばるのプロポーザル数は200弱であった。これを分野別に約10のカテゴリに分ける(基本は申請者の自己申告にもとづく)。各カテゴリに5人のレフェリーをつけて査読してもらう(レフェリーには外国人も含まれる。TACメンバーはレフェリーにはならない)。そして、いくつかの観点からスコアをつけてもらうと共に評価ポイントも書いてもらう。むろん、プロポーザルの提出者や共同研究者は自身のプロポーザルの審査はしない。
 TACではレフェリーのスコアを集計して、最終的な採否の判断を行なう。レフェリーからのスコアの平均で概ねの採否は決まるのであるが、TAC委員としては、自分なりの評価を行い、レフェリーが何か勘違いして不当に高い(低い)スコアをつけていないかといった点もチェックし、必要なら高スコアでも採択をせず逆に低スコアでも採択することもある。また、ボーダー付近のプロポーザルは特に注意を払って採否を決めていく。更に、観測所の装置担当者が、本当に観測可能なのかどうか技術的な審査をした結果も勘案しなければならない。どんなにすばらしい研究課題であっても、観測不可能であっては実施できないからである。
 しかし、これだけではまだ足りない。よいプロポーザルをどんどん採択していくと、現実には観測割り当てができなくなることが起こる。例えば2-3月でないと観測できない天体がターゲットでしかも暗夜(月のない夜)でないと困る、というようなプロポーザルがたくさん採択されると、割り付け夜数がパンクして破綻してしまう。このような場合は比較的高スコアでも採択には至らないことがある。逆にすいた時期だとスコアが少し位低くても採択されることもある。その他、現在のすばる望遠鏡ではこの手の外的条件が増えていて、今回10年ぶり位でTACの仕事をしたが、極めて複雑で大変な割付作業になっていた。採択会議はみっちり2日間三鷹で行なわれ、2日目の夕刻にはくたくたになって帰路についたのであった。
注:実際のTACの仕事はもっとあるが紙幅の関係で省略した。また、上記のような採択方式はどこの天文台でも同じかというとそうでもなく、いくつかの方法がある。すばるTAC自身でも時代によって少し違う場合もある。

                         2015117日 太田耕司

 


2015年10月30日金曜日

「月の色」


光学など担当の岩室です。

 今年の秋は "スーパームーン" が話題になりましたが、私も流行にあやかって月の写真を撮ってみました。使用した機材は、口径 25cm ドブソニアン望遠鏡の銀次ソニーNEXTマウントアダプタを介してNEX-5R を直接焦点に接続したものです。望遠鏡を暫く外気になじませた後、大気揺らぎが大きいなぁ...と思いながら雲の切れ間を縫って念入りにフォーカスを合わせ、1/200 のシャッタースピードでとにかく連写。100枚近く撮ってから、運良く大気揺らぎの最も小さい1枚を選定しました。こういう手法は「ラッキーイメージング」と呼ばれ、天文学でも使われる場合があります。

画像の全体を見ると、カメラのせいか(オートホワイトバランスってやつでしょうね)見た目よりも白っぽい感じで写っています。
このままではただの月の写真で面白くないので、色を強調してみることにしました。すると、意外なことに場所によってかなり色が異なり、また、その境界は結構はっきりと分かれていたのです。これは、表面にある岩石が太陽光を反射するときの反射率特性(アルベドと言います)の違いを現しており、多分、それぞれの部分ができた時の年代の違いとかが関係しているのだと思いますが、インターネットで調べてもどちらの部分も玄武岩ということしかわからず、色の違いの原因はわかりません。




どなたか、詳しい話をご存知でしたら連絡下さい。それにしても、色を強調すると別の星の衛星みたいですね(ガニメデとか)
中央右上の青い海がアポロ(11)が初めて着陸した「静かの海」だそうです。建設が始まりつつある口径30m望遠鏡に究極の大気揺らぎ補償装置を付けても、月面上の10mのものが識別できるかどうかというレベルなので、地球からは着陸船は見えません(月の周回衛星からは見えている ようですが)
こんなに遠いところまでよく行ったもんですね。


それから、月と言えば中国が口径15cmの紫外線望遠鏡を上記「静かの海」2つ左の「雨の海」に設置してから1年半、望遠鏡は順調に稼働しているらしく、最近の研究報告の速報 にも出ていました。中国は進んでいる部分と遅れている部分の差が激しく、全体としてすごいと思うべきなのかどうだか良く分からないといった印象ですね...



2015年10月16日金曜日

新・天文学入門

 今年(2015年)6月に岩波ジュニア新書を刊行しました。『新・天文学入門』(岩波ジュニア808)です。これは、埼玉県の春日部女子高校教諭の鈴木文二さんと私の共編著の本で、実質5人で惑星・恒星から銀河・宇宙に至る壮大な物語を執筆分担しました。「ジュニア新書」と銘打っていますが、決してレベルを落とした本ではありません。理系の本を敬遠されがちな一般の方も十分楽しめるような本づくりを目指しました。
 じつはこの本、2005年に刊行した『天文学入門~星・銀河と私たち』(岩波ジュニア512)の改定版です。この10年間、天文学、ことに惑星科学の進展にはめざましいものがあります。わたしたちから縁遠い宇宙の姿が明らかになった一方で、宇宙と地球とわたしたちとの「つながり」という観点は、ますますクローズアップされてきたように思います。ことに系外惑星の相次ぐ発見が、「つながり」を強めました。そこで系外惑星の記述に多くのページをさきました。
 鈴木さんの手になるコラム2は、私も関わっている高校生天体観測ネットワーク(Astro-HS)についてです。活動に参加した高校生はこう語りました。「全国の高校生が同時に観測するというこの計画は、300校近い参加があったそうです。いろいろな場所で、同じ流星を追う、まだ顔も見たことない高校生と時間を共有したのです。素敵な思い出でした。」コラムは次の言葉で締めくくられます。「宇宙を知りたい、その思いは、地球に生きる人類だけでなく、他の惑星系に住む宇宙生命も、きっと同じなのではないかと思います。」

嶺重 慎



 
岩波ジュニア『新・天文学入門』


2015年9月30日水曜日

月より団子

制御担当の木野です。

   927日は中秋の名月でした。
ここ京都をはじめ全国的に良く晴れたようで、お月見を堪能できた方も多かったかと思います。
地球に一番近い天体でありながら、あまりに明るいために天文観測では邪魔者扱いされてばかりですが、年に一度くらいはゆっくり眺めてみるのも良いものです。
逆に、普段は天文との関わりが無い方々にとっては夜空を見上げる良い機会なのかもしれません。

   お月見といえばススキや萩、それに月見団子が欠かせません。
この月見団子、主に関東では一口サイズの白くて丸い団子をピラミッド状に積み上げたものが一般的かと思いますが、京都を含め関西では俵型の団子を小豆餡で巻いたものが供えられます。
形の由来は諸説あるようですが、里芋の形を模している説が有力なようです。
京都大学に赴任するまで知らなかったので初めて見たときは驚きました。

   私の出身地、名古屋でも餡は使いませんが団子は丸ではなく里芋の形です。
涙滴形と言うのか、端午の節句に食べるチマキを短くしたような形で、里芋の茎?につながる部分の形まで再現されています。
普通の砂糖を使った白色の団子に加え、黒糖を使ったものと食紅で色付けした3色セットで売られていました。

   他にも地方によって様々な月見団子が存在するようで、チャンスがあれば是非とも食べてみたいものです。
とは言え、お月見前の数日間しか生産されない「期間限定」モノ。
全国の月見団子を食べつくすのは至難の業なのかもしれません。


比叡山から昇る中秋の名月。
皆さんご覧になりましたか?



2015年9月17日木曜日

忙しい夏休み

広報担当の野上です。

「学校の先生は夏休みがあっていいなあ。」というような話を耳にすることがあります。しかし、知り合いの中学校、高校の先生に話を聞くと、様々な研修や部活の指導などがあり、そんなに単純な話ではないようです。

それで大学の教員はというと、やっぱりここぞとばかりに研究会、会議、実習などが増えます。もちろん自身の研究や大学院生の指導は夏休みなどありませんから、講義のある期間中とは別の忙しさがあります。

私の場合はこの夏休みで2件の国際会議に出席してきました。一つ目は8月3日から14日にハワイで開催された国際天文連合総会(International Astronomical Union General Assembly)です。総会期間中には天文学全体に関わる重要な議論(2006年には、冥王星が準惑星という分類になるというのが、ここでの喧々諤々の議論の末に決定されました)や様々な事務協議などの他に、重要な研究を推進した方の招待講演、多数の分科会・シンポジウムなどがあり、今回は世界中から3000名くらいの天文学関係者が集まったそうです。

このIAU総会では、私は前回のブログ記事を書かれた柴田さんと共に、Solar and Stellar Flares and Their Effects on Planets というシンポジウムに参加しました。柴田さんは基調講演(Plenary talk; これはシンポジウム参加者だけでなく総会全体に公開されます)を行い、私は招待講演を行いました。3.8m望遠鏡でのメインサイエンスの一つ、スーパーフレアについての講演です。

講演は気分よく始めたのですが、ここでトラブルが発生。招待講演は持ち時間が20分(発表15分+質疑応答5分が目安)で一般講演は12分(発表9分+質疑応答3分が目安)なのですが、座長の方が一般講演と勘違いしていたらしく、半分くらい話したところで、「あと2分」という座長からの指示が目に入りました!思わず「Oh, really?」かなんか言いながら、短いなあと思いつつ用意したスライドを少し飛ばしたりして一応無事終了。あとで座長の方と話してみると、勘違いを認めて、こちらが恐縮してしまうほど謝ってくれました。こういうこともあるんですね。

そんなこんなもありつつ、太陽フレアとスーパーフレアの共通点や相違点や惑星へのフレアの影響について多数の発表があり、世界的にスーパーフレア研究の重要性の認識が高まっているなあと感じるシンポジウムでした。

もう一つの国際会議は、The Golden Age of Cataclysic Variables and Related Objects IIIというもので、9月7日から12日にイタリアのシチリア島で行われました。やはり3.8m望遠鏡でのメインサイエンスの一つである「突発天体」の範疇に含まれる、激変星やX線連星に関する研究会です。今回は強磁場激変星や
新星についての面白い発表が多く、会議自体も楽しかったのですが、個人的にはそれ以外のところで2つ驚きがありました。一つが、指導している大学院生二人と参加したのですが、その一人は修士1回生で、「最も若い参加者」ということで会議の最後のセレモニーで記念品をもらったこと。もう一つが、午後のセッションがシエスタ後の午後5時から始まること。午前のセッションが12時半から1時くらいで終了し、昼食ではワインが出て、5時まではフリータイムです。昼寝をするもよし、会議場のホテルを出るもよし、ホテルが持っている海水プール(水が蒸発するからか塩分が海より濃かったです。浮力がすごい!)や海で泳ぐもよし、という、とてもイタリアンな研究会でした。(で、日程がかぶった天文学会はさぼってしまいました。)


この夏休みは他にも東京出張、北海道出張、大学院入試、1週間の集中ポケットゼミ、1週間の天体観測実習@飛騨天文台とあり、現在進行形でバタバタしています。



IAU総会で発表する筆者







2015年9月7日月曜日

天文台長の柴田です。

 2015825日(火)に、世界的な音楽家・喜多郎さんとのコラボDVD「古事記と宇宙」の発売プレスリリースおよび試写会を開催しました。その経緯やうら話を少し紹介したいと思います。
 2012521日に京都で282年ぶりの金環日食がありました。喜多郎さんとお会いしたのは、その年の27日でした。ジャーナリストの玉重佐知子さんのご紹介で、喜多郎さんを京都大学花山天文台にお招きしてご案内したのです。花山天文台の歴史的建物や日本最古の現役望遠鏡であるザートリウス望遠鏡によるリアルタイムHα太陽像などを見ながら、会話がどんどん盛り上がり、喜多郎さんは大の天文宇宙ファンであることがわかりました。そして金環日食の日に何かコラボをしましょう、ということになりました。
喜多郎さんのお名前は、NHKシルクロードの音楽の作曲家として、私も名前は聞いたことがあったのですが、シルクロードは見たことがなく、喜多郎さんの音楽は聞いたことがありませんでした。家に帰ってGoogleで検索して調べたら、何と、グラミー賞を受賞されている世界的な音楽家と知って、びっくり仰天。さらに調べると「古事記」という有名な音楽を作曲されている、「これは素晴らしい!」となったのです。
実はその年2012年は、日本神話の「古事記」ができてちょうど1300年の節目の年ということで、11月に「古事記と宇宙」というシンポジウムを、古事記のふるさとの大和郡山市で開催予定でした。私は宇宙ユニットの磯部洋明君と共に、そのシンポジウムの世話人をしていたので、シンポジウムの際に喜多郎さんをお招きして「古事記」を生演奏していただくのはちょうど良いかもしれない、と思ったのです。それで早速Amazonに喜多郎作「古事記」のCDを注文しました。3日ほどたったら送られてきて、早速、大学との行き帰りの車の中で聴き始めました。そしたら、「古事記」の音楽には感動の連続だったのです。
最初の楽章「始まり」はまさに天地開闢にふさわしい荘厳な音楽でしたし、ヤマタノオロチを表現した「おろち」はまさに怪物が暴れまわるさまを良く表現したダイナミックな音楽でした。この「おろち」を聞きながら、これは「太陽フレアだ!」と思いました。運転中の脳裏には、「おろち」の音楽に合わせてフレア爆発やプロミネンス噴出、X線で見た太陽コロナなどが「暴れまわる様子」が次々に浮かんで来るのです。それで、実際に喜多郎さんの音楽「古事記」に合わせて、太陽フレアの映像などを同時上映する企画をすれば、楽しいだろうな、それを5月の金環日食の日の日食直後に京大時計台で開催予定の日食講演会の際にやり、かつ、同じものを11月の「古事記と宇宙」シンポジウムで喜多郎さんをお招きしてやれば、一石二鳥かもしれない、というアイデアが出てきたのです。
 このアイデアを、京大総合博物館の館長をされていた大野照文先生に相談しましたら、「それはおもしろい!」とすぐに賛同してくださいました。大野先生とは、金環日食の日に、農学部グラウンドで市民の人々を集めた日食観察会の開催、および、その直後の時計台ホールでの日食講演会の開催(博物館と天文台で共催)するということで、色々ご協力いただいていた関係でした。それでさらに、喜多郎さんにもお願いしましたら、この企画と大和郡山市での生演奏もご快諾くださり、企画がスタートしました。
 こうして出来たのが、「古事記と宇宙:音楽と宇宙映像の融合の試み」です。金環日食の日に、喜多郎さんと一緒に金環日食を楽しんだあと、京都大学時計台ホールで喜多郎さん作の楽曲「古事記」に合わせて、宇宙の映像や写真を同時上映する試みをしたのです。
このときはしろうと作りの編集でしたので、その後、磯部君のアイデアで、(学内共同研究として)京都大学学術情報メディアセンターの元木環さん、岩倉正司さん、花山天文台の西田圭佑さんの助けを得ることができるようになり、編集を本格的にやり直した結果、すばらしいコンテンツが出来ました。201211月に、古事記のふるさと大和郡山市で開かれた「古事記と宇宙」シンポジウムでは、喜多郎さんの生演奏に続く形で、本コンテンツを上映しました。その内容を基本にして多少の編集改訂を行い、最後の「黎明」部分については国際版へ大幅改訂してできたのが、このほど発売になったDVD「古事記と宇宙」です。 
 DVDの内容は、
1. 「太始 Hajimari(5:33) 宇宙初期の大規模構造形成と銀河形成シミュレーション
2. 「創造 Sozo(3:39) 太陽系内の惑星と衛星
3. 「恋慕 Koi(6:31) 天の川、星団、星雲、銀河
4. 「大蛇 Orochi(7:07) 太陽フレア、プロミネンス噴出、X線で見たコロナ
5. 「嘆 Nageki(5:48) オーロラ
6. 「饗宴 Matsuri(9:01) 日食、コロナ、プロミネンス、彩層
7. 「黎明 Reimei(8:43) 世界の宇宙学の歴史と未来
というもので、全編鑑賞すると天文学入門になるように、映像や画像が選ばれています。
 私は3年前から、「大蛇(おろち)」や「恋慕」を、小学校の出前授業や市民講演会で活用しています。音楽なしの映像・画像紹介よりずっと聴衆の方々は楽しんでくれます。それどころか、最近は国際会議でも活用しています。つい先日(810日)、国際天文学連合総会がハワイで開催されたとき、「太陽フレアと恒星フレア」のシンポジウムの plenary talk を頼まれたのですが、講演時間が1時間以上ありましたので、途中で息抜きのため「おろち」(7分間)を上映しました。上映が終わった直後に、Did you enjoy ? と聞きましたら、講演途中なのに拍手喝采となって、びっくり。感動の瞬間でした。
 なお、発売元のDIAAからも以下のプレスリリースが出ており、多数購入希望の方は、そこに直接連絡されることをおすすめします。1セットであれば、アマゾンか、京大博物館、京大生協のショップで購入可能です。
 
PS: 10月24日には、喜多郎さんを再びお招きして、第3回花山天文台野外コンサート「月と音の夕べ」が開催されます。ふるってご参加ください。



DVD「古事記と宇宙」(定価3800円(税抜き))とともに、
柴田と喜多郎さん
2015825日、記者発表の際、京大イノベーション棟5階にて)

2015年8月28日金曜日

1 + 2 + 3 + … = ?

リーダの長田です。

私たちの望遠鏡は分割鏡なので、1枚、2枚、3枚、と、どんどん足していけるのだと私はよく言っています。だけど、数学者という人々は、「どんどん」というところにこだわり無限という概念に到達して、そこでは何か違うものが生まれるんだよと言うんですよね。

数学者ガウスについては以下のような話をかつて書きました。「ガウスが小学生だったとき、算数の先生が、生徒に計算をさせておいて一休みしようと思い、1から100までの数をすべて足すといくつになるかという問題を出したという逸話があります(真偽は不明)。しかしガウスはたちどころに等差数列の和を求める式を考え出して答えてしまったといいます。」その等差数列の、続きの話です。

さて、話はちょっと脱線して、ガリレオとニュートンというと天文学の父と母というか、望遠鏡にしても屈折望遠鏡と反射望遠鏡のそれぞれの生みの親と言えますよね。1642年にガリレオが亡くなり、ニュートンが生まれました(ニュートンの生年は英国が採用していたユリウス暦による)。日本では、この1642年頃に関孝和が生まれています。無限をかいま見た時に出てくるものの代表例が関-ベルヌーイの数で、B0B1B2B3となっています。これについては、英語版のウィキペディアに「ベルヌーイの数は、スイスのベルヌーイ、日本の関によって独立に発見され、1712年に関の「括要算法」と1713年にベルヌーイの「推測法」で発表された(どちらも死後)」と書かれています。(なお、日本語版には最初のところに関の業績についてのそういう記述がなく、私は大変不満です。)

リーマンのゼータ関数ζ(s)は、整数nに対して1 / nsという分数を作り、n1から無限大まで足したものとして、まず定義されます。最初にこれを研究したのはオイラー(1707-1783)でした。s1とおくと1 + 1/2 + 1/3 + … となって無限大になってしまいます。s=2とすると、1 + 1/4 + 1/9 + … となってこれは1.645ぐらいになります。実は、sに正の偶数を入れたものは、関-ベルヌーイの数Bnと円周率πで表すことができ、s=2の場合はπ2 / 6 とわかっています。どうして、こういう整数を組み合わせたものからπが出てくるのか、また、どうしてそんなことをオイラーが思いついたのか、本当に唖然とします。s=4の場合はπ4 / 90 になります。

さらにオイラーはζ(s)ζ(1-s)との間の関係を調べ、sに負の数を入れたものまで計算しています。驚くべきことに、s=-1の場合は、と言うと、なんと-1/12なのです。最初の定義だと、s=-1ってことは、1 + 2 + 3 + …なんだから、これを無限大まで足せば無限大になってしまうと小学生でもわかると思うのに、有限の、しかもよりにもよって負の数になってしまうというのです。オイラーがよくまあこんな結果を出したものだと感心せずにはいられません。(この後リーマンがうまくゼータ関数を解析接続という方法で拡張して、この結果がある意味で正しいことを明らかにしました。さらにラマヌジャンという天才も加わって、ゼータ関数は本当に数学のさまざまな分野へと広がって行きます。なお、s=-1の結果だけに限っても、20世紀後半に物理学で「ひも理論」に使われたりしています。)

2015年7月22日水曜日

銀河鉄道の夜

こんにちは、プロマネの栗田です。

先日大阪府立三国丘高校の生徒さん40名余りが見学に来られました。観測所には岡山文博物館もあり、そこで僕も一緒にプラネタリウムを鑑賞させていただきました。その日のプログラムは生徒が選んだ宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」でした。
物語は、「ではみなさんは、そういうふうに川だとわれたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」という先生の話しから始まるのですが、この一節は観測天文学の発展、つまりガリレオが望遠鏡を用いて天の川を星の集団だと発見した重要な出来事に関連します。恥ずかしながら僕も学部の講義のイントロで天の川の写真を見せ「みなさんこれが星の集まりだと思えますか」なんていつも話していたので、さらに物語に引き込まれてしまいました。

帰ってから原作をもう一度読み返しました。この天の川に関する描写は物語のあちこちで登場するのですが、中でもジョバンニが列車の窓から「一生けん命延びあがって、その天の川の水を、見きわめようとしましたが、はじめはどうしてもそれが、はっきりしませんでした。けれどもだんだん気をつけて見ると、そのきれいな水は、ガラスよりも水素よりもすきとおって、・・」と続きます。やはりここでも天の川が一体何でできているのかという素朴な疑問を探求する姿をジョバンニを通して表現していて、おそらく宮澤賢治自身の天の川への想いが描かれていると想像されます。

中学生の時の記憶の彼方にあった名作銀河鉄道の夜を読み返してみると当時は全く感じなかった感動を覚えました。偶然なのですが、このプログラムを選んだ三国丘の生徒さんと提供してくれた博物館のみなさまにこの場を借りて感謝いたします。あと、このプラネタリウム用の作品ですが、映像もとてもきれいで、桑島法子(ほうこ)さんによる朗読も大変すばらしかったです。


2015年7月17日金曜日

観光と観望

  観測装置担当の山本です。

   2015年7月半ばにニュース番組を賑わせた天文イベントと言えば、冥王星への探査機最接近、ではないでしょうか。この探査機はアメリカ航空宇宙局(NASA)の打ち上げたニュー・ホライズンズで、2006年の打ち上げから9年半の歳月を掛けて冥王星まで到達しました。
ニュー・ホライズンズが冥王星に最接近したときの距離はおよそ1万3500kmで、これは地球の直径(1万2800km)くらいです。地球と太陽の間の距離(1天文単位といいます)が、地球の直径の1万倍くらい(1億5000万km)で、冥王星まではおよそ32天文単位なので、今回のミッションは京都から矢を射って、大阪においてある的に的中させるような、超高精度でおこなわれました。
それだけ頑張ってニュー・ホライズンズは冥王星までいって、しかし着陸や冥王星軌道にとどまることが出来ないので、通り過ぎるだけなのです。その通過中に沢山の写真を撮って観測を行っているのですが、地球とニュー・ホライズンズの通信回線がとても細いため、新しい画像を受け取るまでにとても時間がかかってしまいます。それでも、ハッブル望遠鏡を持ってしてもぼんやりとしか分からなかった冥王星の詳細な画像が得られつつあります。実は冥王星表面に巨大なハートマークが描かれている! ということがニュースになったことをご記憶の方もおられると思います。

   ハッブル望遠鏡のような、高性能の望遠鏡で観測するよりも、やはり現地に行く方が沢山の情報を得られるのは、当然の話ではあります。しかしながら、太陽系内の天体を探査にいくのでも、10年近くの時間がかかるわけですから、冥王星よりもはるかに遠く(少なくとも冥王星からさらに20万倍くらいは遠い)の天体を探査するにはやはり、望遠鏡による観測しかないのです。

   私の興味は、太陽以外の恒星周りに存在する惑星、系外惑星ですので、やはり望遠鏡で頑張るしかありません。
遠くからでも分かる事、遠くからでしか分からないこと、そういったことを積み上げて、我々の身近な疑問(地球に生命は何故生まれたのか、地球以外に生命は居ないのか)を明らかに出来たら、と思います!!







   先日左大文字の火床まで登って、京都を一眸してきました。
大学や自宅、普段生活している町々を望めました。



2015年6月26日金曜日

南アフリカに行ってきました!

こんにちは。観測装置担当の松尾です。
みなさまはいかがお過ごしでしょうか?

私は5月下旬から2週間、南アフリカで観測をしてきました。
観測施設は、ケープタウンから400kmほど北上したサザーランドという小さな町にあります。
南アフリカの季節は、当たり前ですが、日本と逆に秋から冬に向っています。
南アフリカの緯度は20度と日本に比べて低いのですが、標高は1700mあるので、秋にも拘らず、気温はほぼ毎日、氷点下でした。ときに雪や雹も降っていました。
渡航前にケープタウンの気候を調べて洋服を用意していましたが、全くといって良いほどケープタウンとは違い、本当に寒かったです。

観測施設は、South Africa Astronomical Observatory (SAAO)の中にある、口径1.4mIRSF望遠鏡です。口径はすばる望遠鏡には及びませんが、すばる望遠鏡にはない強力な観測装置が取り付けてあります。
名前はSIRIUSで、同時に近赤外線域にある3バンドを同時に取得できるので、明るさが変わるような天体に対しては、威力を発揮します。
また視野が広いので、目的の星と「参照星」と呼ばれる明るさが変化しない星を同時に取得できます。参照星も同時に観測する理由は、地球大気や薄い雲は天体からの光をわずかに吸収するので、明るさが変化しない参照星で地球大気や雲による吸収を補正するのです。
つまり、目的の星の明るさの変化を精度よく調べる「測光」観測が可能になるのです。


少し専門的な話に入ってしまいましたが、次回にお話する頃には、この観測で何が明らかになったかをお伝えできると思いますので、楽しみにしていてください!



IRSF望遠鏡の全体姿です


IRSF望遠鏡からの夕方の風景です


観測施設からの積雪の様子です





2015年6月12日金曜日

30m 望遠鏡の装置

光学など担当の岩室です。

 日頃は3.8m望遠鏡関係の開発研究が中心で、国際協力で進められている30m 望遠鏡(TMT)関連の開発には直接関わることはないのですが、TMT が完成した時に初めに搭載する3つの観測装置の1つ、可視光多天体分光撮像装置(WFOS)の開発に向けて北京で開催された検討報告会に参加する機会がありましたので紹介したいと思います。

 WFOS TMT に搭載される最も大きな装置で、装置でありながら 3.8m望遠鏡程度の大きさがあります。








  上図は、今回の検討報告会のページにある TMT に搭載された WFOS の図(実際には装置を囲む小屋が建てられてその中に装置が入ります)に、同じ縮尺での 3.8m 望遠鏡の図を重ねたものです。この装置も部分ごとに分けて国際協力での開発が予定されており、日本からも国立天文台のグループが参加していました
 私は、TMT 側からコメント役としての参加を要請されて参加したのですが、この装置に関する検討を行った各国の12グループが3日間にわたり発表を行い、それに対して問題点や課題を指摘して今後の開発に繋げるというもので、検討会前後の関連した仕事も含めて結構大変な仕事でしたが、有意義な機会でした。

  今回の北京出張で印象に残ったことは、
1) TMT は多くの国が参加する相当に難しい国際協力プロジェクト
2) 望遠鏡本体だけでなく、装置開発の面でも日本の役割は非常に大きくて重要
3) 北京の砂嵐はすごい
4) 中国のお金の単位「元」を表す記号も「¥」
5) 元を日本円に戻すのが大変
6) 当然ながら日本酒は異常に高い

だったのですが、1) 2) は技術面でもさることながら、物事を進める上での文化面でも各国に相当の差があり、皆、それを意識して進めている姿は印象的でした。日本は単一文化なので普段は文化の違いを意識する必要はないのですが、国際協力で物事を進める上では重要で、障害にもなりうる部分です。日本は技術面・文化面どちらにおいても非常に大きな信頼を得ており、頼りにされている存在であることがこの会議でも改めて確認できました。3) は会議の3日目の昼休みに来たすごい砂嵐のことですが、TV でしか見たこともないような巨大な砂の波が押し寄せてきて、ひどい時には視界 10m 位になってしまう様子には驚きでした。北京在住の中国人は「まあ普通」と平気な様子でしたが、外に居たら大変でしょうね。4) 5) はお金に関係する話なのですが、1元≒13円で1桁単位が異なるにも拘らず、円と元はどちらも「¥」記号で表すようで、ややこしいですね。また、元を円に中国国内で戻すには元を購入した際の両替証明書が必要で、持っていなければ手数料が異常に高い日本国内での換金となります。う~ん、不親切。で、6) となるのですが、どの程度現金が必要になるかわからなかった私は、日本円で3万円を元に替えて(出発時は上記の事情を知らず、余ったら円に戻せばいいかと考えながら両替証明書は即捨て)出張に出たのですが、最終日前日になっても大半が残ったままでした。元の換金に関する事情を現地で初めて知った私は、大量に余ってしまった元をどうしようか考えていた所、今回の会議のコメント役として集まった国際メンバーで一杯やろうということで和食のお店に行く事になり、そこで超高い大吟醸(銘柄忘れましたが、多分日本国内の価格の4倍以上)を大盤振る舞いして(予定通り?)全部使ってしまったんですよね。まあ、良く考えれば中国の国策にまんまとやられてしまった感じなのですが、超高いだけあってお酒はおいしくて他のメンバーにも大好評でした。
  皆さんも中国へ行く際には無駄銭を使わされないように注意しましょう。