2017年12月28日木曜日

流星の音

流星の音ってなんや?と言われそうであるが、文字通り流星(流れ星)の音である。流星が流れた「瞬間」に「ザー」とか「シュー」「パチパチ」等の「音」を聞いたことがあるという人が時々いる。流星の音は古くから知られていて、中国の史記にも、音のする流星を「天狗」と呼ぶといった記述がある。(但し、これは極めて明るい流星で火球と呼ばれるものかもしれない。図参照) 私も、高校生の時に一度だけ「聞いた」ことがあり、以来ずっと気になっている。

流星は本当に星が流れる現象ではない。宇宙から地球に落ちてきた小さな塵が猛スピードで地球大気に突入し、地表100km付近で発光し、これが流星として見える。音は音速で伝わるので、仮に流星が本当に音を出したとしても、流れてから何分か経たないと聞こえないはずである。ところが、流星が流れると同時に聞こえるので、この「音」はほぼ光速(電磁波の速さ)で伝わるということになる。すると、「電波が聞こえる」という話になるので、アブナイ人と思われる。

しかし、電波は「聞こえる」らしい。マイクロ波を周期的に人間に照射するとその周期に同期したクリック音がするという実験があるらしい。これは、脳内でマイクロ波が水を温めることで発生する振動が音として認識されているということらしい。ただ、これが流星の音の原因だとすると、単純計算では極めて強度の大きな放射エネルギーが必要で、流星がそんな巨大なエネルギーを放射するとは考え難い。と、いうことで私には依然として謎のままであった。

さて、2017126日に、京大理学部の2回生数人がオーロラの音についてアラスカで調査してきた報告会があって、私も出席した。オーロラも100km以上の上空にあるものであるが、昔から音が聞こえるという話がある。それを「聞き」、そして各種測定をしに行ったというものである。工夫や考察にみちた大変面白い話であった。その行動力、研究内容には大変感心したが、その中で流星の音に関する新しい説が論文になっていることを知った。(Spalding et al. 2017, Scientific Reports, vol. 7, 41251 doi:10.1038/srep41251)

この論文では、光の強弱の振動が人間の身の回りのもの(髪、服、木の葉等)を暖めて、それが振動を起こし、耳に聞こえるという新説を提唱している。実験も行い、5W/㎡の光を1kHzで明滅させ、その横に黒いフェルト、屋根のタイル、松の木、緑葉などを置くと、だいたい数10 dB SPLdB Sound Pressure Levelはいわゆる騒音を測る際に用いられるデシベル)の音がしたという報告である。理論的な粗い計算とも矛盾しないという。つまり人間の耳で十分聞こえるというわけである(通常の会話では40-50デシベルらしい)。なかなか面白いが、ただ、この論文で報告されている例は、いわゆる火球というべき、非常に明るい流星のモデル化であり、普通の流星ではそこまで音は聞こえないのではないかと思われる。また、流星の場合、聞こえないことが一般的なので、聞こえる条件は何なのか?まだよくわからない。

太田 20171226







史記、天官書第五の一部。これを見ると、
何かが落ちてきた形跡があり(有聲の後)、
流星というより火球、
そして隕石のように見える。








2017年12月15日金曜日

惑星の多様性についてつらつら思うこと

 今、理学部3回生向けに「惑星物理学」の講義を毎週木曜日にしています。以前は「恒星物理学」の講義を担当していました。惑星と恒星、どちらも夜空に光る星ではありますが、講義の内容(というか傾向)は随分違います。

 恒星物理学は、20世紀前半にその内部構造についての基本が確立しました。基本方程式がたてられ、それを基に恒星進化計算がなされ、観測との比較研究が進み、精緻なレベルで理解が進んでいます。したがって、「恒星物理学」は、「これが基本」「ここからこんな知見が得られる」というトップダウン的な講義になります。

 一方で惑星物理学はそうはいきません。実に多様性豊かで定型がほとんどありません。恒星と惑星でどうしてそんなに違うのか。いろいろ理由があります。たとえば恒星内部でガスは、ある決まったふるまいを示しますが(専門用語で「状態方程式が決定する」といいます)、惑星内部の主成分である岩石や金属、その混合物の状態やふるまいは、複雑でそう単純には記述できません。また、太陽系惑星の場合、探査が進んでその違いがはっきりしていることも、惑星の多様性が目立つ一つの理由かもしれません。そもそも、地球と金星を比べてみても、大きさや質量はほぼ同じ、太陽からの距離もそう大きく違わないにもかかわらず、性質は随分違います。「惑星は個性だ!」とつくづく思います。

 惑星の学びでは、その世界を(人ごとでなく)いかに身近に感じるかが重要に思います。そこに旅行したらどんな気分になるだろうか、どんな風景が広がっているのだろうか、などと想像してみることは楽しみであると同時に、宇宙や天体に関する理解にもつながると(勝手に)思っています。


 幸いなことに、太陽系の惑星や衛星の画像がネットから簡単にとってこれるようになりました。添付の図は火星の風景です。いずれ人類が火星に移住したとすれば(想像してください!)、余暇にこんな場所に出かけることができるようになるかもしれません。

嶺重 慎


画像:クレーターの底に広がる砂丘
PHOTOGRAPH BY NASA, JPL, UNIVERSITY OF ARIZONA



2017年11月10日金曜日

車を買うならゼッタイ新車!か、ゼッタイ中古車!か


 リーダの長田です。

 表題とは全然違うところから漂ってきて全然違う終点へと漂って行ってしまうのが私の文章で、今回もそうなのです、すみません。電波天文学の偉い先生がおられました。とってもとっても面白いオジサンという容貌やら話し口だけでなく、私は心から尊敬しておりました。

 いくつもの語録があるのですが、その中から一つだけ。
車を買うなら絶対に新車だ、3年かそこらで乗り換えて行くんだ、という人たちがいる。日進月歩の技術の最新のものでなくっちゃ、他人が乗っていた車になんか乗れるか、自分の好みのオプションや色を自由に選べる、売って買い換えて行けば結局安くつく・・・。一方、車を買うなら絶対に中古車だという人たちがいる。掘り出し物を見つける楽しみがいっぱい、納車まで何か月も待つなんて耐えられない、買った瞬間に何十万円も市場価値が下がるようなものに100万も200万も投資なんてできるか・・・。そしてどちらの人たちも必ず言うのだ、中古車(新車)を買うやつの気が知れない。だけど、ちょっと考えてみてほしい。そういう「やつ」がいるからこそ、あなたのカーライフは成り立っているのですよ。

 さて、結婚式の披露宴で新郎新婦の面白いエピソードが聞けるのはとても楽しいもので、そういうのがなかったら披露宴に行く魅力が半減すると思います。これは皆さん同意してくださると思います。ただ、招待状にスピーチをお願いします、と書かれていたら、102日のブログの山本さんならずとも「スピーチ前はテーブルに並ぶフルコースの味も分からなかった」という状態になりません? ホントにあれだけはやめてほしい。

 また話題は変わって、日本赤外線学会というのがありまして、その定例の「研究発表会」に1026日に行って来ました。若い人の発表を中心としてポスター講演があり、そのかなりの部分が「講演番号[Px]の前にがある講演は,優秀発表審査の対象です.」となっています。そしてポスター講演に関しては、最後に優秀発表を表彰してお開きとなります。優秀発表賞を受賞するのは栄誉なことだし、私たちもそれを見ながら「うんうん、あのポスターは良かったな」というのも楽しみです。ただ、その段取りをつけて審査をするのはホントに大変なことであります(私は表彰委員会に属してます!)。

 審査されると言えば、私たち研究者にとっては科学研究費。その締切が最近ありましたが、審査する側というのもきっと大変なんでしょうねえ。それだけじゃなく、論文のレフェリーにしても、結局は研究者がお互いに労力を割き合ってピアレビューというのをしているわけです。自分のことだけを考えて一所懸命に申請書を書いているとたぶんダメで、審査する立場の人は大変だろうなあ、そういう人にどうわかってもらおうかなあ、ということまで考えて書けば、良い結果につながりやすいんじゃないでしょうかね。

 さらに、私たち人間というのも宇宙に属しているはずなんで、こういう望遠鏡を作ってこういう装置を作ってこういう観測をすれば、宇宙はその秘密を明らかにしてくれるんじゃないだろうかなあ、と思って研究してるんですけどねえ。宇宙のことが良くわかってないからでしょうか、なかなかその魅力を私たちに簡単には教えてくれないですねえ、そこがまた魅力なんですが。


ホームページはこちらから ↓




2017年10月27日金曜日

3.8m望遠鏡の愛称募集!

こんにちは。広報・サイエンス担当の野上です。

さてさて皆さん、始まりましたよ~!何がって?いやいや、とぼけてもらっちゃ困りますね~。アレですよ、あれ!
そりゃもう、もんのすごいアレ!って、えーと、何だっけ?
、、、すみません、くだらないことで字数を稼いでしまいました。

ということで(どういうことや?というお約束のツッコミを入れつつ)、我らが3.8m望遠鏡の愛称募集が始まりました!
(パチパチパチパチ)皆さまぜひぜひよい愛称を考えて、どしどしご応募下さい!!このブログを直接ブックマークされている方は、
の「お知らせ」のところをご覧下さい。

世にある大きな望遠鏡には結構いろんな名前がついています。
日本が誇る口径8.2mの望遠鏡@ハワイ観測所は「すばる」。そう、清少納言が枕草子で「星はすばる。」と書いた、昔々から日本人の大好きな天体です。
 兵庫県立大学西はりま天文台にある口径2mの望遠鏡は「なゆた」。一十百千万億兆京、、、と続く数の単位で、とーーーーっても大きな単位が那由他。広大な宇宙を表している感じがしますねー。無量大数にしないところが少し奥ゆかしい。というか、語呂の問題ですかね。
 広島大学東広島天文台の1.5m望遠鏡は「かなた」。これも宇宙の彼方を見る望遠鏡ってことなのでしょう。
 北海道大学附属天文台の1.6m望遠鏡は「ピリカ」。アイヌ語で美しいという意味だそうです。響きもかわいいですね。
 宮城県の仙台市天文台にある1.3m望遠鏡は「ひとみ」。これもかわいい響きで、意味としてもまさに望遠鏡にうってつけな名前です。
 国立天文台石垣島観測所の1m望遠鏡は「むりかぶし」。これは沖縄言葉、いわゆるウチナーグチですばるのことなんだそうです。

3.8m望遠鏡にも、ぜひ皆さんの思いのこもった名前をつけてあげて下さい!採用された愛称を提案してくださった方には、それはそれは素晴らしい記念品(注意:まだ決まっていません)を全員にお送りします。そして抽選で1名の方のみですが、来年春頃を予定している、3.8m望遠鏡を中心とする京都大学岡山天文台の開所式にご招待いたします!


では皆さま、どうぞよろしくお願いいたします。




ドームに収まった3.8m望遠鏡。
これは鏡が載る前の珍しい写真。
今後、各種の調整が行われていく。






2017年10月11日水曜日

秋の日はつるべ落とし?

 プロマネの栗田です。

中秋の名月が過ぎ、夏に比べて日の短さを実感する頃かと思います。もちろん日の短さでいえば冬至のころが北半球ではもっとも短いのですが、秋の太陽の特徴を表す言葉として「秋の日はつるべ落とし」があります。これは太陽がまるで井戸のつるべが落ちるかのようにあっという間に地平線に沈み、夜になってしまうことを指します。より実感としては、夕焼けが短いことを指します。こどものころ日が暮れても少しでも外で遊んでいたかったですよね。そんなとき、秋の夕暮れはあっという間に暗くなり、田んぼの畔や川の堤防を慌てて走る・・という情景です。天文学では日没後から空が完全に暗くなるまでの間を薄暮といいます。薄暮の理由は、日没後でも上空の大気や雲に太陽光が当たり、それらが地面を照らしてくれるからです。

しかし、地球の自転する速さ、つまり見かけの太陽の動く速さは季節に依らず同じなのに、どうして秋だけこの夕暮れ時間が短いのでしょうか。気のせいなのでしょうか。いえ、実際に薄暮の時間は秋(9月から10月ころ)の方が夏よりも25分ほど短いのです(東京でのデータ)。しかしその理由を解説した書籍等を知りませんので、ここで考えてみたいと思います。

下の図は太陽に左側から照らされている地球だと思ってください。日の当たる左側半分が昼間で右側半分が夜です。夕暮れはこの間にあるオレンジ色の帯状の部分です。地球は自転しながら太陽の周りを公転しています。この自転軸が傾いているので季節が生じます。図では季節ごとの照らされ方と自転軸の関係を示しています。黒の楕円はちょうど赤道上(例えばシンガポール)の人の動きだと思ってください。こうしてみると夏至や冬至ではこの人は昼と夜の境を斜めに横切っているのが分かります。一方春分や秋分ではこの境を垂直に横切っています。つまりそれだけ短い時間で横切るので秋分のときの夕暮れは短くなります。これをもう少し分かりやすくしたものがさらに下の図です。自転軸が横倒しになった場合(左図)、赤道上の人は永遠に夕方です。逆に自転軸がビシッとまっすぐ立った場合は最短時間で夕暮れの帯を通り抜けます。

ここで気づくことは春分も秋分の時と同じではないか、ということです。はい、調べてみると確かに春分と秋分の薄暮の時間は同じです。というわけで「春の日もつるべ落とし」です。推測ですが夏から日が短くなっていく効果もあって、秋にのみこの表現が生まれたのではないかと思います。


ちなみに東京では夏至、冬至、春分と秋分の薄暮の長さはそれぞれおよそ1時間49分、1時間32分、1時間25分だそうです(あまり差がないので昔の人は感性が豊かですね)。夏至と冬至がずいぶん違うのは、東京がシンガポールとは異なり中緯度にあるためだと推測します。










2017年10月2日月曜日

序論、本論、チョコケーキ

惑星観測装置担当の山本です。

 本ブログ記事公開日は922日なのですが、「去る秋分の日」に25年来の友人の結婚式がありました。これまでの私の人生もそれなりの長さがあるのですが、どういう巡り合わせか一度も「友人の結婚式」に参列する機会に恵まれず(親族や先輩方などはありましたが)、本人も含めて結婚という話題に触れる機会もほぼなかったのですが、今年に入って怒濤の勢いで身の周りが「結婚」「結婚」「結婚」です。すべてが私と同世代と言うわけでも無く、今回私の友人1組に加え、前の研究室時代の後輩4(予定も含め関知している限り)が式を挙げたり入籍を果たしています。

 後輩らに関しては、社会に出て数年が経ち生活が落ち着いてきて、と言うパターンや、学位を取ったので、というパターンのようです。いわば「適齢期」なのですが、今回の友人は特に研究職とは関係もないので私の「学歴」等とは関係なく、今単純に「ブーム」なのかも知れません。総務省統計局のデータによると平成27年時点でほぼ15年間にわたり婚姻数は減少を続けており、これまでの実感となんとなく合う(物理学者ならぬ感想)のですが、今年の統計が出る頃には、もしかしたら増加しているのかも知れません。

 さて、これまで参列したことのある結婚式は、ただ写真を撮って飲み食いに興じて終わり、という形態だったのですが、今回の結婚式は25年来の友人のもの、と言う事で、友人代表スピーチの役割を任せていただくことになりました。大体3ヶ月ほど前にその話を貰い、そもそも友人代表スピーチとは、と言う事から考え、形態やマナーを調べ、ようやく原稿ができあがったのは挙式1週間前だったのですが、前日になって大幅に改訂を加えたりしたので、当日は原稿に時々目を落としながら、と言う事にはなってしまったのですが、参列した他の友人からも「あんなにちゃんとしたスピーチとは思わなかった」と言ってもらえたのでひとまずは安心しました(言外の「もっと笑いを取れよ」という言葉は聞こえなかったフリをしておきますが)。近年はそもそも家族婚などの小規模な式で済ませる傾向もありますし、今後はなかなか機会に恵まれないであろう貴重な体験でした。スピーチ前はテーブルに並ぶフルコースの味も分からなかったですが、スピーチを終えた後のデザートの甘さが非常に沁みました。甘いは幸せです。


デザートのオペラケーキ。最優秀パティシエミッシェル・ブランのもの

 普段研究者などは、学会や研究発表などでは10分から15分、勉強会などでは1時間〜1時間半の発表をすることは多く、大体これくらいの時間内に「導入」「方法」「結果」「考察」などをおさめることには慣れています。一般論としてご存知の通り、スピーチの時間はあれもこれもと長くすることは簡単ですが聴衆から嫌われ、短ければ短いばなるほど好かれますが話をまとめることが非常に難しくなります。研究論文などもさっと簡潔に重大な発見を書けることが望ましいですが、我々装置開発などの場合はあまりに簡潔すぎると追試をしてみたくても詳細が不明であったり参考文献の列が膨大になってしまったり、あんばいが難しいです。

 まあしかし、私の今回の話も半分与太話になってしまったので、長くなりすぎないところでお開きとさせていただきたいと思います。

それでは!




2017年9月8日金曜日

「マタイ受難曲」

光学など担当の岩室です。

今回は音楽の話題です。
私の所属している京都混声合唱団では現在、バッハのマタイ受難曲の練習をしています。この曲はクラシック宗教音楽の最高峰とされる曲の1つで、演奏速度にもよりますが全曲を省略なく演奏すると3時間半もかかる非常に大きな曲なのと、ソリストが多かったり古楽器や少年合唱が必要になるなど、演奏会としても通常より費用のかかるものとなるため、永く合唱を続けていてもなかなか演奏できる機会のない曲です。私は30年前のまだ学生だった時代に京都混声で一度歌っていますが、その際は何が何だかわからぬままに終わってしまったので、今回は曲を良く理解して歌いたいと考えています。

マタイ受難曲は、新約聖書の「マタイによる福音書」にあるキリストの受難を宗教音楽にしたものですが、神の子であるキリストの崇高さに対し私利私欲にまみれた民衆や、自己保身を悔いる弟子の心情など、非常に奥深い人間の深層心理が緻密に設計された音楽で表現されています。
例えば、曲の要所要所で「コラール」と呼ばれる讃美歌をベースとする曲が入るのですが、その内の幾つかのグループはそれぞれ共通の旋律が引用されています。実はそれぞれの場面で訴えたい内容が歌詞だけでなく、共通するテーマに対しては同じ旋律が引用されており、それぞれの旋律には共通の概念が与えられています。何となく感じてはいたのですが、知れば知るほどこの曲の奥深さには感心してしまいます。
「マタイ受難曲 解説」でネット検索すると多くの文書が出てきますので、来年の本番までにはまだまだ勉強のしがいがありそうです。

演奏 CD としては30年前に大枚はたいて購入した1980年のリヒター版(LP 4枚として出ていたものをこの頃登場した CD 3枚に焼き直したもので、ペーター・シュライヤーやフィッシャー・ディスカウなど当時のビッグネームによる名盤です)を持っていて、何十年ぶりに取り出したところ、高級品ゆえに入っていたスポンジがCD本体と反応して悲惨な状況になっていて大変ショックでした...



あまりにがっかりだったので、箱とケースと解説書は置いておいたものがこの写真です。箱入りの CD なんていうのは後にも先にもこのマタイだけです。何とか中身だけでも取り戻したいと思っていたところ、今のご時世ちゃんと YouTube 1980年のリヒター版が出ているのですね。YouTube で "Matthaus Passion Richter" で検索すると 58年版(一部不良あり)71年版(ビデオ)80年版が全て聞けます。私としてはやはり昔聞いていた80年版がリヒターの集大成のように感じて一番しっくりきますので、とりあえずこれで復元しちゃいました。

京都混声の演奏会では演奏に合わせて50インチモニタとパワーポイントで歌詞対訳や挿絵の表示を行っています。準備したデータを見返したりしながらマタイに対する理解を深めようとしているのですが、まだどうしても理解できないのが60番のアルトのアリアです。キリストが十字架にかけられて大変重苦しく悲惨な状況にあるのに、なぜか歌詞や音楽としては涼やかで軽やかなものとなっています。キリストが超越した存在だからこそこのような表現になるのでしょうが、キリスト教の信仰が深くないと根底からは理解できないのかもしれません(ちなみに私は無宗教です)


世の中にはオタクと呼ばれる人々がたくさんいますが、研究者はその分野でのオタクですし、上記マタイ受難曲の研究をしている人たちもオタクです。まあ、こういうオタクの存在する分野はそれだけ奥が深いということですね。




2017年8月25日金曜日

果報は寝て待て

  今日は五山の送り火である。大文字山の大の字の一部に白いテントが張られ、遠目にもいつもと雰囲気が違う。銀閣寺門前では護摩木に願を書く人が群れ、午前中には大勢の人が山に上って行く。が、今回は、天文学の話をする。

 20163月のブログで、「ALMAでは採択された観測課題を申請者本人が観測することはない。観測所が責任をもって観測を実施してくれるのである。」そして「ALMAでは、観測終了後のデータ処理までしてくれるのである。」と書いた。確かにそうなのだが、ALMAに採択された観測申し込みには3段階ある。グレードAが最高位で、これで採択されると、最優先課題として観測が実行される。気象条件などでその年(サイクル)に観測が実施できなくても翌年(次のサイクル)に持ち越してもらえる。グレードBはこれに次ぐ優先課題であるが、翌年への持ち越しはない。この下にグレードCがあって、グレードABの課題が気象条件などで観測できないとか、そもそも観測天体がないといった空き時間を利用して観測を行うというものである。従って、観測が実施される保証もない。Filler(埋草)とも呼ばれ、運がよければ観測が実施される。

 さて、この20177月半ばに、ALMAから「Dear Kouji Ohta, This is a notification for project 2015.1.01129.S, PI: Kouji Ohta.」というメールが来た。一瞬何のメールなのか飲み込めなかったのであるが、20154月にALMAに申請していた観測課題のデータが用意できたというお知らせらしい。この観測課題は20158月にグレードCで採択されたもので、20162月頃には「観測できるかもしれないので、観測諸元を指定したファイルを準備せよ」という指令が来た。これは、どっかに隙間時間ができたら観測するからその観測の諸元(例えば1回の積分時間、分光器の詳細設定等々)を最終的に決めて、ファイルとして作成し、ALMAに送れという指令である。観測される可能性があるので、喜んで準備して送り、ALMA側でも設定をチェックしてもらい、少しやり取りがあったのを思い出した。ところが、その後何の音沙汰もなくなったので、結局隙間時間はできなかったのだろうと思って、諦めていた。1年たった20172月頃まで何事もなく、さすがにサイクルをまたがることはないので、すっかり(?)忘れてしまっていた。そしてそれから約半年後に急にデータの準備ができたという知らせが来たので、「?」となったという次第である。後になって考えると、最近ALMAでは取得できたデータの処理が追いつかずデータ配信が滞る状況があると聞くのでそのせいかもしれないと思い至ったが、今回の理由は知らない。

 数日後にデータのありかを示すURLが送られてきて、これを取得した。大きなデータであり、1日近い転送時間がかかったが、なんとかダウロードして、その後CASAというソフトを使って簡易的にデータの様子を眺めたところ、所定の周波数に信号が見えていた(図)。しかも、予想とは少し違う強度分布を示していたので、なんか面白い結果になっているのかもしれない。解析はまだ準備中であるが、楽しみである。「観測しない観測」だと、観測データは忘れた頃にやってくることがある。まるで棚ボタ気分である(七夕ではない)。果報は寝て待てということか。


太田 2017816


簡易画像。見ても何かわからないかもしれないけど、赤っぽい部分が信号に対応する。


 

2017年8月3日木曜日

伊根町での出前授業

 日本天文学会では、研究者と市民をつなぐ取り組みの一つとして、毎年七夕の季節に、全国の研究者が小中高校などに出向いて七夕や宇宙の授業をする取り組みを行っています。京都大学の宇宙グループも京都府教育庁と連携して、京都府内の学校数十校から要請をうけてスタッフや院生を派遣してきました。
 今年、私は7月7日(金)に丹後半島の北東部に位置する伊根町の伊根小学校を訪問しました。



 
 京都駅を7時過ぎに出て、天橋立駅に着いたのが9時半。わざわざ校長の齊藤先生にお迎えいただき、伊根小学校までの風光明媚な道のりのドライブを楽しみました。伊根町といえば「舟屋」が有名ですが、校長先生に展望台にまで連れていっていただき、町の全貌を見ることもできました。
 伊根小学校は、明治6年開校といいますから、140年以上の歴史を誇る小学校です。全校生徒数は100に満たないこぢんまりとした学校ですが、こどもたちはみな元気で、大きな活力を感じました。そして私もリフレッシュしました。
 まず3・4年生を相手に、夏の星座や宇宙生物探しの話を45分、休みを経て5・6年生向けに太陽や宇宙にあるものについての話をやはり45分しました。教科書的な知識でなく、こどもたちがわくわくしそうな話をこころがけたつもりですが、うまくいったかどうか。やはり宇宙人の話はどこでも受けます。
 もうひとつ伊根小学校の特徴は「美味しい給食」です。「日本一の給食でたくましい伊根っ子」をスローガンとしていると説明を受けました。地元の食材を生かしたその給食を、私も生徒たちと一緒にいただくことができました。食事のあと、授業の感想や質問など聞きました。知らないことがたくさんあった、宇宙に行ってみたくなった、など楽しい対話のひとときを持ちました。

 この場を借りまして、お世話になりました伊根小学校の先生方、京都府教育丁のみなさまがたに、厚く御礼申し上げます。

(嶺重 慎)

2017年7月7日金曜日

A long time ago in a galaxy

 リーダの長田です。

「この文句で始まればもちろんスターウォーズ」と思う人も、「そんな映画、知らん。前回の野上さんのブログで初めて知った」という人もおられるかもとは思いますが、そのスターウォーズの第1作が封切られたのが1977年、もう、ちょうど40年前のことになるのですね。そして3部作が完結したころには私はハワイ大学のポスドクに行き、天文学研究所(IfA)1988年までアラン・トクナガさんのもとで働いていました。研究所は196771日に開所したとのことで、その50周年記念の研究会に行って来ました。

ハワイ島のマウナケアという場所が天文学の観測に適した場所であると見抜いた人々の話や、その後の発展、そして将来への展望に関してとても有意義な研究会でした。おそらく赤外線観測では、たとえチリの晴天率の良い観測所を比較に入れたとしても、世界最高の条件なのだと考えられています。その赤外線観測をハワイでもリードしたのがエリック・ベクリンです。彼はオリオン星形成領域のベクリン・ノイゲバウアー天体に名前を残すだけでなく、天の川銀河の中心を発見したり、L型スペクトルの褐色矮星を見つけたりと、赤外線天文学の歴史を作ってきた人です。

彼は「ナガタのいないハワイ大学なんて」と1990年にカリフォルニアに戻ってしまいました(もちろんウソです。今回も、最初名前を正しく言ってもらえませんでした)が、口径10mのケック望遠鏡に関わり、スピッツァー宇宙望遠鏡に関わり、今もボーイング747SP(あの旅客機のスペシャル・パフォーマンス版!)に2.5m望遠鏡を載せた「ソフィア」プロジェクトで活躍しています。

それにしても長い年月が流れました。ベクリンの顔を20年以上も見ていなかったので、私も彼に声を掛けられて「エリック?」と聞いてしまった(なんで声を掛けられるんや?、いくら会ってなくて自信がなくてもこっちから声を掛けんかい、という自己ツッコミ)ぐらいですから。で、彼の話ではなくて彼の甥の話。
研究会にも参加していて、そして最後の日の夕食にも来てくれました。Zachary Urbinaという若くてカッコいい彼は、サイエンス等のライターもしているとのことで、SEICAに興味を示してウェブで調べ、ハワイのコミュニティの一部が30m望遠鏡に反対していると聞くと、いかにしてSNSを使えば効果的に意識の共有ができるかを提案し、さっそくトクナガさんはハワイ島の関係者と話すと言っていました。昔々の懐かしい記憶と、未来への確実な一歩を感じることのできた3日間でした。

彼の文は以下で読めます:
https://www.ua-magazine.com/living-with-the-sun/.WVdOAmjyj4Y#.WVdO7mjyj4Y

なお、行くときの飛行機の中では何とか英語を聞き取ろうと、「ローグ・ワン」を英語で見てました。
スターウォーズの第2作が封切られたときに「エピソード5帝国の逆襲」だというタイトルに何のこっちゃと言い、第1作が「エピソード4」だったと聞かされた(野上さんのブログ参照)のでしたが、ローグ・ワンというのはエピソード3.5なのだそうですね。あるいはセイファート銀河的に言うと、エピソード3.9なのですね。これまた何のこっちゃ、ですが、エピソード5と同様に最高傑作なのかも知れません。



   ケック望遠鏡とすばる望遠鏡とジェミニ望遠鏡から
   レーザーを発射して天の川銀河の中心部を赤外線観
   測しているところ、の写真を背中に載せたTシャツ
   をハワイ大学IfAでは作っていました。






2017年6月23日金曜日

映画に見る宇宙

 まいどー。広報・サイエンス担当の野上です。
昨年度から縁あってとある他大学で非常勤講師をさせてもらっています。かなり有名な私立大学で理系学部もあるところなのですが、私が担当させてもらったのは文系学生向けの「天文学概論」的な講義です。それで昨年度は太陽から宇宙論的な話まで、まじめ~に概論を語りました。私としては大変勉強になりましたし、学生に毎回の講義で書いてもらうコメントを読み、いくつかのコメントに対しては次の講義で少し詳しい解説を行うという形で学生とのコミュニケーションも取れて、非常に楽しい講義でした。
 さて今年度、少しひねった、というか趣味に走った講義にしてみました。講義のサブタイトルに「~映画に見る宇宙~」という文言を入れ、宇宙に関係する映画を3~4回に分けて講義中に鑑賞し、残りの時間を関連する宇宙のことについて講義するというスタイルです。で、映画を見終わる回で関連するレポートを提出してもらいます。
1本目として取り上げたのが、2015年に制作されたオデッセイ。日本でもかなりヒットしたので、観られた方も多いのではないかと思います。火星探査ミッションで火星に取り残されてしまった一人のクルーが、なんとか火星で生き延びるが、さてその救出やいかに?という感じのストーリーです。解説としては、火星やその他の惑星の基本的な情報から入って、様々な火星探査ミッション、現在可能性が模索されている現実的な火星移住計画などの話をしました。
 その上で課したレポートは、
---------------------------------------------------
さてあなたは、
1.人類は火星移住を目指すべきと思うか?
2.火星移住を目指す一人目のパイロットに志願するか?
3.火星移住が可能になったとしてあなた自身は移住するか?
のいずれかについて考察し、レポートとして提出せよ。
---------------------------------------------------
というものでした。これを読んでくださっている皆さんなら、どういうレポートを作成しますか?
 2本目で取り上げたのは「スターウォーズエピソード4 新たなる希望」です。言わずと知れた、スターウォーズシリーズの1977年製作の第1作。この映画では、R2-D2C-3POなどの魅力的なロボット・人工知能が登場します。それで、宇宙からは若干離れますが、人工知能のあらましから囲碁・将棋などの機能特化型AISiriなどの対話型AIなどの話をして、松田卓也さんなどが提唱している2045年問題などの解説をしました。
 その上で課したレポートは、
---------------------------------------------------
さてあなたはどう考える?
1.人工知能の今後の発展についての是非
2.人工知能の発展により社会はどう変わるか?
3.人間と人工知能との恋愛は成立するか?
のいずれかについて考察して、レポートとして提出せよ。
---------------------------------------------------
でした。例えば、人間が仕事を奪われることになるのではないか、というのはよく言われていることではありますが、それはある意味で、労働からの人間の解放とも言えることではあります。AIで人間は楽園を迎えるのか?AIに人間が支配されることになるのか?皆さんならどう考えるでしょう?
 3本目は、地球物理のある先生から貸して頂いたTHE COREという映画です。なぜか地球のコアの回転が止まり、地磁気が消失することで地球上に様々な影響が生じる。さあ、コアを再び動かす手立てはあるのか?というような映画です。あまり知られていないのではないかと思いますが、地球の内部をSFXで見せるという、なかなか面白い映画でした。解説としては、『太陽からの様々な影響から地球を守ってくれているのが地磁気で、確かにこれがなくなればエラいことになる。しかし地磁気がなくなるなんてことがなくても太陽でこれまでに観測されたことのないような「スーパーフレア」が起これば我々の生活は破壊されてしまうかもしれない。そして宇宙に数多ある太陽型星では、そういうスーパーフレアがたくさん起こっていることが我々の研究で明らかになった。』というような話をしました。
 その上で課したレポートは、
---------------------------------------------------
1.太陽でのスーパーフレアに備える準備としては国の施策として何ができると考えるか?
2.太陽でのスーパーフレアが1万年に1度の頻度であるとして、その対策に日本で年に5兆円規模で5年かかるとする。この対策を「今」行う必要があると考えるか?
3.この映画THE COREの感想を書け。
---------------------------------------------------
です。これは今レポートを書いてもらっている段階です。3は、1と2だけだと難しすぎてレポートの提出数が減ってしまうかなあと考えての救済措置みたいなものですが、1や2のテーマで自分で色々と調べてきちんと考えてレポートを書いてくれる学生が果たしているでしょうか?
 ということで、現在行っている非常勤講師としての講義の紹介をしてみました。実はまだ、最後の1本を何にするか決めていません。皆さんから、「この映画でこういうテーマでレポートを出してもらうといいよ!」というご提案をお待ちします。
画像はC-3POのWikipediaのページに載っていたものの転載です。

2017年6月14日水曜日

逆行

 プロマネの栗田です。

 天体を観測していると「角度」の概念の難しさにつくづく気づかされます。多くの方が星や惑星などの天体は地球から離れたある位置、例えば「ここ」とか「そこ」にあると、考えます。もちろんそれは正しいのですが、天体は大変遠いために、位置というよりは地球から見える方向つまり角度のみが観察されます(子どものころは車窓から眺める月とビュンビュン流れる景色をみて「月がずっと追いかけてくる」と考えるものです)。
 僕自身もこの手の問題で混乱しました。正確に言うと混乱させられたと言うべきか。。その一つに惑星の「逆行」があります。これは地球より外側の軌道を回る惑星(火星や木星であり、それらを外惑星といいます)に起こる現象で、天球上を一方向に移動していたはずの惑星が突如方向転換する(ように見える)現象です。詳しくは高校の教科書やWikipediaなどで調べてください、といいたいところなのですが、こどものころから教科書に書かれている説明と図に混乱され続けてきました。
 たとえば、Wikipediaには以下のような図1と図2で説明されます。


図1 教科書にも用いられる逆行の説明図(Wikipediaより)


図2 図1の状況から導かれる天球上での外惑星の見かけの運動。(Wikipediaより) 
図1のような惑星の運動であれば、実際はこのように見えず、次の図3に示すように
A1とA4が、またA2とA5が入れ替わった状況になるはず。


 この説明方法は教科書を含め広く使われています。この図で問題なのは本当は無限の彼方にあるはずの天球が青い太線で地球に対して結構近くに描かれていることです。この天球すなわちスクリーン上での惑星の位置(A1~A5)までを見れば確かに図2の赤線のような逆行を行います。
 しかし、冒頭でもいいましたが、天体も天球も大変遠くにあって、このスクリーンの位置とは異なります。この説明図にずっと違和感を感じてました。このスクリーンの位置はどうやって決めるのだろうかと悩んでしまいます。
 たとえばこのスクリーンがうんと近くて、外惑星のすぐ外側にあったとします。するとAの点群は順番通り並び逆行なんて起きません。また図3のようにうんと遠くにスクリーンがあればA1とA4の順番が入れ替わることもわかります。いったい何が真実なのだろうか。。

      図3 天球(スクリーンを)十分遠くに置いた場合のスクリーン上での位置関係。
      内惑星から外惑星に向かった直線をこれ以上延長しても相互に交わることは無い。
      この図であれば見かけの角度の変化とスクリーン上での位置の変化が比較的対応が良い。



 つまるところ天球すなわちこのスクリーンの位置がおかしい、いやむしろ冒頭に述べたように逆光に関しては天体の「位置」なんて考えること自体が誤解を招き無意味ではないか、と気づくわけです。大切なことは地球(T)から外惑星(P)の見える方向(角度)なのです。それならスクリーンなんて必要ありませんからね。ん~、それにしてもいつまでこの図は使われ続けるのだろうか。。

 この考え方が事実や主流に逆行しているのだろうか。。



2017年5月26日金曜日

ビア樽のなかの生命活動

 惑星観測装置担当の山本です。

 先日、大阪の長居公園で行われたオオサカオクトーバーフェスト2017に行ってきました。5月にオクトーバーとは、という思いもありましたが、好天にも恵まれおいしいビールと料理が頂けて幸せでした。


オオサカオクトーバーフェスト受付の様子

 学生時代に名古屋にある某ビール工場見学ツアーに参加し、そこでよりおいしくビールを頂くための「秘伝の三度注ぎ」のやり方を伝授され、以来その会社のビールをひいきにしていますがしかし、原材料/発酵のさせ方/ホップの組み合わせの違いで、世界には様々な種類のビールがあります。ビールと言えばキンキンに冷えた、と思いがちですが、あまり冷えていない方が風味や香りを楽しめるものも多くあります。今回のイベントでは5つの醸造所のビールしか飲めませんでしたが、これからがビールシーズン(本来は秋でしょうが……)。沢山飲んでいきたいです。

 さて、ビールはエジプトのピラミッド建設時に報酬として振る舞われたという記録が残っているほど歴史が深く、また全世界に多くの愛好家がいらっしゃるので滅多なことは言えませんが、その製法を極簡単に整理すると、麦などを由来としたデンプンを糖化させた麦ジュースにホップを加えた後、ビール酵母に発酵させ、アルコールと炭酸ガスを生成させてビールにする、でしょうか。ビールに限らずお酒というのは糖分を酵母に食べさせてアルコールを作ります。アルコールというのはそもそも炭素と酸素から出来ている鎖のどこかにヒドロキシ基(-OH)をくっつけた物質で、実は生物の体にはありふれています。

 少し話は変わりますが、私が研究している惑星観測装置では、木星のような巨大なガス惑星の観測を目指した装置開発を行っています。しかしこの装置で培った技術などを、現在建設が予定されている超大型の望遠鏡に適応することで、将来的には地球のように表面が水に覆われた岩石惑星の観測を行いたいと思っています。こうした惑星を観測し、「地球外生命の兆候」を発見することが究極の目標の一つです。

 ここで挙げられた「生命の兆候」が何を指すのか、に関しては様々な意見があります。地球型の生命を考えるならば、炭素から構成されている生物がいるのなら「メタン」が排出されるはずだ、とか、植物のような生命が光合成をするのだから「酸素」があるはずだ、とか、植物一つ一つを見ることは出来ないが大陸を覆うような大森林があるのならば「葉緑体の色」を見られるはずだ(2015年11月の山本記事参照[http://sarif-report.blogspot.jp/2015/11/blog-post.html])、とかです。

 このうち「葉緑体の色」というのは現在観測可能な星が太陽よりも小さく暗いので、地球の植物のような葉緑体を持っていないかも知れず、ハッキリと見られるのかは分かりません。また「メタン」や「酸素」などは生物が関わっていなくても生成される場合があるため、これらの物質が発見されたからと言って即「生命が発見された!」とはなりません。

 そこで、Turbo-King等のグループは、先ほど紹介した酵母菌のような生物の発酵によって生成された炭酸ガスとアルコールが検出出来れば、これが「生命の兆候」として使用できる、と報告しています(arXiv1703.10803[https://arxiv.org/abs/1703.10803])。もともと「海」があるような惑星を観測しようとしているので、水とアルコールと炭酸ガス、つまりビールのような惑星が発見出来るのならば、そんな惑星には生命が溢れている、と。

 実はこの論文は4月1日に投稿された(今年は4月1日が土曜日だったので掲載されたのは4月3日でしたが)エイプリルフール用のジョーク論文です。しかし何を以て「生命の兆候」とするのか、どんな物質が最適であるのか、そもそも「地球生命のような生命」の探査でよいのか、などなど議論は尽きません。土星の衛星には表面を覆った氷の下に液体の水があると考えられ、実際に間欠泉のように水が噴出していることが確認された(正確には水が分解された後のと思われる水素ですが)「エンケラドゥス」や、地球とはまったく異なりメタンが雲や川、海を作っている「タイタン」など、地球外の生命の存在が期待されている天体がいくつかあります。

 さまざまな理論や議論がありますが、何はなくとも観測出来なければ確認が出来ません。装置の開発を目指し、今後も開発を続けていきます。

それでは!



2017年5月12日金曜日

巨大真空容器

光学など担当の岩室です。

 現在、3.8m 望遠鏡で使用する分光器の開発を進めています。
この分光器は天体の赤外線スペクトルを調べるもので、なかなか大変な装置です。今回はこの装置の入れ物の紹介です。

 微弱な天体からの光を調べる天文学の観測装置にとって、関係のない周囲からの光は大敵です。可視光で使う装置は余分な光が装置内に入らないように、入射窓以外の部分は密閉することで周囲の光を遮断していますが、赤外線はそういうわけにはいきません。
なぜなら赤外線は温度のあるもの全てから放射されているからです。
特に分光器の場合は天体からの光を波長ごとに分けて更に微弱にしてしまうため、周辺からの光の影響をより受けやすくなります。
そのため、赤外線の装置は装置内部の壁をできるだけ(この装置の場合マイナス200度まで)冷却する必要があります。

 壁を0度より低い温度まで下げると結露します。そのまま時間が経つと、内部の全ての物が昔のアイスクリームの販売容器のように霜だらけの状態になり、全く使えません。
そのため、赤外線の装置は真空容器に入れて全ての気体を吸い出して真空とし、その状態で冷却する必要があります。3.8m 望遠鏡で使用する赤外線分光器は、できるだけ多くの情報を得るためにかなり大型の装置となっており、それを格納する真空容器も1m を超える大きなものとなります。
大きな真空容器は地球の大気圧との戦いとなります。

 地球の大気圧は1平方センチあたり約1kg で、1平方メートルだと10トンにもなります。これだけの力に耐え、かつ確実に真空を保持できる構造にするには、通常はできる限り球面や円柱を組み合わせた形となるのですが、その場合、内部の光学系の設置や取り扱いがしづらくなります。現在開発中の分光器は、光ファイバーで天体からの光を導くため、装置を観測ドームの1階に置くことができ、重量の制約がありません。そのため、メンテナンス性を重視して産業界で用いられるような箱型の真空容器を使う事にしました。




この箱は 1.7m×1.3m×0.7m のサイズのアルミ製(厚さ 5cm)で、ちょっと幅の広い浴槽位のサイズです(重さ1トン)。光ファイバーや電気系の配線は全て底面から入るので、逆さまの重箱の容器部分を引き上げるような感じで側面兼天板を外すことができ、重いですが内部のメンテナンスが非常にやりやすいのが利点です。




 この箱は、電子ビーム溶接という特殊な溶接方法で製作されています。
   上の写真は容器の一部の側面の拡大写真で、黄色の丸の中央で縦に溶接されているのですが、完全に一体化しているため、どんなに目を凝らして見ても溶接されている事が全くわかりません。最近の溶接技術の高さに感心した瞬間でした。


2017年4月21日金曜日

世の中に絶えて桜のなかりせば

春の心はのどけからまし、というが蓋し名歌である。3月半ばも過ぎると落ち着かなくなってくる。開花時期と満開時期はいつだろうか、どこへ行こうかと。
御所の北の近衛邸跡地付近の枝垂桜はやや早咲きで、まずはこれを見に行く。何本かの枝垂桜があるが、いずれも見事な枝ぶりに色も少しずつ違って、見ごたえがある。数日もすると染井吉野が盛りとなり、北部グラウンド横の花折断層を登って疏水分流を南下する。銀閣寺道までくれば桜のトンネルで、疏水の水路に枝が伸び出した様は風情がある。哲学の径までくると、桜だけでなく、雪柳とレンギョウが白と緑と黄色のコントラストをなして競うように咲いている。雪柳とレンギョウは何故か並んで咲いていることが多いような気がするのは気のせいだろうか。更に哲学の径を南下して大豊神社前までくると、これまた立派な桜の木があって、人気のスポットである。大豊神社に寄り道すると、遅咲きの見事な枝垂梅が見られることもある。若王子で哲学の径を離れ、永観堂前を通って、野村別邸碧雲荘の西側までまわると、そこは紅色の枝垂桜のちょっとした並木道である。しばし呆然として眺めいる。気を取り直して、桜並木を通り南禅寺門前を経て、蹴上インクラインまで歩く。ここも桜のトンネルである。少々歩き難いが、インクラインを上がっていくと、桜だらけの京都市内を一望することができる。歩き疲れたので今日はここまで。この先、蹴上を踏み越えて山科疏水まで行けば山桜の古木が多く、また違った風情が楽しめるが、また明日にでも。
さてそれから暫くすると京都の北の方の桜も咲き始める。土日に時間があれば、京北の常照皇寺へ。有名な御車返しの桜(一重と八重が一枝に咲く)は今はもう老木でほとんど咲かないようだけど、九重桜の巨大な枝垂桜もあるし、御所から株分けしたとかいう左近の桜もある。これでシーズン終わりかなと思うが、まだ御室桜は大丈夫かも、ああ忙しい。と、いうのが理想的なのだが、実際にはそんなに花見ばかりしてられない。やはり、世の中に桜がなければ春の心は落ち着くに違いない。


太田 2017412日 




この写真は家の近くの桜



 

2017年4月7日金曜日

立ち止まって考える

 先週の火曜日(328日)、岡山地裁である裁判の判決が出されました。岡山短期大学に勤める山口雪子さんが、視覚障害を理由に授業担当からはずされたことに対し、短大の運営法人を提訴した裁判の判決でした。岡山地裁は彼女の訴えを認め、大学側の措置無効の判決をくだしました。大学側は控訴するかどうか検討中と新聞にありました。
 じつは私は、前からこの裁判に興味をもっていまして、昨年11月に開かれた口頭弁論も傍聴しました。じつに得難い経験でした。傍聴して考えたことはいろいろありました。たとえば、「障害のある先生から障害の無い学生が学ぶ意義」「ふだん自分が使っていない感覚を研ぎ澄ます」といったテーマです。これらは畢竟「教育とは何か」という普遍的テーマにも結びつきます。「学びの拡げ方」といったほうが適切かもしれません。それは、自分は今まで学びや教育を狭くとらえていたのではないかという反省につながります。
 天文学は、地上の(理系)学問とちがって、対象を直接、手にすることができません。望遠鏡で得られる画像は見ることが中心ですから、視覚障害者の学びは困難とも言えます。ところが一方で、現代天文学はブラックホールやダークマターなど、眼に見えない存在が、じつは宇宙の中で大切な働きをしていることを明らかにしてきました。宇宙の学びに、眼が見える、見えないはさして大事なことではないのかもしれません。では視覚以外の感覚を使って、どう宇宙を学んでいくか。前々から考えているテーマです。

 春がきました。ぽかぽか暖かい日差しの川沿いの道をたどりながら、道ばたの菜の花に触れ、そよ風を感じ、小川の流れにじっと耳を傾けてみました。眼で見ていながら、見逃していることがたくさんあることに気づかされます。ゆったりと豊かな時間が流れていきました。

(嶺重 慎)




5月の上高地に咲く花